犬を飼うということ

いつまでも君と……

【看取り】命を預かる本望 ~視点を変えて見えるもの(2/4)~

f:id:masami_takasu:20180315175354j:plain文:高栖匡躬

前話では、愛犬の命に関わる選択が、飼い主に委ねられることを書きました。
自分のことを言うならば、犬を飼う時には、そんな選択が自分の肩にのしかかってくることなど、思いもしませんでした。

まさかオトボケで、食いしん坊の子犬が、14年後に飼い主に身を削るような決断をさせることなるとは――

さて、2度の闘病で、奇跡の生還を果たしたピーチーですが、3度目はちょっと違いました。本記事では3度目の選択と、その選択をする際に考えたことを書こうと思います。

 

 3度目の選択は、闘わないことでした

f:id:masami_takasu:20180613203511j:plain

筆者と家族は、愛犬ピーチーの最後の闘病に臨むとき、積極的な治療はしないと決めました。病名は肺がん(細胞診による確定診断はしませんでした)。そして残された時間を楽しく過ごし、最期に安楽死を選びました。

犬のがんには、抗癌剤の著効例がかなりあるのだそうです。完治はしないものの、延命には効果があるのだとも言います。
しかし、筆者も家族も、それを選択しようとは思いませんでした。

ピーチーは自己免疫不全で、免疫抑制剤を飲んでいました。通常量では効かなかったために、それを倍量飲みました。内臓の炎症や、(恐らく悩の炎症に由来する)癲癇の発作はそれで抑えられました。

しかし結局肺がんになったのは、免疫力を落としたからでしょう。
(半年前に撮ったMRIでは、肺は完全に綺麗な状態でした)

こんな経緯があったので、免疫系をそれ以上に叩く抗がん剤は、やめてやろうと思いました。延命するよりも、残された時間をどう楽しく過ごすかに、力を注いでやろうと思ったのです。

それは筆者にとって、病気に立ち向かうこと以上に重大な決断でした。
これまでとは逆で、助けるための選択では無くて、確実に死を迎えるという選択でしたからね。

目指すゴールは治癒や寛解ではなく、良い別れだということです。
そしてその道を選んだのは、自分と家族の死生観であり、生き様だと言っても良いでしょう。

 

 選択の結果は?

f:id:masami_takasu:20180613205217j:plain

さて現実の結果はどうだったか。

ピーチーと自分の体の変調に不安を感じていたのでしょう。ピーチーは子犬の頃のように甘えっ子になり、いつも家族の見える場所にいました。

ピーチーの前では、家族はいつも笑っていました。
悲しい事や寂しい事は考えないようにして、ピーチーが若い頃にした、いたずらを思い出しては笑い、いつも何かを話し掛けていました。
ピーチーもそれなりに楽しそうに見えました。筆者が笑うと、ゆっくりと尻尾を振りました。

やがてピーチーは、ほぼ寝たきりになり、酸素を吸っていないと苦しくて動けなくなりました。いつも飼い主を目で追うので、筆者と家族は交代で、いつもピーチーの視界に入る場所で過ごしました。

 

 何度も決断しかけた安楽死、そして別れ

f:id:masami_takasu:20180614012240j:plain

段々と状況は悪くなり、筆者の心は何度か安楽死に傾きましたが、ピーチーはその都度、それを拒否するかのような行動をしました。筆者はそこで思いとどまりました。

一番最後の瞬間は、遂に安楽死を決断し、主治医に往診を頼んだ後にやってきました。主治医が家に着く一歩手前で、ピーチーはまるで自分の意志であるかのように、爽やかに去って行ったのです。

「ペットは飼い主にとって最善の時に逝く」
という言葉を、つい先日教えてもらいました。
まさにその言葉通りの別れでした。

あんなに切羽詰まった状況の中でも、飼い主と愛犬は心を通わすことができるものなのかと、我がことながら不思議に思いました。

 

 命を預かる本望

f:id:masami_takasu:20180315175427j:plain

ピーチーが去った今、筆者は思うのです。
ピーチーの闘病や看取りで行った選択の数々は、後で振り返れば決して苦渋のものではなかったと。

ではそれが何かというと、我が子の命の全てをを預かっていることに対する、『本望』という思いです。

ここで少し、欧米的な考え方の話をしましょう。
キリスト教がベースの欧米的な考えでは、神>人間>動物で、人間が動物の命を支配しています。だから安楽死は身近にあるし、動物の生死を決めるのは飼い主の責任であるというわけです。

苦しむと分かった時点で、苦しむ前に安楽死を選ばないと、虐待だと言われることもあります。実際に友人に、肺がんの愛犬の話をすると、『かわいそうに、早く安楽死をしてあげなさい』と言われていた事もありました。

話を戻すと、筆者の感じた『本望』は、見掛け上は欧米的な考えに似てはいるのですが、本質は違っていました。

わが家のピーチーは、飼い主を100%信頼して、自分の命を預けてくれている印象でした。何故かそうなのかと言われると困るのですが、いつも肌でそれを感じていました。

『飼い主>犬』ではなく、『飼い主←犬』という間柄と思っていました。

命を預かるからには、その終わり方も決めてやらなければならないと思いました。
終わり方というのは、飼い主らしい送り方ということと、愛犬らしい去り方の両方を意味しています。それは何だろうかと考えました。
そして安楽死を選びました。

結果的にピーチーは、自らが旅立って行ったのですが、終わり方を選んだことは、とても良かったと思っています。
『わたくしは、わたくしの信念に基づき、愛犬の死に方を選んだ。本望である』
今、心からそう思っているのです。

 

――看取り/視点を変えて見えるもの(2/4)――

(ライター)高栖匡躬

――次話です――

――前話です――

――関連記事です――

 

ブログランキングに参加しています。投票にご協力ください。

f:id:masami_takasu:20171025025037g:plain

にほんブログ村 犬ブログ 犬 健康へ