満足のできる別れはあるのです
Review
カテゴリー:コラム
作者:高栖 匡躬
ペットを亡くした飼い主に訪れるのが、ペットロスです。
重い/軽い、或いは、短い./長引くの差はあれど、例外なく誰もが経験するものです。当然ながら、筆者も経験しました。
経験した立場で言うと、筆者のペットロスは重くは無かったし、長引きもしませんでした。それは ”別れ” 一部であり、ペットを飼うという行為の中で、無くてはならないことなのだと感じました。今となれば、あって良かったとさえ思えるほどです。
しかしながら、このペットロス。誰もが経験する割に、必要以上に嫌われているように思います。悩み続けている方も大勢います。
ペットロスは他人には理解のできない、主観的なものであるように思います。
しかし――、だからこそ――
”別れ” 或いは ”死” に対するイメージが変われば、ペットロスの大きさも変わってくるものではないかと思いました。
このコラムは、そんなことを考えながら書いたものです。
どうか読んでみてください。
ペットロスからなかなか抜け出せない|将来のペットロスが不安|ペットとの別れ(死別)が怖い|経験者の話を聞きたい
【目次】
- 満足のできる別れはあるのです
- 別れのあとさき/飼い主だからできること
- さようならペットロス
- みんなのペットロス
- もう一度、君を迎えよう
- もう一度、君を迎えよう(番外編)
- もう一度、犬を飼うということ
- あとがき
- 同じ作者のまとめ読みです
別れのあとさき/飼い主だからできること
1話|ペットロスは誰にもやってくる
ペットロスは誰もが経験するものです。
それで悩む方が多いものでもあります。
筆者のペットロスは、比較的軽かったと思います。
むしろ――、それを楽しんだのかも。
なぜそうだったか?
それを考えた記事です。
ちょっとは参考になるかもしれません。
●
2話|覚悟はゆっくり1つずつ
送りに向けて、小さな覚悟を1つ1つ積み上げていきました。
愛犬の衰えを受け入れ――、別れが近い事を受け入れ――
諦めではなく、肯定を
悲観ではなく、前向きに
とても一度に受け止めらきれない大きさ。
”その日”に向けて、心が準備をはじめました。
●
3話|安心して行っていいよ
「その日」は迫ってきます。
それは肌で感じることができます。
まずは、悲しまないと決めました。
安心して逝かせてやりたい。だとしたらどうしたらいい?
苦しませたくはない。だから安楽死は受け入れよう。前向きな手段として――
そうやって覚悟を積み上げて――
最後は、笑顔で送ってやりました。
我が家の体験談です。
●
4話|今は思い出の中にいる
死に抱くイメージは人それぞれ。
筆者は優しい羽毛のように感じます。
奪われるのではなく、差し出す行為なんだと思うのです。
救いでもありますね。
愛犬を思い出すと、今も心にチクリと痛みが走ります。
そんなとき、『得したな』と思うのです。
さようならペットロス
ネットを検索すると、ペットロスの克服法という記事が沢山出てきます。
それを読む都度思うことがあります。
「これを書いた人たちは、本当にペットロスを経験しただろうか?」
同じ内容ばかりで、類型的過ぎて、心に響いてこない。
誰かの意見を鵜呑みにして、流用しているようにも思えてきます。
そんなことを思ったときのツイートです。
(一部追記しています)
●
ペットロスの克服法?|①
ネットを検索したら、ペットロスの克服法が沢山出てきます。
これを書いた人た、本当に経験したの?
思い切り泣けばいい?
誰かに話せばいい?
そんなのは嘘っぱちだと思います。
いやいや、それは言い過ぎか。
全体の中の一部の真実でしかないように思えます。
そんな単純なことで片付くわけがない。
そんな単純に片付けてほしくない。
愛犬愛猫の死は、体の一部が持ち去られるのと同じこと。
生きたまま、持っていかれるから痛いのです。
▼
ペットロスの克服法?|②
「泣いたら負けだ、泣かないぞ」
そう思って立ち直る人もいる。実はこれは筆者。
誰にも言わないことで、心が折れない人もいる。これも筆者。
痛みに耐える方法は、皆違うんだよ。
泣いていたら――
誰かに話していたら――
きっと今ごろはまだ、ペットロスのど真ん中だよ。
▼
ペットロスの克服法?|③
誰かが上手くいった方法は、ただの体験談の1つで、処方箋じゃない。
あなたは、あなたなりの方法を見つけるしかないんだ。
――でも、その方法はきっと見つかる。
たった一つの事実から始めればいいだけだ。
愛犬、愛猫は死んだ。
でも、私は生きる。
じゃあ、どう生きる?
▼
ペットロスの克服法?|④
あの子がいて楽しかった。
あの子がいて幸せだった。
じゃあ、今はどう?
あの子がいてくれたから、今も楽しい。
あの子がいてくれたから、今も幸せだ。
そう思ってあげたいよね?
「今も幸せなんだ」
そう思える心の落ち付け所を探すのが、
飼い主の、心の旅だと思う。
▼
ペットロスの克服法?|⑤
方法は一つだけじゃない。
思い切り泣くもいい。
誰かに話すもいい。
泣かないで、黙するのもいい。
その方法は教えてあげられない。あなたが自分で探すしかない。
でも、安心していい。答えは最初から分かっているから。
「あの子がいたから、今も幸せなんだ」
それが答え。
後は、その答えに合う問いを、探すだけだ。
みんなのペットロス
この項では、実際にペットロスの体験談をまとめています。
「誰かのペットロスは、私のペットロスとは違う」
「でも私が感じるペットロスは、皆が抱える悩みと同じ場所にある」
「悩んでいるのは、私だけではない」
そんな風に思っていただけると嬉しいです。
●
きみがここにいた意味、今ここにいない意味
愛犬ラフの去り方を決めたのは自分でした。それはとても自然に――
その存在が消えた空間で、無意識にラフを探す日々。
やがてラフとの別れに、意味が生まれ始めます。
本作は、犬を亡くした飼い主の、心の再生を描く作品。
ペットロスに悩む方々に読んでいただきたいです。
●
これもペットロスなのかな? 早く戻っておいで、Mack
愛犬、愛猫を亡くすと、誰しも経験するのペットロス。
度合いはそれぞれで、掛けた愛情の大きさに比例するものでもありません。
ただ、少しばかり、人生感は影響しているようにも思います。
無常を受け入れる心――、とでもいうのでしょうか?
うちでは幸いにして、深刻なペットロスはありませんでした。
心に出来た傷を、外から眺めているような不思議な感覚があり、それを観察する度にうちの子を想いました。
それは、思っていたほど悪いものではありませんでした。
そしてそれは――、今も続いています。
●
大好きだった自転車
笑って見送りはできたものの――
やっぱり寂しい。
当たり前ですが、何かが足りません。
ペットロスというのは、誰にもやってくるものなのですね。
悲しみはそこにはなくて、ただポッカリと開いた穴。
良く話に聞く喪失感とも、ちょっと違う気がしました。
●
君がいなくなってから
愛犬ゆうすけとの別れから5か月。
慰霊祭の日、遺骨を納骨堂に納めるかどうか迷う飼い主。
しかし――、そこで不思議な事が起きます。
愛犬に思いを馳せる飼い主。
色んなことがありました。
楽しい思い出ばかり。
そう、愛犬はいつまでも一緒なんだよ。
●
ソーニャと思い出のぬいぐるみ
四十九日で一区切り。
時間が経てば、寂しさや悲しみは薄れるのかと思いきや、全然そうではなく――
思えば8年前のことでした――
ソーニャを迎えたのは――
思い出すのは、つらいけれど、楽しい気持ちにもなります
もう一度、君を迎えよう
この項では、ペットを亡くした飼い主たちが、ペットロスを乗り越えて、もう一度新しい子を迎えるまでの気持ちをまとめました。
ペットロスを乗り越えるには、次の子を迎えるのが一番とは良く聞く話です。
しかし、次の子というのもそう単純な話ではない。
次の子は次の子なりに、色々な葛藤があるものなのです。
●
ボスがいなくなってから|新しい出会い
ボスを亡くしたかあちゃん。
さみしい、さみしい、さみしい……
ついボスを探してしまう、毎日――
そんな時、ボスが夢に出て来て言ったのでした。
『俺幸せだった次の子迎えて』
――かあちゃんは、号泣
そして運命の電話が――
「ホープ、うちの子になる?」
●
アンジュがうちの子になったのは
自分の目の前で、先代犬のバーディーを亡くした作者は、バーディーの体調が悪かったことに気付かなかった自分を責め、涙の日々を送っていました。
そんな中で見つけた、バーディーの血統書。
それを辿ると、自分のブログ仲間の犬たちが、実は血のつながりがある事が分かります。命の繋がりに驚く作者。
やがて奥様が、1つの提案をしてきます。
●
花ちゃんがうちの子になったのは
同じ年に家族になった『ちょび、ごはん、おかず』が、同じ年に天使に――
やがて作者は、その年生まれの子犬を見つけます。
「生まれ変わりだったら嬉しいな」
額に皺をよせて困った顔の子。
それが、花ちゃんとの出会いでした。
もう一度、君を迎えよう(番外編)
ペットロスを乗り越えてはいるものの、「やはり次の子を迎えるのはやめよう」と思うお話です。
正確に言えば次の子を迎えるために、紹介された保護犬を、悩みながら諦めたお話。
やはり、次の子は次の子なりの葛藤があるのです。
●
【里親】幸せになるんだよ
先日、ブルテリアの里親募集を目にしました。
我が家はピーチーが去って2年半が過ぎて、次の子のことを考えないでもない状態。
迎えてあげたいなあと思いながらも、心に引っ掛かることがある。
「またうちに来いよ」
と言ったのだ。だから約束だ。
待ってあげなくちゃと思うのだ。
もう一度、犬を飼うということ
『犬を飼うということ』と、『もう一度、犬を飼うこいうこと』は、似ているようで心情には微妙な(人によっては大きな)違いがあります。
ペットロスを癒すために、もう一度犬を飼うのか?
それとも、ペットロスが癒えたので、もう一度犬を飼うのか?
飼い主達の考えたかは、それぞれ違っています。
●
そこには、初めてとは違う葛藤があって
愛犬ピーチーが去って、3年が経ちました。
少しだけ寂しいのですが、その寂しさを楽しむ毎日。
次の子は?
考えないでもないのですが、是非にという気持ちでもなくて――
そんな中で、1枚の写真が送られてきました。
少しだけ、心が動きました。
●
あとがき
ペットロスついて考える
愛犬ピーチーが去って3年が過ぎました。
冒頭にも少し書いたことですが、今の筆者にとってはあって良かったもの。例えれば、料理にかけるスパイスのような気持ちです。
平均寿命15年の犬や猫の一生のうち、ピリッと辛い、或いは苦い一時期があって、ペット飼うという行動が一巡するようにも思うのです。
しかしこのペットロス。誰もが経験する割に、必要以上に嫌われているように思えます。最近思うのは、もしかすると”死”に対するイメージと、ペットロスは密接かもしれないということです。別の言い方をすると、個人個人が持つ”死”へのイメージの良し悪しが、ペットロスの重い/軽いや、短い./長引くの違いになっているのかもしれません。
もしかしたら、”死”に対するイメージが変われば、ペットロスに対する印象も変わるのかもしれないな。そう思いながら書き始めたのが、一連の記事でした。
本作の関連記事では、『別れは特別なものでなく』という一連のシリーズもあります。合わせてお読みいただくと、ペットロスは変わるかもしれません。
そうなることを願いながら。
――高栖匡躬 ――●
作:高栖匡躬
解説:高栖匡躬
▶プロフィール
▶ 作者の一言
▶ 高栖 匡躬:犬の記事 ご紹介
▶ 高栖 匡躬:猫の記事 ご紹介
Follow @peachy_love
●
同じ作者のまとめ読みです
別れは特別なものではない――
我々は、看取りの内容に囚われてしまいがちです。
良く看取れたのか? そうでなかったのか?
別れのあとも、ずっとそれを考えてしまいうのです。
別れは特別なものではなくて、生き物には必ず訪れる自然なものです。
必要以上に重要に考えないことが、大切なように思います。
看取りをもっと積極的に捉えられるように、このコラムを書きました。
ペットの安楽死、考えたことがありますか?
ペットの安楽死について、考えたことがありますか?
多くの方は、考えたくもないというのが、正直な気持ちでしょうか?
誤解されやすいのですが、安楽死は”死なせる”ことではありません。
どうやって生かすかを、正面から見据えることでもあります。
安楽死を意識した途端に、ペットの生は輝くのです。
安楽死は、事前に深く深く考えておかないと、「その時」に、
”する/しない”の選択ができなくなります。
思考が止まるからです。
賛成も反対も、ご意見があることでしょう。
一緒に考えてみませんか。安楽死について。
視点の変化で闘病は変わる
ペットの闘病は気持ちの持ち方次第で、楽しくもなるし、苦しいだけにもなります。
愛犬を亡くした飼い主さんなら、分かるはず。
振り返れば、愛犬がそこにいてくれただけで良かったんだと。
闘病中は、幸せの中にいるのです。
虹の橋の詩を、をより深く味わうために
『虹の橋』は広く知られています。
しかしながら、『虹の橋』の言葉は、間違えて使われるケースがよくあります。
「虹の橋を渡った」という使い方が、もっとも多く見受けられる誤用です。
『虹の橋』は真意を理解した方が、より深い感動があります。
一度この記事をご覧になってみてください。