犬を飼うということ

いつまでも君と……

ふと閃いた『血の涙』の言葉。透明じゃない涙って? ~ラフと歩く日々 第3話~

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撮影&文:樫村 慧

主人が他界してから、連日親戚や葬儀会社の人がうちには出入りしていた。
来客中ラフはリビングのケージで大人しくしていて、今にして思うとラフは、あの期間が一番お利口だったのかもしれない。

葬儀を終えて家族3人とラフになると、小さな家が何だかとても広く感じられた。朝昼晩とラフのお散歩に出ていたが、知らない人から声をかけられる回数が多かった。

「お父さん、大変だったわねぇ」
私には面識のない人がラフと主人を知っていて、主人が他界した事までをも知っていた。それが少しずつイヤになって、朝はルートを変えてみたり、夜は8時過ぎてどっぷりと暗くなってから出かけるようになった。

主人の病気がわかってから、私が泣くのはお風呂か夜のお散歩時と決まっていた。主人がいなくなってからのことだ。暗闇の遠くから背広姿のサラリーマンが歩いてくると、ラフは耳をピクンとさせて、尻尾を振ってジッと見つめるようになった。

「ラフ、父さんじゃないんだよ。もう父さんはいないんだよ」
そう声をかけると、ブワッと涙が溢れてきて、ラフが愛おしく感じられた。

四十九日になるまでの間だったのか、記憶が定かではないけれど――、夜のお散歩時にラフは、突然立ち止まって何もない中途半端な所を見上げることが何度もあった。
「父さんがいるの?」と聞くと、歩き出すラフ。
私には見えないものが、ラフには見えていたのかもしれない。

主人がいなくなって2回目の夏を迎える頃には、ラフとの生活にもすっかり慣れた。長男がいなくても、二男とラフを乗せて茨城の実家に帰省出来るくらいにはなっていた。

ある日、フィラリアのお薬を貰いに通院した時、ラフの脇腹に1センチくらいの黒いイボがあると、先生から指摘された。「悪いものかもしれないから、近いうちに切除しましょう」と言われ、9月中旬過ぎにオペの予約を入れた。

オペの当日、その日は泊まりになるので、ご飯とお気に入りのぬいぐるみを持たせてラフを病院に預けた。ラフのお散歩をしなくて良い私は、友人と出かけて、たっぷりのおしゃべりに美味しいランチを満喫して、夕方帰宅。

すると、うちの留守電に先生からのメッセージがあった。
「今日のラフちゃんの手術ですが、血液検査の結果が良くなかったので中止になりました。お帰りになったら、お迎えをお願いします」

えっ? えっ?
うまく頭が回らなくて、私はそのメッセージをもう一回聞いていた。

車を飛ばして病院に到着すると、奥の部屋からラフが、ブンブンと尻尾を振りながら私の所へ向かってきた。
院長先生からの説明によると、ラフは腎不全で具合があまり良くない。イボの切除手術は出来ない。お薬を飲みながら腎臓サ ポート食を食べて、2週間おきに点滴をしに通院する。余命は2年くらいだろうという事だった。

腎不全? 腎臓サポート? 点滴? 余命?
とにかく頭が回らない。ラフは大好きな主人と別れても陽気に生きてる。こんなに可愛いラフが余命2年?

またうちなの? 今度はラフなの? 意味がわからない。

先生の説明が終わってから、どうやって家まで帰ったのか記憶がなかった。それくらい動揺していた。あの時の私は、腎不全がどんな病気なのかもわからず、こんな仕打ちを誰が仕掛けてきたのかと、絶望的な気持ちでいっぱいだった。

腎不全で余命2年くらいだと言われたと、まずは長男に報告した。
仕事中の彼もまた愕然としただろうけれど、「わかりました」と短い返事。

それからの私は、インターネットで犬の腎不全を調べて、闘病している犬を探して必死に落ち着こうとした。
壊れた腎臓は元には戻らない、尿毒症になったら長くはない、そんな言葉を読みながら涙が止まらなかった。ああ、またなのか。また闘病なのか。ラフもこのうちから去っていくのかと、とにかく泣けてきた。

ネットを見ては泣いて、ラフを見ては泣いて。そんな日が随分と続いた。幸いラフは、腎臓サポート食を嫌がらずに食べたし、お薬も飲んでくれた。
2週間おきにある、通院での点滴は、嫌がるラフを先生と押さえて15分から20分ほど。毎回ヘトヘトになって腰痛も悪化した。

腎臓サポート食を食べながら点滴に通うラフは、病気がわかる前とさほど変わらずに生活していた。いつの間にか私は、闘病する犬のブログは避けて、好きな犬種の元気なブログを見るようになっていった。

ラフのオシッコの量を常に気にしながら、お散歩して通院して、ココロの底で絶対に負けないぞと思っていた。そして2015年の春、ラフは自宅で毎日点滴をしなくてはならなくなった。点滴パックをまとめ買いした。
針とアルコール綿。皮下点滴とは言え、針を刺すのは本当に怖くて。「ヒャン」と鳴かれてしまうことも何度かあった。

そんな点滴にも少し慣れてきた夏の初め、面白いタイトルのブログを見つけた。密かに好きなブルテリアのブログだった。
どうやらその子はお風呂が嫌いなようだった。てんかん持ちになってしまったのだと明るく書いてあった。

「てんかん」かぁ。
知的ハンデのある二男の友達はてんかん持ちの人が多かった。犬もてんかんになるのかぁ。

その子は何だかとってもキュートだし、飼い主さんの文章はとんでもなく上手で、どんどん引き込まれていった。

8月のある日、その子がとても危険な状態なのだと知った。ブログは色々読んできたけれど、コメントした事は今まで一度もなかった私が、いても立ってもいられなくなった。

とにかくここは落ち着いて乗り切りましょう、私も祈りながら気を送りますから、みたいなコメントをしようと思った。でもなぜか私はその時、「血の涙」を流しながらやっていきましょうと書いてしまった。

重い、これは重たすぎる言葉。引かれるかもね。そんな懸念が頭をよぎる。
慌ててラフの闘病は、主人の闘病の時とはなんか違うんだと説明した。そしたら飼い主さんが、すんなりと受け入れてくれた。
「わかります、わかります」と。

ただ、今となっては当の本人も、「血の涙」がいつ流した涙だったのかハッキリとはしていない。
でもね、とにかく苦しかった、腎不全を受け入れていくのが。
ラフがいなくなる想像をするのが怖かった。

そんな事おかまいなしで、犬は前だけを見て歩いているんだけど。
「ここが痛いよ」って言ってくれない。

痛みをわかってあげられないのが……

すごくすごく辛かったんだよ。

 

――つづく――

 文:樫村 慧

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――本話で触れている闘病記は、当サイトで現在連載中です――

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