犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

【まとめ】ようこそペットロス ~寂しいけれど、悲しくないよ~【体験談】

【関連コンテンツ】

満足のできる別れはあるのです
ようこそペットロス

Review
カテゴリー:コラム
作者:高栖 匡躬 

ペットを亡くした飼い主に訪れるのが、ペットロスです。
重い/軽い、或いは、短い./長引くの差はあれど、例外なく誰もが経験するものです。当然ながら、筆者も経験しました。

経験した立場で言うと、筆者のペットロスは重くは無かったし、長引きもしませんでした。それは ”別れ” 一部であり、ペットを飼うという行為の中で、無くてはならないことなのだと感じました。今となれば、あって良かったとさえ思えるほどです。

しかしながら、このペットロス。誰もが経験する割に、必要以上に嫌われているように思います。悩み続けている方も大勢います。

ペットロスは他人には理解のできない、主観的なものであるように思います。
しかし――、だからこそ――
”別れ” 或いは ”死” に対するイメージが変われば、ペットロスの大きさも変わってくるものではないかと思いました。

このコラムは、そんなことを考えながら書いたものです。
どうか読んでみてください。

こんな方に:
ペットロスからなかなか抜け出せない|将来のペットロスが不安|ペットとの別れ(死別)が怖い|経験者の話を聞きたい

【目次】

 別れのあとさき/飼い主だからできること

安楽死

1話|ペットロスは誰にもやってくる

ペットロスは誰もが経験するものです。
それで悩む方が多いものでもあります。
筆者のペットロスは、比較的軽かったと思います。
むしろ――、それを楽しんだのかも。
なぜそうだったか?
それを考えた記事です。
ちょっとは参考になるかもしれません。

2話|覚悟はゆっくり1つずつ

送りに向けて、小さな覚悟を1つ1つ積み上げていきました。
愛犬の衰えを受け入れ――、別れが近い事を受け入れ――
諦めではなく、肯定を
悲観ではなく、前向きに
とても一度に受け止めらきれない大きさ。
”その日”に向けて、心が準備をはじめました。

3話|安心して行っていいよ

「その日」は迫ってきます。
それは肌で感じることができます。

まずは、悲しまないと決めました。
安心して逝かせてやりたい。だとしたらどうしたらいい?
苦しませたくはない。だから安楽死は受け入れよう。前向きな手段として――
そうやって覚悟を積み上げて――
最後は、笑顔で送ってやりました。
我が家の体験談です。

4話|今は思い出の中にいる

死に抱くイメージは人それぞれ。
筆者は優しい羽毛のように感じます。
奪われるのではなく、差し出す行為なんだと思うのです。
救いでもありますね。
愛犬を思い出すと、今も心にチクリと痛みが走ります。
そんなとき、『得したな』と思うのです。

 

 さようならペットロス

安楽死

ネットを検索すると、ペットロスの克服法という記事が沢山出てきます。
それを読む都度思うことがあります。

「これを書いた人たちは、本当にペットロスを経験しただろうか?」

同じ内容ばかりで、類型的過ぎて、心に響いてこない。
誰かの意見を鵜呑みにして、流用しているようにも思えてきます。

そんなことを思ったときのツイートです。
(一部追記しています)

ペットロスの克服法?|①

ネットを検索したら、ペットロスの克服法が沢山出てきます。
これを書いた人た、本当に経験したの?

思い切り泣けばいい?
誰かに話せばいい?

そんなのは嘘っぱちだと思います。
いやいや、それは言い過ぎか。
全体の中の一部の真実でしかないように思えます。

そんな単純なことで片付くわけがない。
そんな単純に片付けてほしくない。

愛犬愛猫の死は、体の一部が持ち去られるのと同じこと。
生きたまま、持っていかれるから痛いのです。

ペットロスの克服法?|②

「泣いたら負けだ、泣かないぞ」
そう思って立ち直る人もいる。実はこれは筆者。
誰にも言わないことで、心が折れない人もいる。これも筆者。

痛みに耐える方法は、皆違うんだよ。
泣いていたら――
誰かに話していたら――
きっと今ごろはまだ、ペットロスのど真ん中だよ。

ペットロスの克服法?|③

誰かが上手くいった方法は、ただの体験談の1つで、処方箋じゃない。
あなたは、あなたなりの方法を見つけるしかないんだ。
――でも、その方法はきっと見つかる。
たった一つの事実から始めればいいだけだ。
愛犬、愛猫は死んだ。
でも、私は生きる。
じゃあ、どう生きる?

ペットロスの克服法?|④

あの子がいて楽しかった。
あの子がいて幸せだった。
じゃあ、今はどう?
あの子がいてくれたから、今も楽しい。
あの子がいてくれたから、今も幸せだ。
そう思ってあげたいよね?
「今も幸せなんだ」
そう思える心の落ち付け所を探すのが、
飼い主の、心の旅だと思う。

ペットロスの克服法?|⑤

方法は一つだけじゃない。
思い切り泣くもいい。
誰かに話すもいい。
泣かないで、黙するのもいい。
その方法は教えてあげられない。あなたが自分で探すしかない。
でも、安心していい。答えは最初から分かっているから。

「あの子がいたから、今も幸せなんだ」
それが答え。

後は、その答えに合う問いを、探すだけだ。

f:id:masami_takasu:20190127081415g:plain

 

 みんなのペットロス

安楽死

この項では、実際にペットロスの体験談をまとめています。

「誰かのペットロスは、私のペットロスとは違う」
「でも私が感じるペットロスは、皆が抱える悩みと同じ場所にある」
「悩んでいるのは、私だけではない」

そんな風に思っていただけると嬉しいです。

きみがここにいた意味、今ここにいない意味

愛犬ラフの去り方を決めたのは自分でした。それはとても自然に――
その存在が消えた空間で、無意識にラフを探す日々。
やがてラフとの別れに、意味が生まれ始めます。
本作は、犬を亡くした飼い主の、心の再生を描く作品。
ペットロスに悩む方々に読んでいただきたいです。

● 

これもペットロスなのかな? 早く戻っておいで、Mack

愛犬、愛猫を亡くすと、誰しも経験するのペットロス。
度合いはそれぞれで、掛けた愛情の大きさに比例するものでもありません。
ただ、少しばかり、人生感は影響しているようにも思います。
無常を受け入れる心――、とでもいうのでしょうか?

うちでは幸いにして、深刻なペットロスはありませんでした。
心に出来た傷を、外から眺めているような不思議な感覚があり、それを観察する度にうちの子を想いました。
それは、思っていたほど悪いものではありませんでした。
そしてそれは――、今も続いています。

● 

大好きだった自転車

笑って見送りはできたものの――
やっぱり寂しい。

当たり前ですが、何かが足りません。
ペットロスというのは、誰にもやってくるものなのですね。
悲しみはそこにはなくて、ただポッカリと開いた穴。
良く話に聞く喪失感とも、ちょっと違う気がしました。

● 

君がいなくなってから

愛犬ゆうすけとの別れから5か月。
慰霊祭の日、遺骨を納骨堂に納めるかどうか迷う飼い主。
しかし――、そこで不思議な事が起きます。

愛犬に思いを馳せる飼い主。
色んなことがありました。
楽しい思い出ばかり。

そう、愛犬はいつまでも一緒なんだよ。

● 

ソーニャと思い出のぬいぐるみ

四十九日で一区切り。
時間が経てば、寂しさや悲しみは薄れるのかと思いきや、全然そうではなく――
思えば8年前のことでした――
ソーニャを迎えたのは――
思い出すのは、つらいけれど、楽しい気持ちにもなります

 

 もう一度、君を迎えよう

安楽死

この項では、ペットを亡くした飼い主たちが、ペットロスを乗り越えて、もう一度新しい子を迎えるまでの気持ちをまとめました。

ペットロスを乗り越えるには、次の子を迎えるのが一番とは良く聞く話です。
しかし、次の子というのもそう単純な話ではない。
次の子は次の子なりに、色々な葛藤があるものなのです。

ボスがいなくなってから|新しい出会い

ボスを亡くしたかあちゃん。
さみしい、さみしい、さみしい……
ついボスを探してしまう、毎日――
そんな時、ボスが夢に出て来て言ったのでした。
『俺幸せだった次の子迎えて』
――かあちゃんは、号泣
そして運命の電話が――
「ホープ、うちの子になる?」

アンジュがうちの子になったのは

自分の目の前で、先代犬のバーディーを亡くした作者は、バーディーの体調が悪かったことに気付かなかった自分を責め、涙の日々を送っていました。
そんな中で見つけた、バーディーの血統書。
それを辿ると、自分のブログ仲間の犬たちが、実は血のつながりがある事が分かります。命の繋がりに驚く作者。

やがて奥様が、1つの提案をしてきます。

花ちゃんがうちの子になったのは

同じ年に家族になった『ちょび、ごはん、おかず』が、同じ年に天使に――
やがて作者は、その年生まれの子犬を見つけます。
「生まれ変わりだったら嬉しいな」
額に皺をよせて困った顔の子。
それが、花ちゃんとの出会いでした。

 

 もう一度、君を迎えよう(番外編)

安楽死

ペットロスを乗り越えてはいるものの、「やはり次の子を迎えるのはやめよう」と思うお話です。

正確に言えば次の子を迎えるために、紹介された保護犬を、悩みながら諦めたお話。
やはり、次の子は次の子なりの葛藤があるのです。

【里親】幸せになるんだよ

先日、ブルテリアの里親募集を目にしました。
我が家はピーチーが去って2年半が過ぎて、次の子のことを考えないでもない状態。
迎えてあげたいなあと思いながらも、心に引っ掛かることがある。
「またうちに来いよ」
と言ったのだ。だから約束だ。
待ってあげなくちゃと思うのだ。

 

もう一度、犬を飼うということ

安楽死

『犬を飼うということ』と、『もう一度、犬を飼うこいうこと』は、似ているようで心情には微妙な(人によっては大きな)違いがあります。

ペットロスを癒すために、もう一度犬を飼うのか?
それとも、ペットロスが癒えたので、もう一度犬を飼うのか?

飼い主達の考えたかは、それぞれ違っています。

そこには、初めてとは違う葛藤があって

愛犬ピーチーが去って、3年が経ちました。
少しだけ寂しいのですが、その寂しさを楽しむ毎日。
次の子は?
考えないでもないのですが、是非にという気持ちでもなくて――
そんな中で、1枚の写真が送られてきました。
少しだけ、心が動きました。

 あとがき

ペットロスついて考える

愛犬ピーチーが去って3年が過ぎました。
冒頭にも少し書いたことですが、今の筆者にとってはあって良かったもの。例えれば、料理にかけるスパイスのような気持ちです。
平均寿命15年の犬や猫の一生のうち、ピリッと辛い、或いは苦い一時期があって、ペット飼うという行動が一巡するようにも思うのです。

しかしこのペットロス。誰もが経験する割に、必要以上に嫌われているように思えます。最近思うのは、もしかすると”死”に対するイメージと、ペットロスは密接かもしれないということです。別の言い方をすると、個人個人が持つ”死”へのイメージの良し悪しが、ペットロスの重い/軽いや、短い./長引くの違いになっているのかもしれません。

もしかしたら、”死”に対するイメージが変われば、ペットロスに対する印象も変わるのかもしれないな。そう思いながら書き始めたのが、一連の記事でした。

本作の関連記事では、『別れは特別なものでなく』という一連のシリーズもあります。合わせてお読みいただくと、ペットロスは変わるかもしれません。

そうなることを願いながら。

――高栖匡躬 ――

● 

作:高栖匡躬
解説:高栖匡躬 
 ▶プロフィール
 ▶ 作者の一言
 ▶ 高栖 匡躬:犬の記事 ご紹介
 ▶ 高栖 匡躬:猫の記事 ご紹介

 同じ作者のまとめ読みです

別れは特別なものではない――

我々は、看取りの内容に囚われてしまいがちです。
良く看取れたのか? そうでなかったのか?
別れのあとも、ずっとそれを考えてしまいうのです。

別れは特別なものではなくて、生き物には必ず訪れる自然なものです。
必要以上に重要に考えないことが、大切なように思います。

看取りをもっと積極的に捉えられるように、このコラムを書きました。

ペットの安楽死、考えたことがありますか?

ペットの安楽死について、考えたことがありますか?
多くの方は、考えたくもないというのが、正直な気持ちでしょうか?

誤解されやすいのですが、安楽死は”死なせる”ことではありません。
どうやって生かすかを、正面から見据えることでもあります。
安楽死を意識した途端に、ペットの生は輝くのです。

安楽死は、事前に深く深く考えておかないと、「その時」に、
”する/しない”の選択ができなくなります。
思考が止まるからです。

賛成も反対も、ご意見があることでしょう。
一緒に考えてみませんか。安楽死について。

視点の変化で闘病は変わる

ペットの闘病は気持ちの持ち方次第で、楽しくもなるし、苦しいだけにもなります。
愛犬を亡くした飼い主さんなら、分かるはず。
振り返れば、愛犬がそこにいてくれただけで良かったんだと。
闘病中は、幸せの中にいるのです。

虹の橋の詩を、をより深く味わうために

『虹の橋』は広く知られています。
しかしながら、『虹の橋』の言葉は、間違えて使われるケースがよくあります。
「虹の橋を渡った」という使い方が、もっとも多く見受けられる誤用です。
『虹の橋』は真意を理解した方が、より深い感動があります。
一度この記事をご覧になってみてください。

 

© 2017 Peachy All rights reserved.