命を預かるって、どういうこと?
安楽死について、皆さんはどう思いますか?
或いは、安楽死について考えたことがありますか?
とても繊細な話であり、賛否両論あるテーマですね。
敬遠されがちな話なので、なかなか正面から扱う記事も少ないように思います。
だから、敢えて……
今回から2回に渡って、安楽死に関する記事を書こうと思います。
【目次】
- 命を預かるって、どういうこと?
- はじめに - 視点の明確化
- まずは自分の経験から - 安楽死の決断
- 覚悟と決心には時間が掛かる
- 安楽死を選択しない場合も、大きな決断がいる。
- 安楽死の選択肢は2つ。そして結果は4つ
- もしも安楽死について考えてみるのならば
- ペットの看取りの記録です
はじめに - 視点の明確化
まず、安楽死についての筆者の立場をお知らせしておきます。
筆者は安楽死に関しては、賛成派でも反対派でもなく、ニュートラルな立場です。
一部に、反対でないならば、賛成派だという意見もありますが、その分類で言うと賛成派かもしれません。
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以前に、愛犬ピーチーの最後の闘病と、看取りについて記事にしました。
その中で、筆者が安楽死を選択した事を書きました。
結果的にピーチーは、安楽死のために往診を頼んだ主治医が、家に到着する直前に自分で天国に行きました。ですから筆者は、選択はしたけれど、実行をしなかったという経験をしました。
ですから、”安楽死を決断する”という事に関しては経験者であり、同じ決断をなさった方の気持ちは良く分かります。
しかし、実際にそれを行なわれた時の気持ちまでは、察する事が出来ません。
こういう立場であることを前提に、本記事を書いて行きます。
前置きが長くなりました。
それほど重いテーマだということです。
まずは自分の経験から - 安楽死の決断
犬を飼い始めた時、安楽死のことなど、欠片も考えることはありませんよね。
知識としてあったとしても、遠い先の話だし、考えたくもないというのが正直な気持ちでょう。筆者もそうでした。
筆者は愛犬ピーチーが7歳を迎えた頃、つまり一般的に”老犬”に分類される歳を迎えた時あたりから、「あと何年一緒にいられるのかな?」と思うようになりました。しかしこの時点でも、まだまだ先の話です。
ピーチーは他の子と較べても桁違いに元気でしたし、「きっと20歳くらいは生きてくれるだろう」と、漠然と(しかし何の疑いも無く)考えていました。
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最初に安楽死を意識したのは、ピーチーが11歳の時です。膵炎から胆管閉塞を併発し、主治医からは安楽を仄めかされました。
しかしこの時は、治してやることに全力投球で、それを真剣に考える事はありませんでした。全力投球過ぎて、考える余裕さえなかったのです。
ピーチーは二次診療と先端医療で、寸前のところで回復をしました。もしも回復していなければ、その時に真剣に安楽死と向き合っていたはずです。
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2度目に安楽死を意識したのは、13歳で劇症肝炎を発症した時です。このとき主治医は、前よりももっと明確に、安楽死を提案しました。
この時も頭の中は、治してやることの方が主でした。しかし安楽死については、最初の時よりもずっと明確に意識をしていました。それほど危険な状態でした。
ピーチーはこの時も、二次診療と先端医療で、奇跡のように復活をしました。だから安楽死の選択はしないで済みました。
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3度目に意識したのが、冒頭に書いた最後の闘病の時です。病名は肺がんでした。
3度目のときは、最初から治すという考えはありませんでした。それはピーチーが7歳の頃から決めていたことで、もしも治る可能性の無い病気に罹ったときは、積極的な治療はしないで、緩和治療で残りの犬生を、楽しくさせてやることに集中するつもりでした。
こんなこともあって、3度目の時、安楽死の選択には、迷いは有りませんでした。
唯一考えたのは、それを決断する時期です。
病気の苦しみが耐えられないものになった時がその時と、漠然と思っていました。
問題はその時が、自分に分かるのかどうか? それは自信がありませんでした。
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安楽死に関しては、1つだけ決意していたことがあります。
”決断をするときは、迷いなく”ということです。
大好きなピーチーを、自分の迷いや悩みの中では死なせないと思っていました。
その時が来たと判断したら、迷いなく決断をして、最後は笑って見送ってやろうと思っていました。
覚悟と決心には時間が掛かる
安楽死は、それを選択するとしても、選択しないとしても、事前に考えておくことはとても大事なことだと思います。決断をした経験から申し上げると、その選択は簡単ではありません。1時間や2時間で決められるものではないのです。
その決断は、恐らく自分の人生感、価値観を改めて見つめる事になります。その上で自分らしく送る方法と、愛犬らしく去る方法を見つけていくわけです。
自分だけでなく、家族もそうする必要があるでしょう。
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筆者の場合、それは以前からすっと考えていたことでした。だからこそ出せた結論でした。
もしも何も考えていなくて、突然にピーチーが重い病気になっていたら、選択ができていたのだろうか? 今になるとそんな事を思ったりします。
思えばピーチーは、最後の闘病の前に2度大病をして、随分と飼い主の心を鍛えてくれたように思います。
安楽死を選択しない場合も、大きな決断がいる。
さて、安楽死を選択しない場合ですが、そこにも実は大きな決断があります。
安楽死はしないと決めた時点で、実は別の大きな決断をしているのです。
意外にそれは気付かないことです。
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筆者の経験で、実例を挙げて見ましょう。
筆者はピーチーの介護の時に、何度か「今が安楽死の決断の時か?」と思った時がありました。しかし、ピーチーの生きようとする力、具体的に言うと目の力を見てそれを思い止まりました。
主治医の診療時間は、朝の9時から夜の19時です。その時間を外すと、必然的に安楽死の選択ができないことになります。
毎日が葛藤でした。「今日は安楽死を選択しない」と決めた時には、必ずその対極にある、別の決断がセットになっていました。
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もしも夜にピーチーの具合が悪くなって、もがき苦しむことがあったとしても、黙ってそれを受け入れるしかありません。別の決断というのは、それを受け入れるのだという覚悟を意味しています。
苦しみがあったとしても、それはピーチーの一生の一部と理解しようという覚悟。そして例え愛犬が目の前で、どんなに苦しもうとも、その一部始終をしっかり見届けてやろうという強い覚悟です。
”安楽死をしない”という選択は、単にそれをしないということではないと思います。その結果を正面から受け止める覚悟がセットだと思うのです。
安楽死の選択肢は2つ。そして結果は4つ
安楽死には、する/しないという、2つしか選択肢しかありませんが、結果は2つではなく、下記の4つのパターンに別れると思います。
2つの選択から生じる4つの結果
2.積極的に、安楽死をしない道を選ぶ場合。
3.消極的に(他人の意見で)、安楽死を選ぶ場合。
4.安楽死を選べずに、自然死を迎えてしまう場合。
1と2の場合は、メリットとデメリットがありますので、その天秤です。
天秤というのはちょっとおかしいかもしれませんね。自分らしさの選択です。
3と4は、結果として良かったという事はあるかもしれませんが、人任せ、風任せで、結末が見通せませんね。
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1.積極的に安楽死を選ぶ場合
(メリット)
・確実に愛犬を看取ることができる。別れの言葉を掛けられる。
・痛みや不快感から、解放させてやることができる。
(デメリット)
・愛犬がそれを望んでいたかどうか分からない。
・恐らく、「それで良かったか?」と、ずっと自問することになる。
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2.積極的に、安楽死をしない道を選ぶ場合
(メリット)
・自分で、大切な愛犬の命の終わりの時を決めなくて良い。
(デメリット)
・目の前で、愛犬が苦しむ可能性がある。
・苦しんだ場合は、「それで良かったか?」と、ずっと自問することになる。
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1も2も、最後は飼い主の覚悟に行きつきます。経験から言うと、どちらも同じくらいに重い覚悟です。だから『決断』をして、愛犬の死に方を選んだ方は、とても尊敬します。どちらを選んだとしても、「あなたの決断は、絶対に間違っていなかった」と言いたいです。
3と4は少々色合いが違います。
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3.消極的に、安楽死を選ぶ場合
医師から勧められて、十分な覚悟が無いままに受け入れてしまう場合がそうです。
覚悟がない分、1よりもずっと思い悩むことになると思います。
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4.安楽死を選べずに、自然死を迎える場合
どうしていいか分からず、迷っているうちに、愛犬猫が死を迎えてしまうようなケースですね。意外に多いと思います。
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3も4も、考える対象が愛犬の命であるだけに、『容易に決断ができない』『積極的に決断ができない』と言う気持ちも良く分かります。決められなかったからと言って、誰もそれを非難できないでしょう。
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先にも書きましたが、愛犬の死に方を選ぶ/選ばないは、きっと飼い主の人生感とか、生きざまのようなもののように思います。
これから安楽死の是非を考えてみたいと思われる方に、経験者として少し助言をしたく思います。
もしも安楽死について考えてみるのならば
安楽死を考える際にお勧めしたいのが、自分ならばどうするのかを、曖昧にしないで結論を出すということです。決めるプロセスがとても大事で、そこから我々は多くのことを学ぶことができます。
そして一度考えて決めたら、そこで終わりという訳ではなく、また何度も考えてみると良いと思います。きっとその都度、違う視点が見つかって、時には前とは違う結論になることもあるでしょう。
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考えは何度変わっても、構わないのです。
考える度に違う結論になるとしても、それはそれでいいのだと思います。
考える度に、考えが深くなっていきます。
繰り返しになりますが、重要なのは最後まで考えて、その時々の結論を出すことです。
次回は、多くの方のご意見を、サンプルとして掲載しようと思います。
以前に安楽死に関する記事を書いた際にいただいたご意見と、それに対する回答をまとめたものです。
――実は身近にある安楽死(1/2)・つづく――
文:高栖匡躬
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――次話――
安楽死について飼い主さんたちの、ご意見をまとめました。
唯一の正解が無い話。
「その時」を迎えて、迷いながら自分の答えを探すしかない。
だから、考えておいて欲しい。
「その時」がまだ遠い時から。
――自分の心って、自分じゃなかなか分からない。
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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