ラフと歩く日々(4/4) - 腎不全の犬と家族の思い出

『安楽死』については、聞いたことはあっても、実際自分には関係ないくらいの認識だった。
ラフはかかりつけの動物病院の、院長の奥さんが担当してくださっていた。奥さん先生はもちろん主人を知っていて、主人が他界したことも伝えてあった。
腎不全がわかって何度目かの点滴時、その奥さん先生が仰った。
「腎不全が進んでいくと神経症状なども出てきますからね。こんな大きな子が寝たきりになったら、お母さん1人で診ていくのは難しい。安楽死という選択肢も考えておいていただいた方がいいかと思いますよ」
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安楽死という言葉は、その意味の重さを無視してさらりと使われていた。それに少し怯みながらも、病気になるとはこういうことなんだとぼんやり考えた。
会話しながら、点滴がそろそろ終わりに近づいた頃、奥さん先生がぽつりとつぶやくように言った。
「この子は陽気だからこのままいってしまうのかな」
陽気? このままって?
家ではとても穏やかだったラフは、外に出るとワサワサワサワサしたゴルである。人が好きなんですオーラが出まくり、大型犬好きの方には非常にウケがよく、小型犬を飼われている方からは、かなり引かれてしまうタイプ。
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歳をとった今でこそ、同じ大型犬には愛想が悪くなったが、未だ小型犬にはやたらと近づいていって嫌われるラフなのだ。
陽気なラフが、このままワサワサとしながら天寿を全うするならいいではないか、安楽死なんて考える必要があるのか、どんなに大変でも最期の時まで私が看取りますよ。そう思いながら病院から帰った。
犬の話から脱線するが、サンタを死なせた時も主人の闘病中も、いなくなってからも、私を支えてくれたのは音楽だった。
胸の真ん中に掲げるものなど何もない。
でも私は、音楽がないと生きてはいけないのだ――、きっと。
特に、ナマモノであるライブが大好物。
別世界のような空間が、大袈裟だけど私の中のドロドロしたところを浄化してくれる。そんなライブという大好物に初めて出会ったのは、サンタを死なせてしまう前の年の12月。二男の療育などで気持ちがすっかりへたれていた時だ。
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サンタと暮らしていた頃、都内で仕事をしていた妹がちょくちょくうちに来ていた。2人で観ていたテレビで、たまたまあるミュージシャンを知った。何日かして妹が、そのミュージシャンのアルバムCDをレンタルしてきた。MDに録音して、療育に向かう車の中や息子が夜寝た後に、何度も何度も聴いた。
サンタがいなくなってからも、そのMDを飽きずに聴いていたが、突然どうしてもライブでその曲を聴いてみたくなった。まだインターネットを使えない頃だったから、雑誌のぴあを買って調べた。するとクリスマス前、渋谷公会堂でのライブが決まっていた。
チケットはもう完売している。
「どうしても行ってみたい」
主人に話すと、なぜかすんなり2万円をくれた。
違法だけれど、当時まだいたダフ屋から買ってしまう覚悟で渋谷に向かった。渋谷公会堂に着くと、ダフ屋のお兄さんがこちらに歩いてきた。
「チケットあるよ、2万でいいよ」
2階席の一番後ろなら、どう考えても2万は高いだろと今なら思うが、あの時はなんの躊躇もなかった。
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ライブがスタートすると同時に、ミュージシャンのギターと歌の上手さに度肝をぬかれた。坊主頭のドラマーの演奏は、体の芯を震わす音だったし、同じ坊主頭のベースも独特な雰囲気を醸し出した。
この3人なんなの? 職人? と、ぽかんとしてしまう。
どんどん3人の世界に引き込まれ、アンコール前くらいには自然に涙が出ていた。 そうだ、そうだった、ライブってこんなに楽しかった。学生時代は合コンには行かず、お気に入りのバンドを観にライブハウス通いしていたんだ。
忘れてた。私、音楽が好きだった。ライブが大好きだったんだ。
主人と結婚したのだって、主人が犬バカだからではなく、音楽と読書が好きなところが決め手だった。その夜から17年過ぎた今も、私はそのミュージシャンのライブに通っている。
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『血の涙』のコメントを送ったあの子は、あの時、危険な状態から奇跡の復活を果たした。ブログを読ませてもらってるだけの私は、簡単に奇跡と表現するが、飼い主さんにとっては身を削る思いの闘いだっただろう。
その奇跡が起きる過程を、飼い主さんは事細かに、わかりやすくブログに書いてくれた。病気は違えど、同じ闘いに挑む同志としてかなり勉強になった。
偏見かもしれないが、何かと闘っている人というのは、誰も寄せ付けない鎧のようなバリアを張っているイメージがあった。だからそう見られるのがイヤで、八方美人な性格を出来るだけ発揮して、ニコニコしながらも涼しい顔をしてやってきた。
私、そんなに頑張ってませんよ、みたいなアピールを少しだけしてしまう。
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その飼い主さんのブログには、そんな私との共通点みたいなものを感じられたし、闘病は決して悲しいことでも、大変なことでもないんだよと再確認させてくれた。
そして安楽死も、決して悲しいだけのことではない、犬を愛して犬と暮らした者にとって、大事な選択肢であると思えるようになった。
そこに至った私は、もう「血の涙」は流していないのだろう。
どこまでが「血の涙」で、どこからが違うのかとても曖昧なのだけど。
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私が大好きだったそのブログのお風呂が嫌いな子は、桜が満開になった頃天国へと旅立った。真正面から病気と闘って、惚れ惚れするほどかっこいい去り方だった。
その日仕事を終え、スマホでそのブログを覗くと、タイトルが「さようなら」で始まっていた。それを見るなり私は、駅ビルを出たところで泣き出した。
泣きながら家まで歩いた。おばさんが泣きながら歩いていたのだから、周りにいた人達は驚いただろうけど、涙が溢れて止まらなかった。
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ラフは4月20日で11歳になった。余命2年と言われた日から2年と8ヶ月を過ぎた。お誕生日前の血液検査の結果は、先生が驚くほど悪かった。
点滴の量を増やすため、1日1回だった点滴を2回に。
ご飯の量も少なくなって、今月になってからは吐き気も出てきた。吐き気止めのお薬は効いているようで助かる。
脊髄の神経症のせいで、後ろ脚がおぼつかない。段差もないところでコケたりしている。排泄の為に外に出ても、家の周りをゆっくり歩くだけになった。
今、ペットカートを購入しようか考えている。ラフの好きな川沿いの道まで乗せて行ってあげたいので。
はたしてカートに乗るだろうか。
嫌がりそうな気もするけど。まだまだラフの目には生きる力を感じる。
天国では、主人とサンタが待っているかもしれないけど、もう少しこっちで預からせてもらうつもり。
さあ、2回目の点滴しようか、ラフ。
――ラフと歩く日々(4/4)了――
――あるいは未来へつづく――
文:樫村 慧
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――本エッセイの続編です――
愛犬を看取る、家族のお話。
ペットと暮らす者なら誰もが通る道だけれど、少しずつ違う道。
色々な選択肢があって、正解は一つではない。
わが家なりの送り方って何?
『ラフと歩く日々』の続編です。
――前話――
主人が病気で他界し、ラフと家族3人での生活に慣れた頃、ラフが腎不全だとわかった。絶望的な気持ちだった。
ラフまでいなくなると思うとたまらなかった。
涙が枯れる程泣いていた私が、前を向くまでの話。
懐かしいなぁ…
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧いただけます
樫村慧・セルフコメンタリー版
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――本シリーズの1話目です――
「愛犬をうちに迎えた時の事を書いてみませんか?」
大好きだった愛犬ブログのブロガーさんからの依頼。
正直「面倒だな」とも思った。でも考え出したら、書く事が山のようにあった。
私が初めて書いた作品、私の原点です。
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本話で触れている闘病記です――
愛犬ピーチーは2014年8月16日の早朝6時、救命救急に駆け込みました。
40度を越える高熱。ぐったりとして動けない。
ただごとではないと思いました。
振り返ると、異常を感じたのは8月10日の夜。
突然の体の震えと、食欲不振が恐らく前兆だったのでしょう。
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樫村慧の記事です――
犬は群れの動物だと言われます。
家族にも、群れとしての序列をつけるのだそうです。
それは時に、弱いものを守るためであったりします。