ろくすけの闘病記:癲癇/腎不全 30話
2017年8月24日|突然の発作、しかも夜
午後10時45分
気楽にテレビを観てたとき、突然感じた小さな振動。
ろくすけの痙攣発作だった。
またもや、発作なし期間2ヶ月を前に再発してしまった(涙)
発作時間はおよそ1分30秒
やっと座薬を入れるのに慣れてきたようで、一度目挿入して、お約束ウンチと共にお出ましになってから即再挿入、という作業が初めてすんなり成功できた
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気楽にテレビを観てたとき、突然感じた小さな振動。
ろくすけの痙攣発作だった。
またもや、発作なし期間2ヶ月を前に再発してしまった(涙)
発作時間はおよそ1分30秒
やっと座薬を入れるのに慣れてきたようで、一度目挿入して、お約束ウンチと共にお出ましになってから即再挿入、という作業が初めてすんなり成功できた
続きを読む私はいつものように朝5時にろくすけのオムツを交換し、6時すぎに朝ごはんを食べさせた。
ろくすけは、キッチンに戻った私をクンクン呼ぶ。
体を起こしたり、歩かせたり。
そしてようやく、いつものように眠りについたろくすけ――
その日も、そんな全てのルーティンが、いつも通りに進んでいた。
●
ろくすけが昼になってもまだ寝ていたので、しめしめ、その間に少し休もうと、私は別の部屋に行った。
しばらくして、横になっていた私の耳に、
「ろくちゃんが痙攣してる!来て!」
と叫ぶ母の声が遠くに聞こえた
ピィ子のヒートが、ようやく終わりました。
なかなか終わりそうになくて、いつまで続くのかと思ったいたのですがようやくです。
気候も良くなってきて、ずっと来ていたポンチョももういらないような気がします。
少し前の天気予報で、「今年最大の寒波が来る」というようなことを言っていたはずなんですけどねえ。
雪が降ったら、ピィ子と雪だるまを作るのを楽しみにしていたのですが、なんと今年は1度も雪を見せてあげることもなく、冬は終わりそうですね。つまり、ピィ子は産まれてから一度も雪を見ていないのです。
昨日、ろくすけの新しいハーネスを、四苦八苦して着用させていたときだった。
ろくすけのお腹にふと触れた丸い膨らみ・・・
嫌な予感がする、、、なんだこれは??
暴れるろくすけをなだめながら、ろくすけのお腹に顔を近づけて観察
思ったより大きい膨らみだ。
Review
カテゴリー:コラム
作者:高栖 匡躬
ペットを亡くした飼い主に訪れるのが、ペットロスです。
重い/軽い、或いは、短い./長引くの差はあれど、例外なく誰もが経験するものです。当然ながら、筆者も経験しました。
経験した立場で言うと、筆者のペットロスは重くは無かったし、長引きもしませんでした。それは ”別れ” 一部であり、ペットを飼うという行為の中で、無くてはならないことなのだと感じました。今となれば、あって良かったとさえ思えるほどです。
しかしながら、このペットロス。誰もが経験する割に、必要以上に嫌われているように思います。悩み続けている方も大勢います。
ペットロスは他人には理解のできない、主観的なものであるように思います。
しかし――、だからこそ――
”別れ” 或いは ”死” に対するイメージが変われば、ペットロスの大きさも変わってくるものではないかと思いました。
このコラムは、そんなことを考えながら書いたものです。
どうか読んでみてください。
ペットロスのお話、今回は最終回です。
前3話で書いたことは、愛犬の終末期と看取りまでにできる心の準備です。
ここからは、別れの後でもできる意識の変化を書こうと思います。
皆さんは、死に対して、どのようなイメージを持たれているでしょうか?
ほとんどの方は、”怖い”ものと思われているのではないかと予想します。
人間は見たことがないものや、経験したことが無いことに対して、”怖い”というイメージを持つものです。
死を怖がることは本能なのか? そんなことも脳科学で研究されていて、諸説あるようです。真理はいつか解明されるのでしょうか?
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――午前2時――
前回の発作から1ヶ月も持たず再発・・・
ろくすけベッドの横で寝ていた私が、何かを感じ目を覚ますと――
見慣れているはずなのに、見慣れないろくすけの痙攣真っ最中。
急いで座薬を取り出し、手袋する時間も惜しくなり素手で挿入。
するとお約束、またもやウンチと共に座薬が戻ってきた・・・
冷静に、と言い聞かし、新しい座薬を取り出したとき痙攣が治まった。
ペットロスのお話、今回は3回目です。
筆者は愛犬ピーチーを看取った時、8つの小さな覚悟を、1つ1つ段階を上るように決めて行きました。意識してそうしたわけではありません。
しかし今振り返ると、それはとても良かったように思います。
1つ1つの思いはそれなりに重大なものですが、受け止められないほどのものではありませんでした。しかし、もしも何も準備をしていなくて、別れの瞬間に全てが一度に迫ってきたら、どうだっただろうと思うのです。
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前回記事では4つの覚悟までを書きました。
本記事では残りの4つについて書こうと思います。
初めの4つは、割と普遍的なものかなと思うのですが、残り4つは主観的なものです。
前回も書きましたが、本記事はペットロスを回避する指南書ではありません。
どうかご自分の気持ちにマッチするものだけを、つまみ食いしてください。
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ペットロスのお話、2回目です。
前回は飼い主が、愛犬の老いを意識するようになるまでの過程を書きました。
ここから先は、飼い主さんごとに考え方が違ってきます。
愛犬の老いの先に、避けられない死を明確にイメージした飼い主さんは、別れの準備をはじめることでしょう。その方法は、飼い主さんごとに様々です。
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死をイメージしない飼い主さんは、別れの予感は”縁起でもない”ものとして、意識からなるべく遠ざけることでしょう。目の前で弱っていく愛犬がいても、それと死が直結しないわけです。この気持ちもとても良く分かります。
死をイメージする/しないは、カードの表裏で、実は同じことを意味しているように思います。
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今日の話題はペットロスです。
犬を飼うと、いつかやってくるのが愛犬との別れ(死別)。
そして別れとセットになってやってくるのがペットロスです。
ペットロスは誰もが例外なく経験するものですが、それが軽くすむ場合もあれば、社会生活に支障をきたすほど深刻な場合もあります。
ペットロスは個人差が大きいのです。
ピィ子のヒートが、ようやく終わりそうです。
2月16日でちょうど3週間。3日前には「まだまだ終わりそうにないなあ」と思っていたのですが、一昨日あたりから急に収束傾向に。
先代犬のピーチーが子犬の頃は、ブログで記録を付けていなかったので、もうどうだったのかは覚えていません。
記録しておくのも大事ですね。
そしていつか、懐かしく思い出す時もくるように思います。
本話『ろくすけの闘病記』は、突如『癲癇(てんかん)』を発症した、老犬ろくすけと飼い主である母ちゃんの闘病をエッセイとして綴ったものです。
第3章は、癲癇に加えて腎不全が発覚したろくすけとの、闘病が描かれます。
癲癇の大発作の間隔が広がれば喜び、縮まれば落胆するかあちゃん。
愛犬の闘病で、状況が悪くなった時の飼い主の落胆は相当なものです。経験をされた方ならばおわかりでしょう。しかし落胆の都度、その逆境をなにくそと(笑い飛ばして)跳ね返していくかあちゃん。
――概要――
犬の癲癇(てんかん)は、およそ100匹に1匹が発症するようです。1%を多いと見るか少ないと見るかは、考え方次第でしょう。
この病気は一度発症すると、多くの場合その発作を繰り返すようになります。
一説では、癲癇の発作は時間的なサイクルがあり、10年以上のサイクルを持つ個体ならば、一生に一度も発症しなかったり、一生に一度だけということもあるのだとか。
わが愛犬のピーチーも癲癇を発症した一人(一匹)なのですが、この病気の特徴は、その発作の激しさにあると言ってよいでしょう。作者の、きづあすかさんも作中でこう語っています。
『あの病態は、飼い主の心を乱します』
そう、癲癇の発作(大発作)は見ているだけつらいのです。
本闘病記は、その癲癇との闘い(もしかしたら、つき合い)を、独自の視点で、ときに可笑しくひょうひょうと書かれていることが最大の美点です。恐らく、同じ病気と対峙する飼い主さんたちに、希望をあたえるように綴られています。
愛犬でこの病気を体験した身で言うならば、「ありがとう」と感謝したくなるような闘病記です。もしかするとエッセイと言った方が相応しいかもすれません。
できれば、うちの子の闘病のときに読みたかった……© 2017 Peachy All rights reserved.