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いつまでも君と……

【看取り】【肺がん】3月25日、早朝 ピーチーは虹の橋を渡らない ~うちの子が旅立つまでのこと(8/18)~

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撮影&文:高栖匡躬

――当時を振り返り――

この記事は、ピーチーの介護と看取りの記録の中で、もっとも思い出深いものの1つです。2年前の今日、この記事で触れたのは、『虹の橋』についての話でした。

下記の文中にもあるのですが、筆者は『虹の橋』の詩が、どうもしっくりと来ません。嫌いとかではないのです。
むしろ詩として、それだけを見れば名文のようにも思います。

”良い詩”であるという事と、”好きな詩”であるのとは、また別物なのです。

筆者はこの詩が、沢山のペットロスの方を救っていることは知っていました。
しかしこの『虹の橋』の詩が、自分を救ってくれるものではないという思いが、ずっと心の中にありました。

ピーチーとの別れの覚悟は、少しずつ固まって来て、もうその覚悟は揺るがないものになりつつありました。

だからこの日、ブログを通して、友人たちに1つのメッセージを送ったのです。
『虹の橋』について……

 

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――以下、当時のブログより――

ピーチーの状態ですが、あまりよくない様です。
しかし、どれくらい良くないのかが分かりません。

ただ、これまでと違って、お別れの時がもう間近なのだということを肌で感じています。

今日、主治医の先生に往診をお願いするつもりでいます。

現在の状態をお知らせしておきます。

ピーチーは昨日の朝から、酸素ブースを使っています。
使い始めの時間には、トイレに行って戻ってくると息が上がっていたのですが、段々とその度合いが強くなり、今はピーチーの様子を見ようと、ブースのファスナーを開けただけでもう肩で息をしはじめます。

相当に肺は傷んできているようです。

昨日の夕食は何も(大好物のウニさえも)受け付けなかったのですが、酸素ブースの中で調子が良さそうな時を見計らって、ウニをあげたら、食欲のエンジンが掛かって、そのあと鶏のササミを食べました。バクバクと美味しそうに食べましたが、その量はササミ半分までが限界でした。

明日26日の月誕生日には、ピーチーに生まれて初めて、人間用のケーキを食べさせてやろうと思っていたのですが、もしかしたら間に合わないかもしれないと思い、夜中に近所のローソンに行って、『プレミアムロールケーキ』を買ってきました。

なんと、こいつは完食です。
もう目の色が違います。

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よかったなあ、ピーチー

しかしピーチー、大したもんだと思うのが、こんなに状態が悪くても、トイレには自分で行こうとします。苦しいと思うのですが、好きにさせています。

きっとピーチーにはそれが、大事なことなんです。

急げ!、急げ!

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トイレ!、トイレ!

さて――

そろそろ、ピーチーとのお別れの準備をしなければならないと思っています。
その時は今日かもしれませんし、1か月後かもしれません。
しかし、もう準備が必要なことだけは分かります。

そこで皆さんにお願いがあります。
愛犬が亡くなった際によく使われる、あの有名な『虹の橋』の詩についての事です。

誤解をされてしまうと困るので、予め申しておきます。
僕は『虹の橋』を否定するものではありません。
多くの愛犬家の癒しとなる、素晴らしい詩だと思います。

しかしながら、僕個人の考えを言うと、ピーチーには『虹の橋』はどうにも似合わないように思うのです。

生き様という表現があるように、死に様という表現もあります。
死に様と生き様は同じだとも言います。
僕はピーチーの生き様からして、その死に様は『虹の橋』では表現できないだろうと思っています。

 

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さてのそ有名な『虹の橋』の詩。
ご存じとは思いますが、かいつまんで言うと、内容はこうです。

飼主よりも先に死を迎えた愛犬は、天国の手前にある虹の橋に行く。そして、そこで元気な姿になって、いつか飼い主が現れるのを首を長くして待っている。
やがてそこに飼い主が現れる。愛犬は一目散に駆け寄り、飼い主と再会を喜びあう。そして一緒に虹の橋を渡って、天国にいく。

僕は『虹の橋』を、否定をしているわけではありません。
ただ、あまりにもセンチメンタル過ぎて、僕と奥さんとピーチーには似合わないなと思うだけです。

ピーチーは一生懸命生きて、その結果、自然の摂理として寿命を迎える。
たったそれだけの、小さな小さな、とるに足らない事が起きるだけ。
そんな死に様の方が、ピーチーに似合っているし、僕にも奥さんにもその方が良いのです。

この『虹の橋』と現象面が似ているのですが、僕にはひとつだけ、ずっと信じていることがあります。
立花隆さんの書かれた『臨死体験』という本をご存じでしょうか?
1994年に発表され、当時のベストセラー。
NHKでも番組が放送されました。
死に臨んだときの、人間の脳の動きを、脳科学と臨床の両面から克明に追ったものです。

人間は死に臨んだ時、脳の中にある、ある不思議な回路が動くことが証明されています。過去の記憶、それも意識下ではすでに忘れ去ったと思っていたことが、瞬時に脳内で再生されるのです。

それも、幸せだった記憶だけを選んで。

そこに登場するのは、まだ若く活力に満ちた両親、兄弟、妻、子ども、親戚など。記憶の中の登場人物たちは、時系列を無視して、皆が一番良い思い出の状態で現れるそうです。

当時のハードカバーの帯に立花氏は、『死ぬのが怖くなくなった』と書かれていました。本を読んで、僕もそう思いました。

この本に書かれていたことが事実であるとすると、いつか僕が寿命を終えるとき、臨終の瞬間に、僕が無意識下で一番会いたい人たちが、一番良い時の状態で現れてくれるはずです。
まるで、神様が最期にくれるご褒美です。

当然、ピーチーも現れてくれるでしょうが、そのときのピーチーはいったいどんな姿なのでしょう?

うちに来たばかりの、可愛い幼犬なのか?
遊び盛りの子犬の頃なのか?
一番運動量が多くて、活力に満ちていた7歳くらい?
ちょっと落ち着き始めた10歳?
病気がちになってしまった11歳?
それとも――、最後の力を振り絞って、死と闘っている今?

どれも可愛く、愛おしいので、僕にはどれが一番なのか言えません。
でも、僕の脳はいつか、この中から一番僕が可愛くて、会いたいと思っているピーチーを選んでくれます。

さて、一体僕の脳は、どのピーチーを選ぶのでしょう?
今からそれが、楽しみでなりません。


皆さんにお願いしたいことがあります。
ピーチーが最期の時を迎えた時に、僕にも奥さんにも、「ピーチーが虹の橋を渡った」という慰め方はしないで欲しいんです。

ピーチーは全力で生きて、一生を駆け抜けた。
僕たちは、それを全力で見守った。

たったそれだけ……、という事にしたいんです……
それがピーチーと僕たちに、一番お似合いだと思うんです。

お願いしますね。
皆さん――

● ● ●

繰り返しになりますが、僕も奥さんも『虹の橋』を否定していません。
ピーチーとうちには似合わないというだけです。

敢て『虹の橋』になぞらえていうのなら、こうです。
「ピーチー、よその子は虹の橋で待っているかもしれないけれど、うちは待ってなくていいぞ。やることやったんだから、先に天国にいって、美味い物食ってろよ」

もしも今、目の前に神様が現れて、
「お前の望みを一つだけ聞いてやろう」
と言ったら――、僕は「ピーチーに永遠の命を」とか、「ピーチーを元気にして下さい」というお願いはきっとしません。

「神様、天国に、北海道利尻産の高級ウニを用意しておいてください」
そうお願いすると思います。

それが、今の心境です。

 

――うちの子が旅立つまでのこと(8/18)つづく――

(ライター)高栖匡躬

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