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【まとめ】ペットの安楽死、考えたことがありますか? ~それは、”生きる”を考えること~

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安楽死について考える。安楽死をしないことについて考える。
安楽死ってどう思う_扉

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カテゴリー:コラム
作者:高栖 匡躬 

皆さんは、ペットの安楽死のことを考えたことはありますか?

愛犬、愛猫がまだ若くて元気なうちは、きっと想像もつかないでしょうね。もしも既に老犬や老猫だったとしたら、『縁起でもない』と考えて、その先に思いをはせることを嫌う方もいるでしょう。

しかしこの安楽死、いざというときに考えようとしても、なかなか出来ることではありません。家族同様の愛犬、愛猫が弱っているときに、そんなことを考えると自己嫌悪に陥ってしまう方が大勢います。

考えてみませんか? 安楽死――

今だからこそ、考えられることかもしれません。

【目次】

問題提起としての安楽死

安楽死

安楽死、どう思いますか?(課題を整理)

大切な愛犬、愛猫――
重い病気になっても、安楽死ってそう簡単には決断できることじゃない。
特に「その時」は――

飼い主っていうのは、命を預かる立場。
だからこそ「その時」には、どっちにするか決めてあげたいなあと思いました。これは心の準備の話。

いただいたご意見に対する回答

自分で経験して思うのですが、すると決める事と、しないと決める事は、同じ重みだなあと思います。

正しいのか、正しくないのか? 正解のない問いですね。
しかし、考えた末の結論ならば、どちらも正解とも言えますよね。
飼い主にとっては、それを徹底的に考えると言うことが、実は正解なのかなとも思います。

しないという決断も、とても重いものですよね。
するにしても、しないにしても、信念がないとできないように思います。
そしてどちらの決断も、その後の葛藤も引き受けるという覚悟とセットですね。

愛情があればあるほど、決断は難しいと思います。
だから選べなくて当然ですよ。
私は事前の覚悟と信念に基づいて、決断した感じでした。

そのことが重荷になって、もう動物は飼えないと考えられている方へ。
どうかまた新しい家族と暮らしてください。
今のお気持ちを、次の子に注いであげて欲しいです。

「あれは間違っていた」となると後悔ですが、
「あれでよかったのか?」はちょっとした心のひっかき傷。
時々思い出して、ちょっぴり痛みを感じて、それを楽しめば良いと思います。
それは、その子がいてくれた証ですからね。癒す必要もないと思います。

安楽死には獣医師の助言もとても大切です。
安楽死を嫌う獣医さんもいますが、闇雲に否定をしない獣医さんは、バランスがとれているという印象です。
救うべきは動物であるのと同時に、飼い主の心でもありますよね。
安楽死が救う、飼い主の心もあるのだと思います。

命に関する答えは、唯一、飼い主の心の中にだけあります。大事なのは答では無くて、それを探す過程にあるように感じます。

痛みは、誇りを奪いますよね。
犬は誇り高い生き物だから、それも大事にしてあげたいですね。
飼い主が生きてくれと願えば、犬はきっと、喜んで痛みに耐えてくれるのだと思うんです。
――でも、だからこその飼い主の決断というのもありますね。

安楽死は、殺生とは違うように思います。
飼い主が心の傷と引き換えに、愛犬の苦しみを取り除く行為とでもいうか。
それと、死は忌むべきものではなく、優しいものだと思います。
奪われるのではなく、差し出す感じ。

安楽死は、もうちょっと一般的でも良いかもしれませんね。
推奨する訳ではないのですが、今はあまりに敷居が高いように感じます。
どちらにしても、唯一の正解は無いのですから、きちんと選択肢として有った方が、逆に冷静に判断ができるように思います。

ペットとの別れのことなのですが、息を引き取る瞬間に立ち会えたかどうかが、とても大切なことのように考える飼い主さんは多いと思います。
確かに、その瞬間は大切にしたいのですが、そればかりが看取りではないと思うのです。
臨終の瞬間に立ち会える人は、実はごくわずかなのだと思います。

別の記事にも書いたことですが、看取りは瞬間ではなく、連続した時間だと思います。「もしや」と思った瞬間から始まっているように思うのです。
だから、臨終の瞬間にそこにいなかったとしても、しっかりと看取れていると思うのです。

「あれで本当に良かったのか?」
看取った後でそう考えるのも、自然なことですね。
すっとそう自分の心に問いかけ続けることは、ペットと今でも繋がっているということでもありますね。
その都度、ちょっとだけ心の傷が痛んで、その傷が愛情の証だと思います。

その心の痛みは、否定しないで楽しんでしまえばいいのではないでしょうか?
我が家は、うちの子がいなくなって2年以上がたちますが、私は今でも愛犬を思い出します。

その度にちょっと寂しい思いをしますが、同時に「ちょっと得した」って気になります。

そんな日は、美味しいものを食べに行きます。
それくらいが、丁度良いように思うのです。

安楽死、ご意見をまとめると

安楽死に関する、飼い主さんたちのご意見をまとめました。
安楽死は唯一の正解が無い問いです。
「その時」を迎えて、迷いながら自分の答えを探すしかない。
だから、考えておいて欲しい。
「その時」がまだ遠い時から。
――自分の心って、自分じゃなかなか分からない。

中間はない。安楽死と自然死の、2択での選択なのだと思う

筆者の愛犬ピーチーの主治医は、安楽死は否定はせず、飼い主の様子を見ながら勧めてくれるような方でした。セカンドオピニオンを得ていた別の医師は、欧米の経験が長いので、積極的に考える方でした。
安楽死を肯定する専門家が身近にいる方が、むしろ冷静に判断できるように思いました。

安楽死は、飼い主さんが悩んで出した結論なら、どちらも正解ですよね。
私は安楽死を選択する/しないの2択ではなく、実は安楽死を選択する/自然死を選択するの2択なのだと思うのです。

安楽死と自然死、どちらも飼い主の選択をなのだと考えると、どちらもものすごい覚悟が求められているということに気付くのです。

 

 安楽死についての記事

安楽死

別れは特別なものでなく(1話)|飼い主にゆだねられる選択 
【延命治療/安楽死/蘇生措置】

犬を飼い始めた時、別れの時は遥か未来の話でした。
しかし、あっという間に楽しい時間は過ぎて、その時が――
子犬でうちに来たのは、つい昨日のことのよう。

愛犬を看取ってみて思うのは、看取りは良い思い出だったということ。
視点を変えれば、つらい思いって、無いんじゃないかな?
そんなことを考えた記事です。

別れは特別なものでなく(2話)|命を預かる本望 
【何度もしかけた安楽死】

ペットの闘病は、全てにおいて飼い主の選択に委ねられますね。
治療をする/しないに始まり、どんな治療法を選ぶのかまで。

筆者の愛犬ピーチーの3度めの闘病は、『闘わない』という選択をしました。
他の選択肢はゼロではありませんでした。
しかし、敢えて闘わないことにしました。

「あれで良かった?」
今も時々自問をします。
しかし、それと同時に、闘わない決断を自分でしたことに対して、
『本望である』とも思っているのです。

 

 安楽死を描いたエッセイ、闘病記

安楽死

ラフと歩いた日々(第3話)|消えない光、ごめんね

闘病を続けるラフを、突如痙攣が襲う。
「うん、うん、ごめんね、苦しいよね、ごめん」
涙が止まらない。
命って何だろう? 飼い主って何だろう?
一緒に生きるって、どういうことなんだろう?
そんなことを考えたくなる話。
その時、家族の選択は?

愛犬たちへの感謝|わたしが考える安楽死

意見が別れるテーマですが、
作者のゆうすけパパは、否定すべきでないという考え。

私もそうです。
それを認めることで看取る心にゆとりがきて、最後まで愛犬らしく、飼主らしくあることを支えてくれます。

実行するしないは後の話。
皆さんはどう思いますか?

テツへの手紙(第2話)|覚えている? 楽しかったね

幸せな日々。
優しくて、誰からも愛されるテツ。
しかし10歳を迎え、テツは衰えが目だってきます。
11歳、衰えは更に――
「テツが苦しんで最期を迎えるのは可哀想……」
――家族の葛藤の始まりでした。
生きるってどういいこと?
愛するってどういうこと?

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ピーチーの闘病記(第16話)|生きようとする意志

ピーチーがひどくつらそうにしている昼ごろ。
安楽死の言葉が、頭をよぎります。
ついにその時か?
決断を仕掛けた時、ピーチーが勢いよく身をよじりました。
「まだ一緒にいたいんだよ、きっと」
「そうだな」
主治医の診療時間が、決断のリミットでした――

● 

ピーチーの闘病記(第17話)|今夜は一緒に寝ることにします

安楽死を決断するリミットを過ぎました。
ピーチーに、大きな変化はありません。
そしてこの日も、一緒に寝ることにしました。
それは――
ピーチーが悶え苦しみ死ぬかもしれないという可能性を、受け入れることでもあります。
しかし――、それもピーチーらしいと思いました。

別れの時が目の前にある――
その予感がありました。
あるがままを、受け入れよう。
どんなに苦しんでも、きちんとこの目で見届けてやろう。

しかし――
泣かずにいられか?
笑って見送れるか?
そこだけは自信がなくて――
そして、最後の夜が更けていきました。

 記事配信前の予告編

安楽死ってどう思う?

今日はちょっと難しいテーマ、安楽死について――
賛否両論ですが、みなさんはどう思いますか?
安楽死は、”選ぶ”という”決断”に注目が集まりがちですね。
でも――
その対極の、”選ばない”という選択も、実は大きな”決断”なんです。
”選ばない”は、”選べない”とはちょっと違う。 

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 あとがき

別れについて考える

結局、その当事者となったときに真っ新な状態では、安楽死は選択できないものなのです。もしもその選択をする可能性があるのなら、少しだけでもそのことを考えておく必要があるように思います。

ペットの安楽死は、深く考えることもせずに反対の立場をとる方も大勢います。
しかしそれは、もったいない話だと筆者は思います。

安楽死を考えることは、愛犬や愛猫を ”死なせる” ことではありません。”どう生かすか” を考えることと同じです。それは一度考えてみると、きっとお分かりになると思います。

する/しないは、その時に決めればよいことなのです。

――高栖匡躬 ――

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作:高栖匡躬
解説:高栖匡躬 
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終末期を楽しむという選択

飼い主にとって、愛犬との別れが近い時期は、肌でそれを感じるものです。
では、その時をどう過ごすか? それを考えた記事です。
今は苦しいかもしれないけれど、愛犬が去った未来に振り返ると、今は幸せの真っ只中にいるのです。
だから、どうか楽しんで欲しいと思うのです。
今を――

別れは特別なものでなく

我々は、看取りの内容に囚われてしまいがちです。
良く看取れたのか? そうでなかったのか?
別れのあとも、ずっとそれを考えてしまいうのです。

別れは特別なものではなくて、生き物には必ず訪れる自然なものです。
必要以上に重要に考えないことが、大切なように思います。

看取りをもっと積極的に捉えられるように、このコラムを書きました。

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