つい先日、ブルテリアの里親募集を目にしました。
この1年で4匹目の募集でした。
ブルテリアは希少犬種のはずなのですが、こんなに里親募集があるものなのですねえ。
我が家はその都度、里子を迎えるべきかどうか、真剣に悩んだのです。
さて、どうしたのか?
意外に多い里親募集
里子に出す理由は色々とあるようで、全部が全部、無責任な飼い主の飼育放棄ではないようです。先日の子は、飼い主さんが若くして急死なさって、ご両親はご高齢のために面倒が見切れないのだとか。
他人ごととは思えませんね。
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さて筆者は、その4回の里親募集はどれも悩みました。
「迎えてあげたいなあ」
「うちで残りの一生を楽しく過ごさせて上げたいなあ」
と思ったのです。
しかし、思い止まりました。ある理由で――
4回とも同じ理由です。
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1回目に悩んだ時には、その心境をツイートしました。
2回目も、3回目も同じ気持ちでした。
そして先日の4回目も――
どうやら1年くらいでは、気持ちはそう簡単には変わらないということですね。
今日はその”理由”について、記事にしてみます。
※扉の写真と、下の写真は、その1回目のときに送られてきたものです。
揺れる思い - いろいろ事情があるのです
――以下、当時のツイートより――
先日、友人からメッセージをもらった。
ブルテリアの女の子の里親を探しているという。
推定5歳の、とてもキュートな子。
なのにもう6カ月も、家族が決まらないのだそうだ。
一方うちは、うちの子を見送って、1年半になる。
――これはもしかして、良い機会?
――運命か?
そう思った。
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しかし、折悪く今は夫婦ともに忙しい時期。
「面倒をみてあげられるだろうか?」
「今は毎日の散歩だって行けるかどうか怪しいぞ」
――心配だ。
うちは前の子、ピーチーには全力だった。
2度、重い病気に罹って、どちらも危険な状態になったけれそど、2度とも天国にいく寸前に、連れ戻した。
最期のときも、思い残すことなく介護したつもりだ。
あの日――
ピーチーは、人に自慢できるくらい立派な旅立ちをした。
今も、本当に自慢に思っている。
それが、ピーチーと過ごした14年と7カ月の証だと思っている。
あの子に――
ピーチーと同じようにしてあげられるだろうか?
もしも出来なかったら、あの子に申し訳ないし、我が家に良い思い出を置いて行ったピーチーにも申し訳ない。
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もうひとつ、心に引っかかることがあった。
別に信心深いわけではないのだけれど、うちではピーチーの生まれ変わりをなんとなく期待している。
そして――
ピーチーと別れる時に、「またうちに来いよ」と声を掛けてしまった。
あれは、ピーチーとの約束なのだ。
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推定5歳のその子は、ピーチーがまだ元気な頃に生まれた子。
つまり、ピーチーの生まれ変わりという可能性はゼロだ。
もしもその子をうちに迎えれば、”生まれ変わりを期待する”のを、やめることになる。
何故なら、うちは多頭飼いはしないつもりでいるからだ。
つまり、次の子が最後の子ということだ。
もちろん、ピーチーの生まれ変わりじゃなきゃ絶対ダメというわけではない。
もしも次の子がくればきっと、全力で可愛がるのだとは思う。
しかし、生まれ変わりは、期待してやりたいんだ。
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こんなことを考えながら、本当に迷った。あのキュートな子がかわいそうだし、幸せになってほしい。
「すぐには決められない」
そう友人には答えた。
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それからじっくりと考えた。
“期待する“のをやめるのは、比較的簡単だ。踏ん切りをつけるだけだから。
次に、仕事の都合をつけ、その子の為に時間が作れるか考えた。
寂し思いをした子なら、尚更もう寂しい思いはさせられない。
出来もしない約束は、最初からしない方がいい。その子を不幸にさせることになる。
幸せになるんだよ
決心がつかないまま2日がたって、友人からメッセージが来た。
あの子の、新しい飼い主さんが決まったそうだ。
ああ、良かったと心から思った。同時に、もう悩まなくて済むとホッとした。
しかし――、寂しい思いも少しあった。
「幸せになってね」と思った。
あの子がいく家に、うちの子を預けるような気持になった。
――おしまい――
文:高栖匡躬
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犬を飼うということ
言わずと知れた、当サイトのサイト名なのですが、何故かそのテーマでは記事を書いたことがありませんでした。
沢山の意味を込めた名です。同名のTV番組が有名なのですが、それはそれ。
出会いから別れ、喜びも悲しみも、全部詰まっている言葉ですね。
その昔、谷口ジロー氏の『犬を飼う』のように、犬を愛そうと思っていました。
そしてピーチーがきました。
もう一度、犬を飼うということ
愛犬ピーチーが去って、3年が経ちました。
少しだけ寂しいのですが、その寂しさを楽しむ毎日。
次の子は?
考えないでもないのですが、是非にという気持ちでもなくて――
そんな中で、1枚の写真が送られてきました。
少しだけ、心が動きました。
いつだって新米飼い主
先代犬のプルテリア、ピーチーを看取って3年半。
二匹目のブルテリアを迎えることにした作者。
つくづく思うのは、自分が新米飼い主だということ。
食事のこと、医療のこと、先代犬のときとは、犬に対する考え方が違います。
先代犬での経験は、先代犬だけのもの。
奢らず、謙虚に――、そう心に刻みつつ