犬は家族、言葉では言うけれど、それを実感するときがある
人は犬に育てられている - 私もそう思う
私はこのサイトで、『人は犬に育てられている』という記事を読みました。幼いお嬢さんが、老犬の存在によって成長しているという、あたたかくて、それでいて、とても考えさせられる内容でした。
そのお話を読んで、私も懐かしく思い出したことがあります。「ああ、我が家ではこんなんだったな」と――
ここからは、私の個人的な話も含まれますが、どうかお許し下さいね。
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うちには、知的障害のある息子がいます。えっ、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、彼の障害を公表するのは母親である私にとっても、兄である長男にとっても、ごく自然なことです。その障害のある二男と、昨年7月に亡くなった、ゴールデンレトリバーの愛犬ラフの関係は、ちょっと不思議なものでした。
二男と愛犬の不思議な距離感
ラフが我が家にやってきた時、二男は小学5年生。その頃、平日は私がラフのお世話をして、週末は単身赴任先から帰ってくる主人がお散歩や通院なとをしてくれていたんです。その週末の主人とラフとの時間には、必ずと言っていいほど二男も一緒でした。
それから数年後、主人が病気で他界します。ラフにとって一番の飼い主だった主人に変わり、私と息子達がラフの全てを背負ったわけです。その頃からでしょうか、ラフが二男に対してだけ、ちょっとだけ態度が違うなと思い始めたのは――
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私と二男とのお散歩の時、二男が先を歩くと、ラフもそれに負けじと早歩き。私よりかなり遅くダラダラと二男が歩くと、ラフは立ち止まって二男が来るのを待ちます。二男が、思いつきで脇道にそれようものなら、「あいつがいない」と私に目で訴えます。なるほど、ラフは主人と二男と過ごしていた時間の中で、主人から二男を常に守るということを感じ取っていたのかもしれないと、思い始めました。
二男を守ろうとする愛犬
そんなラフですが、二男が外から帰ってきてもちっとも喜びません。長男が帰宅した時には、嬉しくて嬉しくて喜びの舞を踊るのに、二男の帰宅時には、フンという反応なのです。どうしてでしょうね?
家の中は安全だとわかっているから、守る必要がないと感じていたのでしょうか?
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ある日、まだ学生だった二男が学校で問題を起こし、帰宅後私から「こらぁ〜」と叱られていた時のこと。これまでなら、二男を厳しく叱ると、クレートに入り大人しくしていたラフが、大きな声で叱る私の前に突然走り寄ってきて、二男を守るように立ち塞がったのです。そして、右前脚を私に向かって上げてきました。まるで「やめてあげてくれ」と私を止めるように。『えっ?』と驚き、一瞬二男を叱ることさえ忘れてしまいました。
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『ラフ、母さんは○○をいじめているわけではないんだよ。○○が悪いことしたから怒ってるんだよ』とラフに言いながら、なんだか可笑しくて笑ってしまいました。ラフの真剣な眼差しが、いなくなった主人から、二男を託された使命感をおびているように見えて、笑った後、すうっと涙が出てきたのです。
慈悲深く、奥深く
ラフは、二男から随分と理不尽なイタズラをされたこともありました。その度に、「ううっ」と小さく唸りクレートに逃げ込んでいたものです。それでも、二男が弱い立場にあることを理解し、守ってあげなくてはならないと思ってくれていたのでしょう。
今思えば、犬とはとても慈悲深く、そして奥深い生き物だなと感じます。
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そのラフは、もう既にいません。
しかし私は今も、ラフが二男の帰宅時に見せた、あのがっかりとした「なんだ、お前かよ」と言わんばかりの顔を思い出すと、「プッ」と吹き出してしまうのです。
――了――
文:樫村 慧
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樫村慧の作品 - 愛犬と生きることって
ホームセンターで売れ残っていた、雄のゴールデン・レトリーバー。
このお話は、ラフと名付けられたその子と、それを飼う事になった一家の、絆を描いた実話です。
愛犬との思い出は、愛犬だけとのつながりでは無くて、家族や友人の思い出ともつながっている。愛犬との良い思い出は、家族との良い思い出でもある。
そんなことを感じるお話です。
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近しい方のペットが病気になったとき、一声かけてあげたくなりますね。
励ましてあげたいんです。でも、どんな言葉を掛ければいいのか?
経験した人なら分かりますね。悪気なく、心からの思いで掛けた言葉が、時に相手を傷つけてしますのです。