犬を飼うということ

いつまでも君と……

別れは日常の先に ~終末期を楽しむと言う選択(2/3)~

f:id:masami_takasu:20180722163119j:plain撮影&文:高栖匡躬 

愛犬が若かった頃、”看取り”は現実感の無い、無限の未来のことででした。
何かとても壮大なドラマ(悲劇)のようにも思いました。
元気一杯で目の前にいるうちの子が、この世を去っていく瞬間のことなど、全く想像がつかなかったのです。

しかし、歳をとって病を得た愛犬は、段々と弱っていく体を自覚し始めて、やがて戸惑いの表情を見せ始めます。
「おかしいな? 今までとちょっとちがうぞ」
というような表情です。

それを目の当たりにして、飼い主も気が付きます。
別れが近いんだということを――

 

 こんなふうに時間は過ぎて

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我が家の経験を言えば、愛犬ピーチーは割と早いうちから、自分の体の異常を感じ取り、不安を覚えていたように思います。

ピーチーは元々何か気になることがあると、家中を見て回るクセがあったのですが、病気のときもそうでした。
きっと自分の体調の変化を、外的なものとでも思ったのでしょう。
それまで以上に良く、家の中を巡回をするようになりました。

もう少し弱ってくるとピーチーは、いつも筆者の仕事部屋に来て、足元で寝るようになりました。触ってやると嬉しそうな顔をし、笑顔を見せてやると、そこで安心して眠りに落ちました。

段々と弱って来て、よろめいて自分で歩けなくなっても、トイレにだけは行こうとしました。犬と言うのはすごいなあと思います。

一応、念のためにオムツは付けましたが、そのオムツの中にオシッコをすると、ピーチーは「失敗した!」という顔になりました。
とても申し訳なさそうにするので、筆者も家族も、ピーチーが自信を無くさないように、ピーチーがトイレに行きたそうにすると、夜中に何度でも起きて、体を支えてやりながら、トイレマットのある脱衣場に通いました。

きちんとトイレでオシッコができると、オヤツを上げて笑顔で褒めてやりました。
するとピーチーは誇らしげで、とても嬉しそうにしました。
「どうだ!」という顔つきに。

まるで、仔犬の頃にトイレのトレーニングをしているようでした。

 

 やがてやってくる、別れの日

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最後の最後で、ピーチーはもう歩けなくなりました。
我が家では、ピーチー用の寝床には寝かせず、いつもピーチーから家族が見えるところに毛布を敷き、そこでピーチーを寝かせてやりました。

ピーチーは家族の姿を見ると、安心した顔になったからです。

この頃になるともう呼吸が苦しくて、高濃度の酸素を与えるために、酸素テントを使っていたのですが、ビニール越しだとピーチーが寂しそうにするので、手製のベンチュリーマスク(人間の病院で、手術の後などで、良く患者さんがよく使う酸素の吸入マスクです)を作ってやってやり、酸素のジェネレーターに直結して、酸素を吸わせました。

そして家族が家の中を移動するときは、そのジェネレーターごと、家族のいる場所に、どこでも移動させました。

夜もベンチュリーマスクを付けた状態で、家族の布団で一緒に寝ました。
なぜそうしたかというと、ピーチーはそんな状態になっていても、まだはっきりと意識があり、家族と一緒にいたいと、自分の意志を示したからです。

ピーチーは家族の顔を見ると明らかに安心した顔になり、触ってやると嬉しそうにしました。

ピーチーが旅立つ朝、旅立ちの3時間ほど前の事。
ピーチーは安心しきった、とても良い顔をしていました。

幸せそうで、少しも苦しそうでなく、その夜はいつもよりもぐっすりと眠れたようで、自然に目を覚ました時の顔が、それでした。

今でもあの顔は忘れられません。

 

 見えない絆が、はっきり見えてくる

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以前に別の記事でも書きましたが、犬の最終末期は長くて1週間くらいだそうです。
もしも病院に入院させてやれば、きっとピーチーは、あと何日かは長く生きられたのだろうと思います。

しかし、我が家にはその選択肢は、最初からありませんでした。
主治医に、いざと言う時には往診をして欲しいとお願いしただけです。

ピーチーに、行かないでくれとは願いませんでした。
どうしたらピーチーは、安らかに旅立てるのか?
どうしたらピーチーらしく、去っていけるのか?
そればかりを考えていました。

筆者と家族はお互いの仕事を調整し、シフトを組んで、24時間いつも必ずピーチーと一緒にいました。もっと正確に言えば、ピーチーの視界の中にいたのです。

各家庭に事情があるので、それができるのは幸運な一握りの家族だと思います。
しかし、出来るだけ長く一緒にいてあげると良いと思います。
それは、ピーチーの介護と看取りで実感したことです。

最後の数日の中で、飼い主と愛犬は、お互いの絆を再確認していくものなのだと、筆者は思いました。

そしてこの頃は、それまでなんとなく有ると信じていた、愛犬と飼い主の間の絆が、はっきりと目に見えた気がしました。
どうやってそれを感じるのかというと、いつも追いかけてくる視線や、少し体に触れてやるだけで見せる安心した表情などです。

もしかすると、最後の数日と言うのは、絆を確認するだけでなく、今までよりも、より強く絆を結ぶことができる時間なのかもしれません。

 

 それは日常のすぐ先に

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別の記事に詳細を書いてるのですが、ピーチーはとても幸せな最期を迎えました。
まるで眠るようでした。

ここに至って初めて気付いたことがあります。
それは、最終末期の数日間も、臨終の瞬間も、何も特別なものではなかったということです。

もうすぐ別れの時だと、実感はしていました。
しかし、そうかといって感情が高ぶるわけでも無く、悲しみに暮れるわけでもなく、淡々とした時間が過ぎて行きました。

そこには喜びも笑いもあって、日常と変わらない楽しい時でした。
いや、むしろ大切な時間と認識していた分、日常よりも楽しい時だったのかもしれません。

看取りは、かつて想像したような劇的なものではなく、日常のすぐ先に繋がっているものでした。

もしかするとピーチーは、死ぬなどと特別なことは考えないで、ただいつものように ”眠った” だけなのかもしれませんね。

愛犬が病気をすると、何も起きない普通の日常が、とても愛おしく思えてきます。
その日常の中で、愛犬ピーチーを見送れたことは、我が家にとってとても幸せなことだったと感じています。

 

――終末期を楽しむと言う選択(2/3)――

文:高栖匡躬
 

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