犬を飼うということ

いつまでも君と……

【ペットロス】きみがここにいた意味、今ここにいない意味 ~ラフのいない日々~

f:id:masami_takasu:20180901214730j:plain撮影&文:樫村 慧(本作は2017年7月に執筆されたものです)

肌を刺すような日差しが、梅雨明け間近を知らせている。ゴールデンレトリバーの愛犬ラフが天国へと旅立った7月18日が、すぐそこまでやってきた。

末期の腎不全だったラフが尿毒症になり、ひどい痙攣を起こした時、彼の命の終わりについて、飼い主である私が決意した。

意外に思われるかもしれないが、その決心は、とても自然にやってきて、私の背中を押した。不思議と迷いはなかったし、それを決めるのは私しかいないという自負もあった。息子2人も、戸惑いながらも同意してくれた。

そして――、ラフは旅立っていった。

 

f:id:masami_takasu:20180901215209j:plain

ラフがいなくなってから、梅雨明けした去年のあの夏を、私はどうやって過ごしたのだろう。毎日ラフの点滴にあてていた時間を、日々ぼんやりと過ごし、ラフの写真を見ては泣いて、その気配を探しながら、無意識のうちに過ぎていったように思う。

どうしようもない衝動に駆られて『ラ〜フ!』と呼んでしまうことが何度もあった。その喪失感は、実をいうと、配偶者であった主人と死別した時よりも、大きかったように感じられる。

どんな精神状態でも、日々は変わらず過ぎていく。
ふとした瞬間に、ラフの顔が蘇って「ああ、もうラフはいないんだ」と湧き上がる虚無感に愕然とすることも、何度となくあった。
そんな時は、疲れるまで泣いて、頭が痛くなって、目を腫らす。

こんなことを幾度となく続けていると、ぽっかりと空いたココロの真ん中の、その向こう側のスペースに、ラフの存在やラフへの想いを、しまっておけるようになった。時々、そこからスゥッと出てくる彼の気配に、笑ったり泣いたりして、少し得した気持ちになったり、寂しさを噛みしめたりするのだ。

ラフの点滴や、お散歩の心配がいらなくなって、私は前よりもちょっと多めに、外出をするようになった。大好きな友人とお酒を呑んだり、お気に入りのライブに出掛けたり、自由を少しだけ満喫している。犬好きの人達と、愛犬と暮らすかけがいのない時間について、話す機会にも恵まれた。

半年以上が過ぎて「意外と、自分は強いな」と感じていた。

 

f:id:masami_takasu:20180901215333j:plain

しかし、ある日、予想もしていないことが起きた。
それは、たまたま付けたテレビで、牧場での馬の安楽死シーンが映し出された時のことだった。

前触れもなく、込み上がってくる感情を意識する間も無く、涙が溢れ出た。そして、その涙は、20分以上も止まらなかった。私の中から、あらゆる感情が消え去ってしまい、ただ涙だけが流れているような状態だった。あれは何だったのだろう。

ラフの最期を、自分の意志でもたらした責任の重さなのか? 
それとも罪の意識なのか?
今もって、よくわからない。

私にとって、ラフを看取ることのイメージは《愛する存在を手離して、空に還す》というものだった。5年前に他界した主人のいる天国に、ラフを送り出す。それは一つの使命でもあった。

主人の病気が分かって、闘病している最中も、主人が旅立ってからも、いつでも私の側にいたラフ。そんな彼との別れに、痛みが伴わないはずがない。
だが、時が過ぎるにつれて、その痛みの質は変わってきているように思える。

それは本当に痛みなのか?
ラフがこの世にいて、私と一緒に過ごした証なのではないか?
最近はそう思えるのだ。

だとすればその痛みは、癒えて消え去ってしまうものではなく、ずっと私の心の中に棲み続けいて欲しい。
これからもずっと、私に涙を運んできて欲しい。

どうしようもなく寂しい時には泣こう。そう思えるようになってきた。
だって――、これは、決して悲しい涙ではないのだから。

ラフが居た時間を思い起こして、その思い出を愛でる。彼と歩いた日々は、幸せの証だ。そう思うようになった私は、今やっと、犬と暮らすことの本当の意味を、知ったのだと思う。

『ラ〜フ、そっちには、私の声届いてますか? こっちはね、みんな、案外、元気にやっているよ』

――了――

文:樫村 慧

――本作は下記2作品と、3部作になるものです――

ラフと歩く日々(全4話)

ラフと歩いた日々(全3話)

――ペットロスの関連記事です――

――同じ作者の作品です――

――老犬アルバム――