犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

【まとめ】ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編 ③ ~うちの子が旅立つまでのこと~

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ピーチーの闘病記:
肺がん・看取り編 (13話~18話)
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Review
カテゴリー:闘病記
作者:高栖 匡躬 

愛犬を最期にどう送りたいかは、考えておかないといけません。
その日が来た時に、迷いますからね。
それと――、もしも笑って見送ろうとしたら、準備と覚悟が必要でもあり、事前に心に留めておかないと、涙のお別れしかできなくなります。

笑って見送るか、泣いて見送るか?
どうしたいかは、飼い主の生き方そのものみたいな気がします。

犬と飼い主の関係は、その犬の数だけありますから、どれが良いとは言えませんね。
良い送りには運の要素も大きいし、その上に覚悟もいりますね。
ただ、看取りは一瞬ではなく、ある連続した時間に思えてなりません。
愛犬と良い関係を築いていたら、どんなことがあっても、きっと良い別れのように思います。

別れは、いつか必ず通る道なんですよね。
だから、堂々とど真ん中を歩こうと思いました。
苦しいのも、悲しいのも、全部その子がくれるものですからね。

【目次】

 肺がん闘病記

第13話|3月27日、夕方|呼吸が苦しいだけなのに

ピーチーは深刻な状態。
でも――、我が家にはいつも笑いがありました。
トボケタ風貌だから?
ピーチーの性格?
嘆いたり、悲しんだりが、似合わない犬なのでした。
闘病も介護も、多分看取りも――
悪いもんじゃないなあと思っていました。

第13話|追記|良いお別れ

良いお別れは、良い獣医さんがいてくれると助かりますね。
うちは子犬の頃からずっと同じ病院に通い、獣医さんとは仲良しでした。
二次診療、高度医療と、色々と動物病院は経験しましたが、最後の看取りは馴染みの獣医さんと決めていました。

第14話|3月27日、夜|ピーチー恐怖の消防点検

この日は、マンションの消防点検がありました。
火災警報器の動作試験です。
ピーチーは、この警報器の音が好きではありません。
劇症肝炎の治療の副産物で、聞こえなくなっていた耳も復活。
酸素テントのなかで一暴れのピーチーでした。

第15話|3月28日、早朝|また新しい朝を迎えました

前日の夜は、部屋の中でお花見をしました。
お弁当を買ってきて、シャンパンを開けて。

最後は絶対に泣かないと、ずっと前から決めていました。
笑顔で見送ろうとも決めていました。

意識レベルが下がっていくピーチー
少し寂しい思い――

● 

第16話|3月28日、午後|生きようとする意志

ピーチーがひどくつらそうにしている昼ごろ。
安楽死の言葉が、頭をよぎります。
ついにその時か?
決断を仕掛けた時、ピーチーが勢いよく身をよじりました。
「まだ一緒にいたいんだよ、きっと」
「そうだな」
主治医の診療時間が、決断のリミットでした――

第16話|追記|安楽死について

安楽死は人生感や、宗教観や、哲学や、経験の組み合わせで、どんどん考え方が変わるものですからねえ。自分の考え方を探す旅みたいなことろがありますね。

こういうのって、一度最後まで考えとくといいです。
「だから私は選択する」
又は、
「だけど私は選択しない」
ってところまで。

その考えは、変わっても良くて、行ったり来たりするかもしれないけれど、考える度に深くなる気がします。

● 

第17話|3月28日、夜|今夜は一緒に寝ることにします

安楽死を決断するリミットを過ぎました。
ピーチーに、大きな変化はありません。
そしてこの日も、一緒に寝ることにしました。
それは――
ピーチーが悶え苦しみ死ぬかもしれないという可能性を、受け入れることでもあります。
しかし――、それもピーチーらしいと思いました。

別れの時が目の前にある――
その予感がありました。
あるがままを、受け入れよう。
どんなに苦しんでも、きちんとこの目で見届けてやろう。

しかし――
泣かずにいられか?
笑って見送れるか?
そこだけは自信がなくて――
そして、最後の夜が更けていきました。

第17話|追記|泣いて見送る? 笑って見送る?

犬は飼い主の笑顔が大好きで、飼い主を笑顔を生きがいにするのだと言います。
だから、14年7か月そうしてくれた愛犬に、最後のご褒美はなにか? 
って考えた時に、最高の笑顔だろうと思っていました。
泣いて送る、笑って送る、どちらが正しいではなくて、飼い主の生き様そのものみたいに思いますね。

飼い主は、犬猫に育てられますね。
でまた、次の子を飼う。
犬猫を飼うことは、きっと連続しているのだと思います。
失敗は次の子に活かすことで、意味のあるものになっていく。
――だから、後悔はいらないのかな、なんてね。
お前がいたから、この子を幸せにできたって思うと、きっと去って行った子もか飼い主も報われると思うんです。

犬も猫も、飼い主のことが大好きですからねえ。
去る時に、いらないものや、変なものを置いて行くわけがないと思うんです。
今は悲しみにばかり目を奪われていても、誰もがいつか、それが大事なものだったって気付くんだと思います。

寂しさは、楽しめばいい。
後悔は……、忘れちゃえばいい。

最終話|3月29日、昼|さようなら、ピーチー

2年前のこの日――
ピーチーは旅立ちました。
今でも思うのです。
ピーチーは、うちに来るために、生まれてきた子だったのだと。
何にも知らない子犬。
両手に少し余るくらいの、アイパンチの小さな女の子。
その子は、ダンボールに入って、うちにやってきました。

最初は散歩が怖かったのに、いつか疲れも知らずに走り続けるようになった。
食いしん坊で、いつもお腹を減らしていたなあ。
おにぎりを盗み食い。一口で食べて、窒息しそうな時があったっけ。
フリスビーで遊び過ぎ。
骨折しているのに、それでも走ってたよな。

うちに来て、うちにピッタリの子に育って、いつの間にか飼い主を追い越しておばあちゃんになった。
お前、いつもオトボケだったな。

一生を駆け抜けていったピーチー
ピーチーは、喜びを運んできた子。
今も、その喜びは続いています。

最終話|追記|また会いたいね

人間は、無心な犬に教えられてばかりですよね。
泣くのと、笑うのと、どっちでなきゃダメってのじゃないですね。
でも、笑うのは、準備してないとできないから、笑って送る選択肢があることは知った方がいいなと思います。
泣かないと誓ったのに泣いたっていうほうが、唄の文句みたいですね。

看取りの前後の、あの時間は一体何なのでしょうね。
ゆ~~~っくり流れていく時間。
犬は、飼い主が望むように去ってくれるんじゃないかなと思いました。
――だから、飼い主が、こう去って欲しいって、予め考えていないと犬の方が分からないんじゃないですかね? 去り方が。

しかし、かえすがえすも犬という生き物はすごいですねえ。
小さな子犬だったのが、全てを悟ったように、飼い主を気遣って逝くんですからね。
その死は、ちゃんと受け止めてあげて、良い思い出として、時々思い出してあげたいですよね。

犬の最後の最後の頑張りには、「もういいよ」って、ついつい言ってあげたくなります。あの頑張りは、どこから湧いてくるものなのでしょう?

もっと一緒にいたいの?
飼い主への挨拶? 
恩返しみたいに思ってる?

どれにしても、ありがたい。
また会いたいですねえ。

 

 ペットの肺がんをもっと知るには

こちらの記事に、肺がんの概要を解説しています。
はじめて読むのに最適です。

別れに思うこと|その1

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ピーチーは2度大病をし、2度天国の手前までいきました。
そこで思ったことがあります。
犬は常に”生”に一生懸命で、死ぬことなど微塵も恐れていないのだと。
犬はきっと、心を痛める飼主などどこ吹く風で、溌剌と笑顔を振りまきながら、一生を駆け抜けていくものなのですね。

ピーチーとの別れに、用意していた言葉があります。
「またね」
です。別れの言葉なのに、再会を感じさせる言葉。
いつかピーチーを送る時は「またね」と言いたいとブログに書きました。
それから沢山の方が、「またね」で愛犬や、仲間の犬を送ってくださるようになりました。

それとブログには、ピーチーには虹の橋はどうも似合わないなあということも書きました。虹の橋を否定するのではなく、オトボケのピーチーにはセンチメンタル過ぎると思ったのでそう書きました。

ピーチーとの別れの時には、仲間からの「またね」の言葉でコメント欄が埋まりました。虹の橋の言葉を使うことなく。

「またね」で大好きなピーチーを見送ること。
ピーチーは虹の橋には行かないということ。

筆者が別れの前から用意して、ずっと貫いてきたワガママは、最後に叶えられました。

ピーチーは「あー楽しかった、またね!」と言いながら、後も振り向かず駆け去ったと、思っています。
だからピーチーが、向うから会いに来ることはありません。

こちらも「楽しかったな、またな」と伝えました。
だから、後悔はありません。
わが家は、楽しかったのです。
別れに思うこと|その2

今ピーチーがここにいたら、「偉い偉い」と言ってあげたいです。
何というか、飼い主の覚悟が決まって行くのって、犬と二人三脚なんですよねきっと。愛犬は「そろそろかなあ」って心で言っていて、飼い主はそれを肌で感じるのかもしれません。最後まで心は会話をしているんです。
可愛いですねえ、今も――

犬は驚くほどに、真っ直ぐですね。
こちらが慄くほどに。
あのように生きたいですね。お手本です。
だから――
別れもそれにふさわしく

もういちど「またね」のことを。
我が家はピーチーを「またね」で見送りました。
切ないけれど、未来につながる感じがするので、「またね」という言葉が好きです。

「またね」は凄い力をもっているように思います。
「またね」が最後にあると、いろんな言葉が、その光の中に吸収されますね。
だから、思いを沢山話してあげて、「またね」で締めると、全てが希望につながる感じがします。

我が家の看取りで起きたことを、奇跡だと言って下さる方がいます。
看取りの奇跡は良く聞く話ですが、もしかしたらそれって奇跡ではないのかもなあとも思います。

犬や猫を飼う全ての人達は、本当は誰もが奇跡と暮らしているのだと思います。
そもそも、その子と出会ったことが奇跡の確率です。
ものすごく低い確率の出来事は日々起きていて、”ソレ”にふと気が付いた時、「奇跡だ!」って思うかもしれません。
良いものを見させてもらいましたよねえ。
本当に、愛犬には感謝です。

それにしても、犬っていうのはプライドが高い生き物ですよね。
特に、うちではトイレがそうだなって感じました。
飼い主に、元気だよって、見せたいんですよねえ。
犬たちは、飼い主の笑顔が生きがいですからね。
思い出しますねえ。

作:高栖匡躬
解説:高栖匡躬 
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 ▶ 高栖 匡躬:猫の記事 ご紹介

――次のまとめ読み|肺がん・看取り編・その後――

小さな小さなダンボールでうちに来たピーチーは、
少し大きな桐の箱でうちを出て行きました。
笑って見送ったものの、いなくなると何かが足りません。
ペットロスは誰にでもやってくるのですね。
そして今――
寂しいけれども、悲しくはありません。

――前のまとめ読み|肺がん・看取り編――

愛犬愛猫の終末期、飼い主さんの行動は大きく2つに分かれるように思います。
1つは「行かないでくれ」と最後まで願うケース
もう1つは、別れを受け入れて、良い送り方を模索するケース
筆者は後者でした。
どちらが良いのかは分かりません。

――最初のまとめ読み|看取りのときへのプロローグ――

我が家のピーチーは肺がんでした。
爽やかに駆け抜けた一生だったと思います。
今回は前文として、
看取りの記録を残す意義などを――
犬も猫もただ去っていくのではく、何かを残していきますね。
それは、きっと悲しみではないと思うのです。

肺がんの医療記事です 

肺がんを分かりやすく解説した医療記事です。

症状がほとんどない?! 『犬猫の肺がんの実態』

~概要・症状~

~診断方法~

~治療法と予後~

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だから、どうか楽しんで欲しいと思うのです。
今を――

別れは特別なものではない

我々は、看取りの内容に囚われてしまいがちです。
良く看取れたのか? そうでなかったのか?
別れのあとも、ずっとそれを考えてしまいうのです。

別れは特別なものではなくて、生き物には必ず訪れる自然なものです。
必要以上に重要に考えないことが、大切なように思います。

看取りをもっと積極的に捉えられるように、このコラムを書きました。

 

 

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