旅立った後も、愛犬はいつも一緒にいるんだよ
あれから1年半が過ぎました
愛犬のピーチーがいなくなって、1年半が過ぎました。
もう1年半? まだ1年半?
どちらでもあるし、どちらでもありません。
愛犬とのお別れのときには不思議なことが起きるのだと、よく人から聞かされていたのですが、まさかうちでも起きるとは思いませんでした。
つくづく犬と言うのは、奥の深い生き物だなと感じます。
今日はピーチーを見送る時のことや、それからの心境を書いてみようと思います。
【目次】
- 旅立った後も、愛犬はいつも一緒にいるんだよ
- あれから1年半が過ぎました
- 送る日の朝(早朝)
- 一緒に過ごす最後の時間
- 君は幸せだったかい?
- そして2年、寂しいけれど悲しくないよ
- 同じテーマの記事もご覧ください。 テーマ:うちに来て幸せ?/幸せだった?
- 関連の記事もご覧ください。 テーマ:ペットとの別れ
送る日の朝(早朝)
ピーチーを見送ることになる朝、間もなくピーチーを見送ることは分かっていても、その瞬間に自分がどうなってしまうのか、分からなかったし、正直言ってとても不安でした。
なにしろ、14年と7か月ずっと一緒だったピーチーが、いなくなってしまうのですからね。
しかも、最後に僕と奥さんが選択したのは、安楽死……
主治医を家に呼んで、施術をしてもらうつもりでした。
(その経過については、こちらの記事に ▶さようならピーチー )
8時35分に電話が繋がり、9時半には来てくれるとの主治医の返事……
ここからは、最後の最後の家族の時間です。
一緒に過ごす最後の時間
ピーチーはもう布団で横になったままだったけれど、その側に座って、沢山話をしました。何を話したのかな? きちんと覚えはていないのですが、しんみりした話ではありませんでした。
笑いながら、楽しかった日々のことを話したように思います。
その後は、歳をとって、白髪交じりで薄くなってしまったアイパンチを、黒く染めてあげました。ちょっとだけピーチーは若返って、可愛くなりました。
それから、最後の家族写真を撮りました。
ピーチーは何となく、笑っているように見えました。
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安楽死は賛否両論ありますが、僕は悪いものではないと思います。
悩んで悩んで、苦しまないで逝かせてあげようとする気持ちと、どんなに苦しんでも見届けてやろうとする気持ちは、同じことのように思います。
そして――、そう――
安楽死には、確実に良いところが一つありますね。
それは最後の時を、意識して刻むことができるということです。そして、確実に看取ってやることがでます。
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覚悟を決めた後の1時間は、苦しいものでも、悲しいものでもありませんでした。
もうすぐお別れだというのに、不思議なものですね。
その時の正直な気持ち――
死は悲しいものではなくて、我が子をそっと包んでくれる、柔らかな羽毛のように感じました。
僕と奥さんは、とても濃密な時間を、ピーチーと共有できたように思います。
君は幸せだったかい?
ピーチーは幸せだったかな? って、今もよく考えます。
その都度、「きっと幸せだっただろうな」と思います。
どうしてかというと、飼い主が幸せだったからです。
犬は飼い主を楽しませることが、最大の喜びだと言います。
ピーチーには沢山楽しませてもらったし、沢山幸せをもらいました。
だからきっとピーチーも、そんな飼い主を見ていて喜んだだろうし、幸せだったと思うのです。
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僕と奥さんが安楽死を決心していたのに――
ピーチーはその直前――
主治医が家の呼び鈴を押すほんの少しだけ前に、自分で旅立っていきました。
一つだけ、伸びをするように大きな息をして、
それが、別れの挨拶でした。
あれは、何を意味していたんでしょうね?
飼い主に、最後の決断をさせたくなかったのかな?
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これが、ピーチーが生きているときの、一番最後の写真です。
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肌がピンク色だから、ピーチーと名付けたうちの子は、ピンクのタオルとピンクの毛布にくるまれて、ピンクの桜の花と共に旅立っていきました。
そして2年、寂しいけれど悲しくないよ
あれからもうすぐ2年です。
誰かから、「寂しいか?」って訊かれたら、「そりゃあ寂しいよ」って答えます。
でもね、全然悲しくはないんです。
この1年半は、不思議に思われるかもしれませんが、ピーチーがいないという事を楽しんだ時間でした。楽しんだと言う言葉は、もしかすると誤解されるかもしれませんね。でも本当なんです。
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今もピーチーと歩いた場所に行ったら、ピーチーがいないんだという事を実感します。ピーチーが好きだった食べ物を食べるときには、ついついピーチーのために、少しだけ残してしまいます。
そんな時に思うのが、「ああ、良い子がうちにきてくれたなー」という事。
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よく話に聞くペットロスだと、ここで落ち込むのでしょうが、何故だか僕も奥さんも、そこで笑っちゃうんです。
意外かもしれませんが、”寂しさ”というのは、楽しむことができるんです。
心の奥にある”寂しさ”を、ときどき取り出してみて、色んな角度から眺めてみて、それをまた心の奥にしまうのです。
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ピーチーは天国でどうしているかな? 楽しくしてるかな?
――ともよく思います。
そしてその都度、「楽しくないわけがないよな」って思います。
だって――
飼い主は今でも、楽しいのですからね。
――了――
文:高栖匡躬
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テーマ:うちに来て幸せ?/幸せだった?
この子は、うちに来て幸せだったんだろうか?
飼い主ならば、絶対に一度は考える事。
時には、
うちに来てさえいなければ――
うちでなかったら、こんな事には――
なんて、思いつめたりしてね。
子どもの頃、犬のことなんか何も知らなかった。
”りく”は、はじめて飼った犬。
だから分かり合うまで随分かかった。
大人になると、りくは家にいるのが当たり前になった。
でも――
りくはいつのまにか、おじいちゃんになっていたんだ。
沢山笑顔を見せてくれたゆうすけ。
腕枕で旅立って行ったゆうすけ。
経験させてやれなかったことが沢山ある。
心残りも、その数だけあるんだ。
うちで良かったのかな?
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テーマ:ペットとの別れ
愛犬の『死』をイメージしたことはありますか?
経験して感じたことは、月日が経つほど『死』の印象は柔らかくなるということ。
実は『死』は、優しいものなのかもしれないな?
そんなお話です。
犬の寿命は人間よりずっと短いですね。それを、はかないと感じますか?
犬は何をやるのも一生懸命。
きっとその一生を、全力で駆け抜けていくのだと思います。
だから、別れの言葉も、それにふさわしいものを送りたい。
筆者が愛犬に送った別れの言葉。
それは『またね』でした。
愛犬はきっと、『またね』と言って去っていくと思ったのです。
別れの言葉なのに、なんだか再会が期待できそうな言葉『またね』