犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

寂しさは思ったほど悪くないもの ~悩みって何だろう?(2/2)~【愛犬との別れ。経験して分かること】

愛犬の闘病:過去を想うのではなく、今を考える
闘病_飼い主の悩みとは

文|高栖 匡躬 表紙|老犬アルバム No.99 茶太郎さん
 

人は大きな悲しみに直面すると、その意味を探したくなってしまうものだと思います。
筆者にも経験がありますし、皆さんもそうではないでしょうか?
しかしほとんどの場合、そこには特別な意味などありませんね。

さてそれでは、悲しみに意味を探そうとするのは、無駄なことでしょうか?
いえいえ、そこには ”意義” があるように思います。
きっとそれは、悲しみを希望に変えていく、前向きな行為なのかもしれません。

今回も前話に続き、過去に公開した記事(『悩みの値段』『悩みの賞味期限』)の再考察です。

愛犬の闘病、介護、看取りの時、飼い主は誰もが大きな悩みを抱えます。しかしその ”悩みの大きさ” には個人差があり、いつも相対的です。

前回と同様に、本話でもこの捉えようのない ”悩み”を題材とします。題材の性質上、回りくどい言い回しになることをご容赦ください。

尚、ここから先は犬のお話ですが、実は人の心のお話でもあります。犬のことを考えながらも、そこから人が抱える悩みについても、透けて見えてくれば嬉しいのですが……

【目次】

 

 悲しみと悩みについて、もう一度位置付けを

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前回は、 ”悲しみ” と ”悩み” は、きっと別物なのではないか、と書きました。
それを、もう少しだけ踏み込んで考えてみます。

まず”悲しみ” ”悩み” を時系列で考えると、 ”悲しみ” と言うのは思い出で、 ”悩み” は現在進行形であるように思えます。もっと細かく言うと、 ”悲しみ” は現在生じていたとしても、時が経つに従って、過去(思い出)に変わっていくもの。一方 ”悩み” は、現在に付きまとっている、一過性のものです。

悲しみ 過去の思い出に対する思い
     今の悲しみは、やがて思い出に変わる
悩み  現在起きていることに対する思い
     悩みの原因が消えれば、悲しみに変わる

愛犬の闘病にそれを当てはめてみると、全力で病気と闘った愛犬が、死を迎えたその時に、飼い主の ”悩み” は消えて、 ”悲しみ” に変わるものなのだと思います。
そして "悲しみ" は、時間に癒されていくものです。

過日の記事での『悩みの賞味期限』 は、そういう意味を込めて書いたものでした。

記事はこちらです。

この記事の中で筆者は、”人は1年もたてば、どんな悩みも忘れてしまう”と書きました。もともとその発想が、起業する学生さんを励ます目的のものであったので、もしかするとその表現が、愛犬の闘病には相応しくないと思われた方もいるかもしれません。

何しろ、命のかかった悩みであり、飼い主にとっては重大なことですからね。

しかし、 ”悩みなどは、たかがそんなものだ ”という、筆者の気持ちには変わりありません。むしろ問題は、一過性でなければならない ”悩み” を、必要以上に大きく抱えてしまうことにあるのように思います。

”悩み” は大きく育て過ぎると、愛犬が死を迎えても尚、 ”悲しみ” に変わることなく、いつまでも、 ”(解決のできない)永遠の悩み” の状態のままで、抱えてしまうことになると思うのです。

”悩みは、ほどほどにしておいた方が良い” と書いたのは、そういう意味です。

 

後悔と言う要素

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Photo by Ben White on Unsplash
 

ここからは、愛犬の闘病から、愛犬との別れ(死別)の話になります。

先程は、愛犬が死を迎えた時、飼い主の ”悩み” は ”悲しみ” に変わると書いたのですが、全てがそうではないように思います。

 ”後悔” という要素だけは、 ずっと心に居座りつづけるもように思うのです。
それも心の奥深いところではなく、目立ちやすいところにです。

因みに、筆者にとっての後悔は次のようなものです。

今も、こんな後悔が残っています。
 ・元気な時に、もっと遊んでやればよかった。
 ・雨の日に、散歩をサボってしまって、ごめんな
 ・もっと他に良い治療法があったんじゃないか?
  なぜもっと探さなかった?
   ……
   ……
 ※筆者にとっては、2番目の後悔が一番大きいです(笑)。 本当にです。

筆者の経験から言うと、 ”後悔” というのは、どうやら ”悲しみ” よりも、癒えるまでにずっと長い時間がかかるような気がします。

そして ”後悔” に関しては、一つだけ気を付けないといけない事があるように思います。恐らく ”後悔” は、 ”(解決のできない)永遠の悩み” に、容易に変化しがちだと思うのです。

悩みへの対処のおまけとして、後悔への対処も付け加えるならばこうです。

後悔も、ほどほどにしておいた方が良い

 

 寂しいけれど、悲しくはない

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さて、筆者の愛犬ピーチーがいなくなってからの、我が家の事を少し書き添えておきます。

今も筆者は、ピーチーが去って行ったときの悲しさとか、切なさは、鮮明に覚えています。ピーチーが息を引き取る数日前からの、一日一日の気持ちの変化は、全て詳細に思い出すことができるのです。

もちろん、息を引き取る瞬間の事も、それから後の事も……

しかし面白い事に、はっきりと当時の悲しさを思い出すのに、今、悲しいわけではありません。寂しいのですが、今は少しも悲しくは無いのです。

 ●

妙な例えにに思われるかもしれませんが、それは骨董のコレクターが、時々秘蔵の壺を蔵から出してきて、眺めるようなイメージです。

時折、筆者は心の奥の方から、 ” (過去の)悲しみ” を引っ張り出してきます。
そして持ち上げてみて、色んな角度からじっくりとそれを見るわけです。

 ●

どこかに変化はないか?
この角度から見たら、いつもと印象が違うな!
などと思いながら。

そして、ひとしきりそれをやったら、「ああ、うちには良いお宝があるなあ」と、満足して、またその ” 悲しみ” を、心の奥に仕舞いにいきます。

 ●

その時の気分は、とても幸せです。
意外かもしれませんが、 ”(過去の)悲しみ” は、考え方次第で、楽しむことができるのもののような気がします。

こんな気持ちは、分かるでしょうか?
愛犬との別れを経験された皆さんは、どう思いますか?

 

 ちょうど良い距離感がある

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闘病の話として書いておきながら、最後は死の話になってしまって、恐縮に思います。
しかし、最後にもう一つだけ。

死んでしまった愛犬と、飼い主の間には、ちょうど良い距離感があるように思います。その距離は、人それぞれなのでしょうが、思い出す都度悲しむというのでは、何となく、いなくなった愛犬に申し訳ない気がするのです。

 ●

例えば、筆者が自分の理想と思うのは、以下のようなものです。

 旅だった愛犬を思い出すとき
 ・不意に、いなくなってしまった愛犬を思い出して、ちょっとしんみりしてしまう。
 ・そこで、「ああ、いい子がうちに来てくれたなあ」と、ぼそりと一言。
 ・それから、なんとなく嬉しくなって、笑顔になって――
 ・「今日は良い日だから、ちょっと美味しいものでも食べに行こうかな」
  などという感じ。

これは飽くまで、筆者にとっての理想なので、皆さんは自分なりの良い距離感を探してみてください。

 

 心を軽くするには

愛犬を看取った経験者として言うならば、愛犬の姿はなくなっても、いつも一緒だという感覚です。だから筆者はそれを、肯定的に考えるようにしています。

どうやったら(たまたま今、姿を消している)愛犬と、楽しく過ごせるかを考えるのです。過去を想うのではなく、今どうするかを考えるです。

 ●

我が家の場合、今振り返ってみると、愛犬との距離感を探る作業は、闘病のときから既に、無意識の内に始まっていたような気がします。
それは、もうすぐいなくなってしまうだろう愛犬と、別れた後にどう付き合って行くかという、心の準備だったのかもしれません。

さて、今回のお話はここまでです。
いただいたご意見への回答になっていると良いのですが。

―― 悩みって何だろう(2/2)おわり ――

文:高栖匡躬
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――前話――

まとめ読み|視点の変化で闘病は変わる・悩みって何だろう?
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週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

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