ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編 
ピーチーの状態は劇的に下がる事はなくなりましたが、ゆっくりと下降していきます。
それを悲しむと言う気持ちはありません。
全てを受け入れて、看取りという一連の時間の中にいたように思います。
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ピーチーに「行かないでくれ」という気持ちは全くありませんでした。
神様には「どうか穏やかな死を」と祈りました。
「最後にかけてやる言葉は何だろう?」
そう考えるようになりました。
最後は泣かないということだけは、ずっと前から決めていました。
最後は笑顔で送ろうとも決めていました。
当時のブログより - 単純で可愛くて
先ほど、ピーチーが立ち上がりたそうにしていたので、水飲み場&トイレにつれていってやりました。もう体には力が無くて、ゆるゆるの状態です。僅か数日で、お腹周りがほっそりして、体も軽くなってしまいました。
ピーチーは水を飲もうとしますが、水を張った洗面器に口が届きません。頭を下げられないのではなく、どうやら水面を認識できないようです。
洗面器を持ち上げてやると、ピチャと音を立てて一舐めしてそれで終わり。
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飲みたいんじゃないのかい?
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酸素を口に当てているので、喉は乾いているようですが、それと水飲み場に行くのは別の行動のように思えます。生きるためのルーティーンのようなものを、半分無意識にやっているのでしょう。その後にシリンジで、スポーツドリンクを飲ませてやったら、旨そうにしていました。
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2時間ほど前ですが、うちの奥さんがトイレに連れて行ったら、自分でトイレにオシッコをしました。褒めてやったらとても嬉しそうでした。こっちもあんまり嬉しかったんで、写真を撮り損ねました。
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最近は何をやっても、もしかしたらこれが最後の――
という考えが脳裏をよぎります。
最後のごはんかな? 最後の水かな? 最後のオシッコかな?
そんなときには、とても切ない気持ちにもなりますが、すぐに気持ちを切り替えて、「なんだ、まだ出来るじゃないか」
と、それを打ち消すように、大喜びしてやります。
飼い主が喜ぶと、ピーチーも釣られて嬉しそうにします。
単純なやつです。そして、とても可愛いやつです。
今年のお花見は室内で
時間を遡りますが、昨日はうちの奥さんが、近所でツクシを摘んできました。
毎年この時期には、裏の土手で、家族でお花見をするのが恒例で、うちではその時には土手のツクシを摘んで、菜の花とツクシのパスタを作るんです。
ピーチーはツクシを見つけると、その頭を鼻ではじいて、よく胞子を飛ばしていました。
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ピーチーの鼻先にツクシを近づけてやりました
無反応でした(笑)
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今日の夜は、家の中で、家族でお花見をしました。
奥さんが一昨日拾ってきた桜の木の枝を、水差しに活けてあるので、それを見ながらのささやかなお花見です。
外の桜はまだまだ咲いていませんが、家の中は暖かいので、うちの桜だけは外よりもちょっと早く満開です。
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さあ、始めよう!
恒例のお花見!
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せっかくのお花見ですから、僕たちは横浜名物、崎陽軒のシュウマイ弁当を買って来て、食べました。ピーチーにはハチミツを舐めさせてあげました。
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シャンパンを開けて――
ピーチーのために乾杯。
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それから、家族写真を撮りました。
手に持っているのは、ピーチーの好きな木の棒。
ブロ友さんからは、『ピーチー棒』と呼ばれてました。
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今、奥さんは寝ていて、交代で僕がピーチーの様子を見ています。
ピーチーは今、酸素を吸入しながら、僕の机の下でうずくまっています。
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ここはピーチーの定位置
やっぱり落ち着くね!
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ピーチーは、段々と意識のレベルが下がってきています。
昨夜の時点では、もう新しい朝を迎えることは無いだろうと思いましたが、今、窓の外はうっすら明るくなってきています。
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ピーチーの目はうつろで、力はありませんが、僕の事も、奥さんの事も分かっているみたいです。
僕にも奥さんにも、小さな後悔みたいなものは沢山残っていますが、大きな悔いはありません。ピーチーにもないと思います。
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今日は僕も奥さんも、ずっと家にいます。
この後、どうなるかは分かりません。
どうするかも決めていません。
全ては、ピーチーと相談しながらです。
ペットの肺がんをもっと知るには
こちらの記事に、肺がんの概要を解説しています。
はじめて読むのに最適です。
この病気は激しい咳や、血痰を想像しがちですが、実はそれほど顕著な症状がでないことが多いようです。
ほんのちょっと息が粗い程度の場合もあります。
気になったら動物病院へ。
――うちの子が旅立つまでのこと(14/18)つづく――
文:高栖匡躬
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――次話――
ピーチーがひどくつらそうにしている昼ごろ。
安楽死の言葉が、頭をよぎります。
ついにその時か?
決断を仕掛けた時、ピーチーが勢いよく身をよじりました。
「まだ一緒にいたいんだよ、きっと」
「そうだな」
主治医の診療時間が、決断のリミットでした――
――前話――
この日は、マンションの消防点検がありました。
火災警報器の動作試験です。
ピーチーは、この警報器の音が好きではありません。
劇症肝炎の治療の副産物で、聞こえなくなっていた耳も復活。
酸素テントのなかで一暴れのピーチーでした。
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――本章の1話目です――
いつも元気一杯だったピーチー。
大病をしてから、体調に浮き沈み。
この数日も「ちょっと変」と思い、「”多分”、いつものこと」とも思っていた。
”多分”は段々と弱々しくなり、少しだけ嫌な予感も。
「今日は病院だな」と思ったのがこの日。
――この連載のはじまりです――
はじまりは、ほんの小さな予兆でした。
体の震え。ときどき息が粗い。食欲不振。
ピーチーは大病を大きくは2度経験してから、体調が悪いときがたまにありました。既往症もありました。
またかな? と思ったのが始まりでした。
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他の闘病記もご覧ください。
胆管閉塞闘病記|闘病ブログ
ある日突然、我が家のピーチーを襲ったのは急性膵炎
危険な状態でしたが、幾つも幸運が重なって無事回復しました。
「良かった」と胸を撫でおろす飼い主。
――しかし、そうではありませんでした。
それは本当の闘病の始まりだったのです。
劇症肝炎闘病記|闘病ブログ
筆者の愛犬ピーチーは2014年8月16日の早朝6時、救命救急に駆け込みました。
40度を越える高熱。ぐったりとして動けない。
ただごとではないと思いました。
振り返ると、異常を感じたのは8月10日の夜。
突然の体の震えと、食欲不振が恐らく前兆だったのでしょう。
このときは、掛かりつけの病院で、熱中症と診断。
その時には、肝臓の諸数値は正常値でした。
そして6日たち、16日の朝を迎えます。
この日から、命を賭けた闘病が始まったのでした。
自己免疫不全闘病記|闘病ブログ
2015年のある日、我が家の愛犬ピーチーを病魔が襲いました。
最初は夏バテかなと思い、次に熱中症を疑いました。
かかりつけの獣医師も、熱中症との診たてでその治療を。
しかしピーチーの状態は悪化の一途。
ただならぬ状態に、未明の救命救急に飛び込み、そこで発覚したのが重度の肝炎でした。
結局後になって、それが自己免疫不全が引き起こしたと分かるのですが、まさか免疫の暴走が劇症肝炎を引き起こすなど、想像もしていませんでした。
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肺がんの医療記事です
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