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未曽有の大震災、発生当日のこと ~東日本大震災・あの日私たち家族は(前編)~ 

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文:奥村 來未

2011年3月11日、午後2時46分
東日本大震災発生。マグニチュード9.0。

七年前、世界中を混乱に陥れた未曽有の大震災は、皆さんの記憶にも新しいことと思います。
私達家族は、福島県から、主人の転勤で宮城県へ引っ越してきて、約四か月でこの大震災を体験しました。
現在8歳の娘は当時1歳7か月、18歳の愛犬Mackは、10歳9か月でした。
そして私達は、宮城県仙台市の自宅におりました。

(地震発生前)
その日午前中は日が出ていたものの、昼が近づくにつれ雲が増え、肌寒さが増したことから、その日は娘とMackとの散歩を見送ることにしました。

朝から家で娘と遊び、昼食を食べさせると娘が眠くなり、愚図りだしたので、午後2時半頃にやっと寝かしつけ、数分Mackと遊んだ後、自分も昼食を食べようと思い、鍋に残っていた昨晩のスープに火をかけ、あまりの寒さに、コタツにMackと潜り込みました……

 

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(地震発生)
そして午後2時46分__
数日前から中程度の揺れが何度か起きていたので、揺れ始めは「またか」と思っていました。
しかし揺れ始めて数秒が経つと音と揺れはどんどん大きくなり、「これはただ事じゃない!」と思った瞬間にテレビが消え、娘が大声で泣き始めました。
私はコタツの中のMackを掴むように抱き上げ、娘の元へ壁伝いに急いで向かい、ベッドにMackと娘を並んで寝かせて覆いかぶさりました。

「私は死んでも、絶対にこの子たちは守る!」
ベッドで二人に覆いかぶさってすぐ、まだ激しく揺れる中、仕事中の主人からのメールを受信しました。
『こっちは大丈夫だから』
私はその言葉を胸に、長い長い轟音と揺れに耐えていました。

やがて、家のどこかで何かが落ちて割れる音がして、私たちが居た部屋の照明が落ちました。照明のカサが私の身体に触れた気がしたけど、揺れが収まる様子はないし、ジッと体を固くして、屋根が落ちたってこの腕は曲げない!と強く思い続けました。

なかなか収まらない揺れに不安になり、ベッドのすぐ横の窓のほうに目だけを向けて外の様子を伺いました。
電柱が揺れ、木の枝や電線は縄跳びの縄のように踊り狂い、屋根の瓦は上下に激しく動きながら落ちていく。

そして歩行者が一人、頭を抱え、地面にうずくまるようにしていました。

5分だったのか、10分だったのか……
すごく長く揺れていた気がしたけれど、次第に弱まっていくのがわかりました。
娘はそれでもなおも泣き続け、涙かよだれで私の腕はビチョビチョです。
でもそんなことを気にしている余裕はありません。

まだ揺れてはいたけれど、築年数の古い所に住んでいたので、倒壊が恐ろしく、まだ震度3か4くらいはあったと思いますが、Mackと娘をそれぞれの腕で抱き、コンロの火を消し、家を飛び出しました。

 

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(傷)
家の中はめちゃくちゃだったけど、なんとか割れているものを踏まずに脱出しました。

家を飛び出すとすぐに向かいの家の奥さんが駆け寄ってきてくれました。
私は安心感から、崩れ落ちそうになりましたが、お向かいの奥さんが「お姉ちゃん!血が出てるよ!」と言った一言で正気に戻りました。

腕の傷は、鋭利なもので切ってしまったような傷でした。
ああ、そうか……電気のカサ……
そして、娘の涙で濡れたと思っていたのは、自分の血でした。
でも、その時は物凄く安堵したんです。
だって、私の腕の下にあったのは、娘の顔。
私は腕をケガしたけど、娘の顔を守ることができたのです。
安堵し、しゃがみこんでしまいました。

二度、三度と大きな余震が襲ってきます。
更には三月も半ばになろうというのに、雪まで降り注ぎ、薄着で飛び出したので寒くて寒くて仕方がありませんでした。

私たちは一旦、家のすぐ隣の公園の真ん中へ避難しました。
揺れている間、近所の人と身を寄せ合い、耐えました。

揺れが収まると、夫がいつも帰りが遅く、私は普段一人で子育てしていたのを知っていた近所の人たちが、腕の手当てや、娘をあやしてくれたりしました。
その感謝は今でも忘れないし、この先もずっと忘れることはありません。

 

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(避難所、そして犬は)
しばらくして、、近隣の施設が避難所として開かれました。
ですが、車のなかで夜を明かそうと、毛布を積み込んだりしていました。
当時は免許がなく、車が動かせなかったので、車の中に居て、瓦礫が降ってこないか心配でしたが、Mackがいたので、避難する気はなかったのです。

車の中で、夜をどう過ごすか考えていると、近所の人が「犬も猫も連れてきてる人居るよ!」と伝えに来てくれました。
施設に避難できるなら、そのほうが安心なので、お礼を言い、すぐにベビーカーに娘を乗せ、Mackを片手に抱き、家にあったありったけの飴やビスケットとブランケット2枚、そして毛布を咥えて避難所へ急ぎました。

 ペット連れは、一つの場所に集まるように指示されましたが、そこにはそれを知らない人も避難していました。
そして、犬や猫が嫌いな人が居たらしく、「うるせえ!」と部屋のどこからか怒鳴る声がしたり、とてもギスギスしている様子でした。
私はMackが鳴かないようにすることと、娘が走り回らないようにするのに必死でした。

やがて暗くなり、娘を寝かせることにしました。
避難所はとても寒く、床も固く冷たかったので、ブランケットを二枚と自分のジャンパーを敷いて、毛布をMackと娘にかけました。
私は、知らないおばあさんたちと肩を寄せ合っていましたが、何度も何度も何度も何度も地鳴りとともに来る揺れが恐ろしく、一睡もできずに朝を迎えました。

――東日本大震災・あの日私たち家族は(前編)つづく――

文:奥村 來未

――後編です――

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