犬を飼うということ

いつまでも君と……

もういちど ~二人の出会を思い出してみようよ~

f:id:masami_takasu:20180115190028j:plain文:高栖匡躬 

川面に反射する朝日がきらきらと眩しくて、わたしはちょっとだけ目を細めた。

蛇行している鶴見川《つるみがわ》の土手沿いの道。その先には、近代的なガラス張りの高層ビルが幾つもそびえている。その四角い建物を見ると、なんとなくため息をついてしまう、わたし……

最近なんだか、疲れちゃったんだよね。色んなことに。

わたしが都内からこの街、新横浜に移り住んだのは1年前のこと。
自然が残る場所で、犬を飼いたかったというのがその理由で、願いが叶って今わたしの足元には、わたしと違って、悩みなんて何んにもないよって顔で、ハアハアと荒い息で歩いている愛犬がいる。ミニチュア・ブルテリアの女の子で、名前はピーチーという。

わたしにとって新横浜は、初めての街じゃない。子供の頃に父の仕事の都合で、ここからバスで20分ほどのところの仲町台《なかまちだい》という場所で、借家に住んでいた。

今やそこには、同じ名前の地下鉄の駅も出来たけれど、当時は近所の公園に行くと、『マムシにご注意!』っていう看板が立ててあるほどの辺ぴな所で、周り一面が、赤土の造成地だった。

今も新横浜には、当時の面影が沢山残っていて、駅周辺だけは都会だけれど、そこから少しだけ離れたら、ここって横浜なの? と思う程の田園風景に出合う事ができる。

犬と遊ぶには最適な場所。それでいて、東京・日本橋にあるわたしの職場まで、ドア・ツー・ドアで40分で着いてしまうのだから、犬好きにはたまらない街だと思う。
(もちろんそれは新幹線を使ったらばの話で、普段はそんな贅沢はできないから、在来線でトロトロと、1時間以上掛けて通勤するのだけれど)

犬を飼うのは、わたしの子供の頃からの夢だった。昨年は公私ともに色々とあって、その反動から、犬と暮らす生活を手に入れようと、一念発起してこの街に引っ越してきた。

因みにミニチュア・ブルテリアというのは、扱いにくいさでいえば、トップクラスに君臨する犬種だ。なぜそんな犬を飼うの? と訊かれると、嫌な事を全部忘れてしまうくらいに、大変な思いをしてみたかったというのがその答えだ。

ピーチーのしつけは、想像に違《たが》わず大変だったけれど、そのお蔭でわたしは1年前にくらべたら、ずっと ”心が” 健康になった。

嫌いな上司の、癇に障る一言も笑って受け流せるようになったし、もうちょっとしたら、きっとあの男――6年も付き合っていたのに、他の女と結婚してしまったあいつ――のことだって、忘れてしまえる気がする。

 

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ふと気づくと、大きく右に曲がる道の少し先には、まるで犬に引かれるように散歩している、一人の男性がいた。最近、時々見かける顔だ。

「なってないな!」
と、真っ先にわたしは思う。

犬へのコントロールが、全然効いていないじゃないか。犬は群れの動物だから、自由にすることが幸せではない。むしろ飼い主に服従することの方が幸せなんだ。

飼主の足にピッタリと体を寄せながら歩く、脚側《きゃくそく》歩行をさせなきゃ駄目だよ!

犬を飼うということは、飼い主の覚悟を試すことでもあるのだよ!
もしかしたら、あなたの人生そのものかもしれないよ!

心の中で、もうひとりのわたしが言う。

その男性が連れている犬は、ジャックラッセル・テリア。
うちのピーチーと同じテリア系で、しかも同じように飼いにくさで、悪名をとどろかせている犬種だ。

その子は勝手に土手を下り、草むらに飛び込んで、体中にひっつき虫をくっつけて道に戻ってきた。体をブルブルと震わせるが、毛に絡まってしまったひっつき虫は、そう簡単には離れない。

「何やってんだよ、ミント!」
男性の声が聞こえてくる。

そうか、あの犬はミントっていう名前なのか。

今でこそピーチーは、きっちりと脚側歩行でわたしの側を離れないが、去年の今頃はあんな感じで、ひっつき虫を沢山くっつけてきたものだ。
ついつい当時を思い出して、笑ってしまう、わたし――

必死になって、ひっつき虫を取り除いているその男性に、すれ違いざまにわたしは、ペコリと頭を下げた。
慌てて、バツが悪そうに挨拶を返すその男性――

ミントというその子は、ピーチーが気になったようで、体を傾けてこっちを凝視している。テリア系の犬は例外なく、興味を持った対象には、それこそ穴が開くほどの眼力で見つめるからすぐに分かる。

犬って分かりやすいよな。人間にも犬と同じように、尻尾があればいいのに。
わたしはあの男に、ずっと見えない尻尾を振っていたけれど、向こうはわたしに尻尾を振ってはいなかったんだ。

すれ違って15秒ほどして、ピーチーが急に立ち止まって、後ろの方を見た。
ゆっくりと尻尾を振っているところを見ると、どうやらあの子のことが気になるらしい。
わたしも振り返ると、向こうはずっと立ち止まって、こっちを見ていた。

「この子たちは、相思相愛か?」
そう思って目線を上げたら、飼い主の男性と目が合った。
あれっ、改めて見たら彼って、意外にわたしの好みの顔じゃない――

明日もし会えたら、彼に話しかけてみようかな?
向こうは多分、わたしより2、3歳年下くらいだろうか?
こっちから声を掛けたら、引かれちゃうかな?

でも、きっと大丈夫だよね。
だって――
近所に住んでいる、ただの犬仲間なんだしさ――

――了――

文:高栖匡躬

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

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