ラフのいない日々
過ぎていった日々に想う
肌を刺すような日差しが、梅雨明け間近を知らせている。ゴールデンレトリバーの愛犬ラフが天国へと旅立った7月18日が、すぐそこまでやってきた。
末期の腎不全だったラフが尿毒症になり、ひどい痙攣を起こした時、彼の命の終わりについて、飼い主である私が決意した。
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意外に思われるかもしれないが、その決心は、とても自然にやってきて、私の背中を押した。不思議と迷いはなかったし、それを決めるのは私しかいないという自負もあった。息子2人も、戸惑いながらも同意してくれた。
そして――、ラフは旅立っていった。
ラフがいなくなってから
ラフがいなくなってから、梅雨明けした去年のあの夏を、私はどうやって過ごしたのだろう。毎日ラフの点滴にあてていた時間を、日々ぼんやりと過ごし、ラフの写真を見ては泣いて、その気配を探しながら、無意識のうちに過ぎていったように思う。
どうしようもない衝動に駆られて『ラ〜フ!』と呼んでしまうことが何度もあった。その喪失感は、実をいうと、配偶者であった主人と死別した時よりも、大きかったように感じられる。
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どんな精神状態でも、日々は変わらず過ぎていく。
ふとした瞬間に、ラフの顔が蘇って「ああ、もうラフはいないんだ」と湧き上がる虚無感に愕然とすることも、何度となくあった。
そんな時は、疲れるまで泣いて、頭が痛くなって、目を腫らす。
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こんなことを幾度となく続けていると、ぽっかりと空いたココロの真ん中の、その向こう側のスペースに、ラフの存在やラフへの想いを、しまっておけるようになった。時々、そこからスゥッと出てくる彼の気配に、笑ったり泣いたりして、少し得した気持ちになったり、寂しさを噛みしめたりするのだ。
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ラフの点滴や、お散歩の心配がいらなくなって、私は前よりもちょっと多めに、外出をするようになった。大好きな友人とお酒を呑んだり、お気に入りのライブに出掛けたり、自由を少しだけ満喫している。犬好きの人達と、愛犬と暮らすかけがいのない時間について、話す機会にも恵まれた。
半年以上が過ぎて「意外と、自分は強いな」と感じていた。
看取りのイメージ - 安楽死を選んだけれど
しかし、ある日、予想もしていないことが起きた。
それは、たまたま付けたテレビで、牧場での馬の安楽死シーンが映し出された時のことだった。
前触れもなく、込み上がってくる感情を意識する間も無く、涙が溢れ出た。そして、その涙は、20分以上も止まらなかった。私の中から、あらゆる感情が消え去ってしまい、ただ涙だけが流れているような状態だった。あれは何だったのだろう。
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ラフの最期を、自分の意志でもたらした責任の重さなのか?
それとも罪の意識なのか?
今もって、よくわからない。
私にとって、ラフを看取ることのイメージは《愛する存在を手離して、空に還す》というものだった。5年前に他界した主人のいる天国に、ラフを送り出す。それは一つの使命でもあった。
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主人の病気が分かって、闘病している最中も、主人が旅立ってからも、いつでも私の側にいたラフ。そんな彼との別れに、痛みが伴わないはずがない。
だが、時が過ぎるにつれて、その痛みの質は変わってきているように思える。
それは本当に痛みなのか?
ラフがこの世にいて、私と一緒に過ごした証なのではないか?
最近はそう思えるのだ。
だとすればその痛みは、癒えて消え去ってしまうものではなく、ずっと私の心の中に棲み続けいて欲しい。
これからもずっと、私に涙を運んできて欲しい。
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どうしようもなく寂しい時には泣こう。そう思えるようになってきた。
だって――、これは、決して悲しい涙ではないのだから。
ラフが居た時間を思い起こして、その思い出を愛でる。彼と歩いた日々は、幸せの証だ。そう思うようになった私は、今やっと、犬と暮らすことの本当の意味を、知ったのだと思う。
『ラ〜フ、そっちには、私の声届いてますか? こっちはね、みんな、案外、元気にやっているよ』
――了――
文:樫村 慧
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ラフ 3部作について
本作『ラフのいない日々』は、下記『ラフと歩く日々』『ラフと歩いた日々』とあわせて、3部作になるものです――
ラフと歩く日々|全4話
ホームセンターで売れ残っていた、雄のゴールデン・レトリーバー。
このお話は、ラフと名付けられたその子と、それを飼う事になった一家の、絆を描いた実話です。
愛犬との思い出は、愛犬だけとのつながりでは無くて、家族や友人の思い出ともつながっている。愛犬との良い思い出は、家族との良い思い出でもある。
そんなことを感じるお話です。
ラフと歩いた日々|全3話
愛犬を看取る、家族のお話。
ペットと暮らす者なら誰もが通る道だけれど、少しずつ違う道。
色々な選択肢があって、正解は一つではない。
わが家なりの送り方って何?
『ラフと歩く日々』の続編です。
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セルフコメンタリーバージョンです。
ペットロスを考える●
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うちの子が旅立ってからのこと
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樫村慧|他の作品
散歩道で知り合った、土佐犬のリンちゃん。
樫村慧さんがその思い出を、エッセイに綴ったのは1年前でした。
今は亡き愛犬ラフの、幼馴染――
ずっと前に、会えなくなって――
何となく気がかりで――
しかし、
エッセイが奇跡を引き寄せました。
今年の夏――