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【胆管閉塞】飼い主はただ選択肢を増やしていただけ ~それが闘病の本質~

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ピーチーの闘病記:急性膵炎+胆管閉塞編(4/4)f:id:masami_takasu:20180303232920j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

前3話で書いた、筆者と愛犬に起きた出来事を整理すると、9つの幸運が立て続けにあって、最後に奇跡が舞い降りています。

当時は目の前で起きていることに対処するのに精いっぱいで、周りを俯瞰する余裕が全くありませんでした。しかし今振り返ると、目先のことだけを見てやっていたことが、意外に的を射ていたように思います。

今は愛犬の闘病で得た経験と知識があります。しかしながら、もしもまた同じような状況が発生した場合、もう一度同じような判断ができるかというと、自信がありません。
もしかすると経験と知識があるが故に、間違った判断をしかねないなとも思うのです。あの時の緊迫感は、正常な思考を奪うほど大きなものでした。

さて、これまでに起きたことを一つ一つのことを振り返り、突き詰めて考えてみると、一つのことに気が付きます。

筆者が愛犬のために行った努力の全ては、愛犬の病気を治して命を救う直接的な行動ではないのです。筆者はただ、治療の選択肢を増やしていただけに過ぎないのです。

しかしそれこそが、飼い主にとっての闘病そのものなのかもしれません。
最終話ではこのことに触れようと思います。

【目次】

 選択肢を増やす=可能性を増やすこと

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ここで愛犬の闘病を、選択肢を増やすと言う観点から考えて見ましょう。

まず初めに筆者は、愛犬ピーチーの体の変調を感じて動物病院に連れていったのですが、こんな最初のたった1つのことでさえ、見方を変えれば選択肢を増やす行動と言えます。

どういうことかというと、愛犬の具合が悪い時、飼い主が単独で唯一できることは、しばらく 様子を見る ことだけです。病院に行くということは、そのたった一つの選択肢の状態から、治療をする治療をしない様子を見る という3つの選択肢の状態まで遷移させたことになります。

筆者とピーチーの場合は、病院に行った時に与えられた選択肢は、まずは自然な死を迎えさせるか、安楽死をさせるかという2択でした。このどちらかを選んでいれば、ピーチーとはそこでお別れだったわけです。しかしそこで筆者が選んだのは、当時としては珍しかった、二次診療(=高度医療)という選択肢です。

これを選んだことで、と言う選択意外に、(可能性は低いものの)外科的治療内科的治療の2つの選択肢が増えたのです。

結局のところ、飼い主が闘病で行う努力とは、どこまで行っても選択肢を増やすためのもののように思えます。

そして選択肢は黙って待っていても増えません。
飼い主が自ら動くことだけで増えていくもののように思います。

 

 幸運の1つ1つは小さなもの

幸運とは

ここで幸運について、少し考えてみます。愛犬ピーチーに微笑んだ9つの幸運は、もしもそれが起きていなければ、命が奪われていました。しかしながら、一つ一つの幸運の中身を見ていくと、それがピーチーの病気を治癒させるほどの、決定的なものではありませんでした。9つの幸運は、ピーチーの命を繋いだだけのことでしかありません。

突き詰めて考えると、闘病中には色々なことが起きはしましたが、ピーチーの命を救ったのは、一番最後のたった1回の選択と幸運だけなのです。

当時はまるで奇跡が起きたかのように感じましたが、煎じ詰めて考えれば、そうではなかったのかもしれません。大きな奇跡が一気に起きたのではなく、小さな幸運の総体が奇跡に見えていたのだと、今は思えます。

 

 奇跡の正体は? 強運の正体は? 

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総合して言うと闘病というのは、飼い主が一生懸命に選択肢を増やしながら、小さな幸運を一つ一つ積み上げて、命を繋いでいくことであり、その小さな幸運の積み重ねが、奇跡に変わる時を待つことなのかもしれません。

今考えてみると、その選択肢を増やすという行動は、言い換えれば ”当たり”が入っていないかもしれないクジの中に、1個でも2個でも ”当たり”を仕込もうとする行為のように思えます。

ピーチーの命を救ってくれたJARMeCでの治療ですが、もしもあれを病気の初期のうちにの、まだまだ元気がある段階でやっていれば、もっと簡単に、もっと確実に回復していたはずです。結果としては筆者とピーチーは、随分と遠回りをしてしまったという事です。

しかしあの最後の選択が、最初の段階で出来たかというと、それは不可能でした。それは前3話の闘病記を読んでいただければ明らかです。何しろそれは、最初に選択肢の中には全く含まれておらず、予想さえもできないものだったのですから。

当たり前のことですが、選択は選択肢の中からしかできないのです。

(もちろんピーチーの例のように、当たりを引いて治る病気とそうでない病気では、いくらか状況が違うでしょうが)

この病気から数年後のことです。幾つもの大病を乗り越えたピーチーは、最後は肺癌で天国に行きました。それは治癒する望みの無い病気でした。

しかし、その絶望的な病にでさえ、最後を良く生きるためにできる選択肢は存在していました。どんな病気であろうと、選択肢を増やすことは大切なことなのだろうと思います。

愛犬の闘病中に飼い主に迫られるのは、身を切るような選択です。どうせ選択しなければならないのならば、せめて”当たり”の入ったクジを引きたいものです。
”当たり”が一等賞でなくても、二等賞でも三等賞でも構わないのです。

もしかすると、”当たり”は引けないのかもしれません。しかし、”はずれ”しか入っていないクジだけは、絶対に引きたくはないなあと思います。 

 

――闘病の奇跡、強運の正体(4/4)・おわり――

 膵炎をもっと知るために

急性膵炎の詳しい解説記事は、下記をご覧ください。
専門性はありながら、分かりやすく書かれた記事です。

下記の急性膵炎闘病記も参考になります。
突如発症した急性膵炎。入院した愛犬を待つ家族の気持ちは?

文:高栖匡躬
 ▶プロフィール
 ▶ 作者の一言
 ▶ 高栖 匡躬:犬の記事 ご紹介
 ▶ 高栖 匡躬:猫の記事 ご紹介

――前話です――

ピーチーの強運は続きます。
死の一歩手前を、ことごとく綱渡りのように切り抜けていくのです。
手術で勝負をするか? 内科的な治療に賭けるか?
最後の決断も、ピーチーの運が見方をしたとしか思えない判断を、ギリギリのタイミング行なったのでした。

まとめ読み|急性膵炎・胆管閉塞 闘病記
この記事は、下記のまとめ読みでも読むことが出来ます。

 

――本闘病記の第1話です――

ある日突然、我が家のピーチーを襲ったのは急性膵炎
危険な状態でしたが、幾つも幸運が重なって無事回復しました。
「良かった」と胸を撫でおろす飼い主。
――しかし、そうではありませんでした。
それは本当の闘病の始まりだったのです。

 闘病に関する心構え

努力は、奇跡の確率を上げるもの

闘病記を読むと、奇跡的に治るという表現に時々出会います。
しかし奇跡は、待っていて起きるものではありません。
奇跡が起きる確率は、努力で上げることができます。

医師まかせにせず、とにかく情報を集めて分析する事です。
その中に、もしかすると答えがあるかもしれません。

考え方を変えれば、飼い主が愛犬や愛猫の闘病で出来ることは、それ以外には無いのかもしれません。

医学書や論文を読むよりも現実的な情報源

犬が病気になった時、幾ら探しても、役に立つ医療情報が見つかりませんでした。
通り一辺倒だったり、逆に専門的過ぎたり。
どれもこれも、現実的ではないのです。
そんな中、飼い主が書いた闘病記に行き当りました。
動物医療の専門家ではない、普通の飼い主が書いた闘病記です。
そこからは、本当に色々な事を教わりました。

 ピーチーの他の闘病記です

肺がん闘病記

いつも元気一杯だったピーチー。
大病をしてから、体調に浮き沈み。
この数日も「ちょっと変」と思い、「”多分”、いつものこと」とも思っていた。
”多分”は段々と弱々しくなり、少しだけ嫌な予感も。
「今日は病院だな」と思ったのがこの日。

 

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