終末期を楽しむという選択(1/3)

はじめに - 誰しも不安は尽きないものです
今回から3回は、愛犬がこの世を去る、終末期のことを書きたいと思います。
といっても暗い話ではなく、前向きな話です。
愛犬が日に日に弱って、そう長くはないだろうなと思った時、飼い主はとても不安になります。自分の経験に照らしてみると、その不安の中身は、漠然とした正体の無いものでした。
別れの最後の瞬間など、どうなるか想像などつきませんね。
だから、不安なんだと思います。
この記事が、今同じ境遇にある飼い主さんの、見えない不安を拭い去る助けになると嬉しいです。
寂しさはあるけれど
今、振り返ってみて、愛犬ピーチーの終末期は、悪くは無かったなと思っています。
もうすぐに別れがやってくるという寂しさはありましたが、ただそれだけではありませんでした。
毎日新しい発見があって、驚きがあって――
そこには確実に楽しみもあって、毎日笑っていました。
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しかし、そう言う風に過ごすには、ちょっとした意思が必要です。
そんなに難しいものではありません。
受け身になって、悲嘆にくれるのではなく、残された時間を積極的に楽しむという姿勢を持つだけで、毎日が違って見えてくるように思うのです。
我が家がそうであったようにです。
(これは、次回以降でもう1度触れたいと思います)
別れの手前は
愛犬がこの世を去る手前の事を書きましょう。
正確に言えば、別れの瞬間が刻々と迫る時期の飼い主の心境です。
筆者の経験を言えば、その瞬間というのはとても切ないです。
もう会えないという思いが、強く胸に迫ります。
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その切ない思いは、人間の別れの時も同じなのですが、愛犬の方がより感情移入が激しいと思います。
相手が親や友人ならば、運が良ければ最期の言葉を交わせるし、そうでなくても、その少し前には、その相手と語らった時の思い出があります。
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犬の場合は、一方的に飼い主が感情移入しているから、より胸が痛むのだと思います。
しかし――、幾ら心を痛めていようと、別れの時は迫ってきます。
泣くのか? 笑うのか?
さて、愛犬との別れの瞬間ですが、泣くべきだと思いますか? それとも笑うべきでしょうか?
最期の瞬間だけではありません。介護の最末期――
ああこの子はきっと、もうすぐ遠くに行く。
そう思ったときから、飼い主は、どうするべきなのでしょう?
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色々な考えがあって然るべきなので、唯一の答えを探すつもりはありません。
しかし、飼い主一人一人には、『こうしたい』という思いがあって良いのではないかと思います。
筆者は愛犬ピーチーが、老犬と呼ばれる歳になってから、絶対に最後は笑って送ってやろうと思うようになりました。
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何故かというと、犬は飼い主のために生きますね?
いや言い直しましょう。飼い主を喜ばすために15年の平均寿命を生きますね?
それは犬の本能で、飼い主の笑顔が、犬にとっての最高の喜びの一つなのだそうです。
きっと、ご飯と散歩と飼い主の笑顔が、犬の3大好きなものなのでしょう。
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だとすれば――
飼い主の笑顔を楽しみに生きてきた犬が、最後の瞬間を迎えるのだから、やっぱりご褒美をあげたいと思うんです。
泣いて感情を素直に伝えてあげるのも愛情です。
でも筆者は、最後のご褒美には、やっぱり笑顔を上げたいです。
最後は飼い主らしく
我が家では愛犬ピーチーを、笑顔で見送りました。
無理に作った笑顔ではなくて、本当に自然に笑顔が溢れてきました。
しかし今考えると、笑顔の奥では心からダラダラと(いやドクドクとか?)、無防備に血が流れていたように思います。
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顔で泣くか? 心で泣くか?
とちらにしても泣くんだから、顔は笑顔でご褒美を上げて、心で泣くのが良いんじゃないかなと筆者は思います。
でも、どちらが正しいという事ではないですね。
どちらが素晴らしいという事でもない。
やっぱり最後は、飼い主の生き方に従って、飼い主らしく送るということなのでしょう。
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さて、ここからは皆さんに提案です。
いつか来る別れの時に、自分は泣いて見送るのか、笑って見送るのかを、考えてみたらどうかと思うのです。
絶対に損はないと思います。
愛犬のと付き合いを、見直すきっかけになりますからね。
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それに、笑って送りたいと思ったとしたら、結構な心の準備がいります。
急に思いついても出来る事ではありませんから、やっぱり一度、どうしたいか考えて、必要であれば準備(覚悟)をなさるのが良いかと思います。
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筆者はこれからまた、犬を飼う事があったら、やっぱりその子は笑って見送りたいです。天国へのお土産には、その子の一生の中で最高の飼い主の笑顔を持って行ってほしいです。
今思えば、ピーチーに持たせてやった笑顔は、残念ながら最高ではなかったように思います。
次に飼う子がいたならば、その子には絶対に、最高の笑顔を……
――終末期を楽しむと言う選択(1/3)――
文:高栖匡躬
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――次話――
愛犬を迎えた時から、介護も別れも来ると知っていました。
いざその時を迎えると、それはいつもと同じ日々でした。
不思議ですね。そんな一大事が日常の先にあるなんて。
日常ならば、楽しめば良い。
その時でないと、できないことばかりだから。
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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ペットの闘病と看取りについて
それは限られた時間を刻むこと
愛犬の闘病で悩む飼い主さんは多い。
それは見えない不安が、心にのしかかるから。
これからどうなる? いつまで続く? 医療費は?
見えないものは仕方ない。しかし、見えているものはある。
不安に怯えるのではく、どうか前向きに。
飼い主に委ねられる選択
犬を飼い始めた時、別れの時は遥か未来の話でした。
しかし、あっという間に楽しい時間は過ぎて、その時が――
子犬でうちに来たのは、つい昨日のことのよう。
愛犬を看取ってみて思うのは、看取りは良い思い出だったということ。
視点を変えれば、つらい思いって、無いんじゃないかな?
そんなことを考えた記事です。