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犬や猫は天国に行けるの? ~もう一つの、虹の橋考察~

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文:高栖匡躬 

今回は『犬や猫が天国に行けるのか?』というお話をしようと思います。
ペットの飼い主さんは、愛犬や愛猫が亡くなった時に、『天国に行った』という言葉を良く使います。筆者も愛犬ピーチーの死を『天国に行った』と表現します。

しかしそれは、我々日本人(厳密に言うと多くの日本人)にだけ通用する話で、世界的にはそうではないのかもしれません。

さて考えて見ましょう。
――うちの子は天国に行けるのか?

実はこの記事は、『犬や猫が天国に行けるのか?』の考察であると同時に、あの有名な『虹の橋』の新しい視点からの考察でもあります。

 

 まずは2つの疑問

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まずはペットの死にまつわる2つの疑問について、お話をしたいと思います。どちらも愛犬家、愛猫家の間で時々、話題になるものです。

1つ目は――、犬や猫って天国に行けるの? 
もう1つは――、犬や猫は生まれ変わってくるの?

筆者は何の疑いも無く、犬も猫も天国に行って、いつか生まれ変わると思っています。しかしながらキリスト教の視点で言えば、犬は天国に行くことはできないようです。そして、生まれ変わることも……

筆者が「ピーチーが天国に行って、いつか生まれ変わって来るんじゃないかな?」と語る事は、キリスト教から見ると、異端の考え方になるわけです。

なぜここでキリスト教を例に挙げたかと言うと、”天国”という言葉が、キリスト教のものであるからです。例えば仏教では極楽浄土とか、あの世がそれにあたるのですが、天国とは異なる性質のものです。

イスラム教やユダヤ教にも天国はありますが、キリスト教とは様子が違います。
我々が普通に”天国”と言って想像する(光が満ちていて、天使がいる)場所は、キリスト教の天国なのです。

 

 なぜ犬猫は天国に行けないの?

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それでは次に、犬や猫がなぜ天国に行けないかについて、簡単に触れてみます。
キリスト教では人間を救うための宗教で、”動物についての救いの記述”は無いのだそうです。そして、イエスを信じる者だけが救われるとの考えが根本にあります。

動物には神と交流する霊力がないことと、そもそも動物は人間のために作られたものであるという解釈から、イエスを信じる(或いは主の救いを信じる)ことができる人間は天国に入れるが、動物にはその選択肢は無く、土に帰るという考えが主流のようです。

聖職者の中には、犬猫も天国に入れると解釈する方もいらっしゃり、意見は分かれるそうです。しかしそれは飽くまで傍流であって、キリスト教の主流である、”動物は天国には入れない”という考えに異を唱えるものなのです。

天国の話がこうならば、生まれ変わりの話は論外でしょう。
何しろキリスト教は、人間にさえ転生を認めていないのですから。
ちょっと寂しいですね。

 

 他の宗教ではどうか?

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キリスト教以外の宗教はどうかというと、似たようなものみたいです。
イスラム教は起源がキリスト教と同じユダヤ教なので、仕方ないでしょう。しかもイスラム教は、積極的に犬を不浄な動物と捉えているようなので、犬にとっては不幸な宗教だと言えます。

逆に猫は神聖な動物とされているそうです。開祖のムハマンドも猫好きだったのだとか。しかし、天国に行けるのかどうかは分かりません。それについて書かれたものを見つけることができませんでした。

仏教は ”全ての生き物に魂が有る”としているので、それによって犬猫へも救いがあることが明示されたています。
しかし、救いはあっても、やはり動物は極楽浄土には行けないようです。
極楽浄土に行くためには、もう一手間必要なのです。

飼い主に可愛がられた動物は、飼い主が祈ることで、次に人間に生まれ変われることができるのだそうです。そして一旦人間になってから、この世で良い行いをし、それから極楽浄土に行くという道が用意されています。
(宗派によって、捉え方に違いはある模様)

極楽浄土行きはそう簡単ではなさそうですが、それでも仏教の方が動物にはやさしい感じですね。生まれ変わりもあるし。

このような状況ですから、一般的な(信者の多いグローバルな)宗教では、筆者が思い描いていたような、死んでからペットと、天国で劇的再会という願いは叶わないもののようです。

 

 虹の橋、もう一つの解釈

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では、もううちの子とは再会できないのか?
そこで、あの『虹の橋』の詩が大きな意味を持ってきます。

詩には、2つの事が書いてあります。

1.虹の橋は天国の手前にある。
2.動物は飼い主が来るのをそこで待ち、一緒に虹の橋を渡る。

注意深く詩を眺めると、アレと気付く事があります。
死後の世界で再会した飼い主とペットは、”一緒に虹の橋を渡る”と書いてはあるのですが、一緒に天国に行くとは書いてはありません。

つまり虹の橋を渡って、天国とは違う場所に行ったり、天国の門の前でずっと過ごすという解釈もできるわけです。

詩によれば『虹の橋』という場所では、動物は病気が癒されます。そして食べ物も豊富にある満ち足りた場所なのだそうです。ただ一つそこに欠けているのは、大好きな飼い主がいないことだけなのです。

ということは――
飼い主さえ来てくれれば、そこは動物にとっては完全無欠な場所であり、天国と同じようなものだと考えられないでしょうか?
きっとそれは、飼い主にから見ても同じことのように思います。

とすると――
虹の橋は、キリスト教(および他のグローバルな宗教)の教義を外れることなく、ペットと飼い主が一緒に平和に暮らせる、第2の方法を提示しているとも考えられます。

別の言い方をすれば『虹の橋』は、信心深く且つ動物好きな人間にとって、宗教の考えを外れる事のなく、死後にペットと再会できる方法を示した救済措置と言えるのではないでしょうか?

 

 ここであの言葉

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さてここで、ひとつの言葉をご紹介したいと思います。
以前に筆者が書いた記事の中にある言葉――
ウィルロジャース氏の名言です。

もしも人間の言葉が話せたら ――If I Could Talk――

「もし天国に犬がいないなら、私が死んだら、(天国じゃなく)犬が行った場所に行きたい」
―ウィル・ロジャース―

※ウィル・ロジャースは米国のコメディアン、作家、社会評論家

この言葉を、キリスト教の世界観を意識しながら読むと、より意味が深いですよね。
筆者も死んだら、天国よりも、ピーチーが行った場所に行きたいです。

このウィルロジャース氏の言葉に倣って、筆者がこの世で一言残すとしたら、きっとこうです。

「犬を天国に行かせてくれない神様なんて、大嫌い!」

ペットに先立たれた飼い主にとって、愛犬や愛猫と再会できる場所があるのなら、そこがどこであろうと、天国なのかもしれませんね。

 

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文:高栖匡躬
 

――虹の橋についてはこちらの記事に――

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

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