旅立つ先は選びたい
死に方って?
前回の記事では、 ”生きざま” と ”死にざま” について触れました。今回はそれととても近い要素である、”死に方” について書こうと思います。
”生きざま” と ”死にざま” が個性であり、個人の心に寄りかかるものであるのなら、”死に方” だってそうだと思うのです。
愛犬の死で良く語られるのが、『虹の橋』です。
しかし、あの有名な詩でさえも、幾つもある選択肢の中の1つだと思うのです。
別れの準備
別の記事でも一度触れたことですが、2年前に愛犬ピーチーの死が迫り、最早それが避けられないと悟った時、筆者はあることを実行しました。ほぼ毎日のように更新していたブログに、一つの文章を載せたのです。
題名はこれです。
『ピーチーは虹の橋を渡らない』
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多くの飼い主さんが、愛犬の死に臨んだ時に使われる言葉が、『虹の橋を渡った』、或いは『虹の橋に行った』というものです。
恐らくは ”死” という直接的な表現を避け、自分、或いはその言葉を掛ける相手のショックを、和らげようとする配慮であると思われます。
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筆者がなぜ『ピーチーは虹の橋を渡らない』という文章を書いたのかと言うと、どうもしっくりこなかったというのが理由です。
『虹の橋』が嫌いなわけでもなく、否定するわけでもありません。
ただ――、しっくりこなかった。
それだけです。
それは、うちには似合わない
我が家のピーチーの犬生を振り返ると、楽しく一生を駆け抜けたというイメージです。
その一生に照らすと、別れは ”死” という言葉こそが相応しく、オブラートにくるんだ『虹の橋』は、どうもピーチーには似合わないと思いました。
闘病を応援して下さった方々は、ピーチーの死に際して、筆者を慰めて下さる時、『虹の橋』という言葉を使われると、きっとその度に違和感を感じるだろう考えました。
だからストレートに、『ピーチーは虹の橋を渡らない』 という文章を書いたのです。
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当時のブログの文章はこちらにあります。
『ピーチーは虹の橋を渡らない』
繰り返しになりますが、『虹の橋』 を否定していません。
それどころか、多くの飼い主さんの心を救っている素晴らしい詩だと思っています。
ただ、うちには似合わないというだけです。
うちの子には、うちの子の死に方
なぜ 『虹の橋』がしっくりこないのかと、改めて考えてみた時、そこに人の手の温もりがあるからなのだと気がつきました。
もっと直接的に表現すると、配慮とか、優しさがあるからです。
何故温もりに違和感があるのかというと、多分それは、筆者の死生観なのだと思います。
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筆者にとっての死とは、誰にでも訪れる当たり前の現象です。
”もう会えなくなってしまう”という悲しみはありますが、死そのもに特別な意味があるとは思えないのです。
死は直視すべきものであり、オブラートにくるむべきでないと言うのが、筆者の考え方です。だからそこに、違和感を感じたのだと思います。
前にも書いたことですが、”飼い主の生きざま=愛犬の死にざま” なのだとしたら、『どうか最期は飼い主の好きにさせてくれ』というのが、筆者の思いでした。
けれども虹の橋は……
もしも誰かに、『ピーチーは虹の橋を渡らない』の文章を書いて良かったか? と訊かれたら、大いに満足だったと答えたいです。
2年半前、ピーチーが旅立った時にいただいた沢山のお悔みの中には、『虹の橋』の言葉は使われておらず、筆者が大好きな 『またね』 という言葉で、皆さんがピーチーを見送ってくださいました。
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良い別れをしたと、今も思います。
最後くらい、わがままを通したい。
その願いが叶った結果です。
因みに、もしも今後どなたかが、『虹の橋』の言葉でピーチーの死を悔やんでくださったとしたら、素直にありがとうと感謝することでしょう。その気持ちには、何らの無理も違和感もありません。
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ピーチーを荼毘に付した火葬場では、最後に『虹の橋』をプリントした紙を渡してくださいました。
とてもありがたい配慮だったと思っています。
――別れの準備、別れの覚悟(後編)・了――
文:高栖匡躬
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――前話――
愛犬が元気な時、別れの時なんて予想もつきませんよね。
実際に経験すると、それは瞬間ではなく連続した時間だと気付きます。
そして境界がぼやけて、今も続いているように思います。
だから――
別れの印象は変わるし、変えられると思うんです。
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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うちにはうちの送り方
『虹の橋』は広く知られています。
しかしながら、『虹の橋』の言葉は、間違えて使われるケースがよくあります。
「虹の橋を渡った」という使い方が、もっとも多く見受けられる誤用です。
『虹の橋』は真意を理解した方が、より深い感動があります。
一度この記事をご覧になってみてください。
全力で愛犬の命を救うための、闘病をしてきたつもりでした。
しかしある時、もう「全力で看取る時期」なのだと肌で感じました。
うちの子らしく送りたいと思った時、『虹の橋』は似合わないなあと思いました。
『虹の橋』が、沢山の飼い主さんの心を救ったことは知っていました。
しかし――
愛犬とわが家には、どうも似合わないと思い待ちした。
愛犬が旅立った時、その別れ方を飼い主は想います。
良い別れだった? それとも良くない別れだった?
それは、良い一生だったのか、そうでなかったのか?
という意味も含みます。
一生に、良し悪しなんて無いのにね。
別れ方というものは、後で幾らでも変えられるんだと思うのです。
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こんな記事もどうですか?
安楽死に関する考え方は人それぞれ。正解はありません。
国民性もベースにあります。答えは常に、飼い主の心の中にだけあるのです。
本作は、安楽死がテーマではありません。
テーマは飼い主と愛犬の絆です。
それが言いたくて、この記事を書きました。