犬を飼うということ

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悩みの正体って、一体何でしょう? ~悩みの話、再考察(1/2)~

f:id:masami_takasu:20171103120222j:plain文:高栖匡躬

今回は”悩み”について考えてみたいと思います。我々は何か解決が難しい出来事に直面すると、”悩み”と一口に表現してしまいがちに思います。もちろん、筆者もその一人です。

改めて考えてみると、”悩み”と括った思いの中には、”悲しみ”とか、”戸惑い”とか、時には”怒り”のような感情まで含まれているように思います。”悩み”と考えると、解決のしようのない、捉えどころのないものに思うのですが、”悩み”の中身を考えてみたら、意外にそのうちの幾つかは、解決してしまいそうにも思います。

公開済みの過去記事の中で、『悩みの値段』と、『悩みの賞味期限』 について、読者の方からご意見をいただきました。本記事の次回記事では、そのご意見にそって、悩みの再考察をしたいと思います。

扱う題材の性格上、本記事は少々回りくどい説明があります。ご容赦を。

 

 (ご意見)愛犬の命が掛かった悩みを、ほどほどになんて出来ない

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Photo by Nik Shuliahin on Unsplash

ご意見をいただいた記事はこれです。

記事の内容:
悩みは絶対的なものではなく、常に相対的。ならば今抱えている悩みを、悩み以外の他のものと比較(対比)してみると、悩みは和らぐのではないか? 
そんな手段を使ってでも、悩みはほどほどにしておいた方が良い。特に愛犬の闘病に於いては。――という提言。

読者:てんルナお母さんからのご意見
愛犬の命が掛かった悩みを、ほどほどになんて出来ない。
(お金で解決できる悩みならいざしらず)

 

 (ご意見)悲しみは深く人それぞれ。ひとくくりには語れない

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Photo by Daria Nepriakhina on Unsplash

ご意見をいただいた記事はこれです。

記事の内容:
人間は悩みを自然に消化(昇華)していくもの。それはせいぜい1年くらい。何故なならは、あなたは去年の今の悩み事を覚えていないはず。
永遠の悩など無いと分かれば、限られた時間を、愛犬のために費やすことだってできるはず。――という提言。
 
読者:しゅうさんからのご意見
愛犬を亡くす悲しみは人それぞれで、ひとくくりには語れない。
簡単に解消できるものではない。

 

悩みって何?

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上記つのご意見は、同じ課題が根底にあるもののように思います。
ポイントは、 ”悩み” をどうとらえるかという事ではないでしょうか。

さて、”悩み” とは何だろうかと、考えてみた事はありますか?
改めて考えると、”悩み” は一口に説明ができないもののように思います。
幾つもの不安が混じりあった、とても曖昧なものを、我々は”悩み”と呼んでいるのではないでしょうか?

例えば、愛犬の(重い病気との)闘病ですが、悩みの中身は、たった一つではありません。下記のようなものが組み合わさっているのだと思います。

 不安の一例
  ・いつかは別れがくるという不安
  ・今の介護は、間違っているんじゃないかという不安
  ・いつまでその介護が続くんだろうと言う不安
  ・高額な治療費への不安
  ・その子がいなくなったら、どんな生活になるのかという不安
   ……
   ……

そして、悩みは曖昧な分、どこまでも際限なく大きくなっていくもののように感じます。

 

悲しみと悩みは、別のもの

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ここでもう一つ考えてみたいのは、 ”悲しみ” です。
”悩み” ととても近い言葉なので、まるで悩みの中の一部のように感じがちなのですが、”悲しみ” と ”悩み” は、別物なのだと思います。

例えば、こんな風にです。 

 悲しみと不安
  愛犬が死んでしまった → 事実(現実) → 悲しみ
  愛犬が死んでしまうかもしれない → (将来への)不安 → 悩み

”悲しみ” は現実なので、直視ができるものなのですが、”悩み” は曖昧なものなので、直視のし様がないように思います。
もっと踏み込んで言えば、”悲しみ” は現実なので、対応ができるのだけれど、 ”悩みは” は捉えどころがないので、対処できないものだとも言えます。

 

悲しみは、乗り越えられるもの

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”悲しみ” と一口に言っても、千差万別なので、ここでは死別の悲しみに焦点を絞ります。恐らく死別は、悲しみの中でも、もっとも大きいもののように思います。

人間は一生の内で、何度も死別を経験します。愛犬だけではありません。両親や親類や親しい友人などとの別れです。
自分のことに照らせば、これまでに何度も、その別れを経験し、乗り越えて来ています。皆さんも同じなのではないでしょうか?

乗り越えるというのは、忘れるという意味ではありません。
後でも書こうと思いますが、悲しみは忘れられるものではないですね。

もう一度自分に照らせば、悲しみは心の奥の方にきちんと残っていて、増えても減ってもいません。ただ、いつでもそれを取り出したり、仕舞ったりできるようになります。

多分、それが乗り越えるという事のように思います。

愛犬との死別を経験された方が、すぐに次の子を家に迎えたりするのは、その乗り越える手助けを、別の子にしてもらっているのだと思います。忘れるためではなくて。

 

もしも神様がいるのなら

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もしも神様がいるのだとしたら、人間を造る時に、一生で何度も経験するはずの死別が、乗り越えられないようにするわけがないとも思います。

愛犬の闘病をしていると、一番最後にやってくるのは、愛犬の死です。
闘病をしていなくても、愛犬の死は、人間より早くやってきます。
寂しいけれど、それは避けられない現実です。

最後の時が死別ならば、それは乗り越えられることのように思います。
問題なのは、その時が来るまでに悩みを大きくし過ぎて、自分で手に負えなくしてしまう事なのではないでしょうか?

或いは、死別の後も悲しみだけでなく、悩みを引き摺ってしまう事とか……

~この話は、次話に続きます~

―― 悩みの話、再考察・つづく(1/2) ――

(ライター)高栖匡躬

――次話です――

――下記は本話の関連記事です――

 

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