それは、飼い主の思いをすべて含んだ言葉

『犬を飼うということ』は言うまでもなく、当サイトの日本語タイトルです。いつもは英文表記の方の、Withdogの方を使うことが多いです。
それだからというわけでもないのですが、そういえば『犬を飼うということ』という題名の記事を、これまで一度も書いていませんでした。
何となく当たり前過ぎて、すっかり意識の外にあったんですね。
そんなことを考えていたら、サイト名を決めた時のことを思い出しました。
『犬を飼うということ』は、色々な意味を込めた言葉だったということも。
『犬を飼う』ということ
『犬を飼うということ』は、筆者がずっと前から温めていた題名でした。いつか犬を題材にした作品を書くときに、その題名を使おうと思っていたものです。
短い言葉の中に、犬を飼う喜びも、一緒に暮らす楽しさも、別れの悲しさも、そのあとで感じる寂しさも含まれる言葉です。思いついた時には、『ヤッタ!』と思いました。
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この題名を思いついたきっかけは、漫画家(劇画家)の谷口ジロー氏の作品『犬を飼う』でした。同郷である谷口氏のファンであった筆者は、一時は谷口氏の全作品を買い集めていました。もちろん筆者が所有している『犬を飼う』は、発売と同時に買っているので、初版本です。
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これが『犬を飼う』
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『犬を飼う』は、それまで主にハードボイルド作品を描いていた谷口氏の新境地で、都心から田舎の一軒家に引っ越したイラストレーターが、念願であった犬を飼う話です。
子犬の頃から、老犬になって、旅立つまでが情感豊かに語られる名作です。
僅か40ページの作品なのに、小説を1冊読んだような気持ちにさせられます。
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単に犬が可愛いではなく、生き物と相対する人間の気持ちの襞が丁寧に描かれています。特に素晴らしいのは、作品全体を流れる無常観だと思います。文章には行間を読むという言い方がありますが、まさにそれを漫画で行ったもの。コマ間を読むマンガ。
とても感動しました。
子供の頃に3度犬を飼った筆者ですが、当時は犬を飼っていませんでした。
しかし、いつかまた犬を飼うことになったら、『犬を飼う』のように犬を愛そうと誓ったのでした。
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その後TVドラマで『犬を飼うということ』が、先に題名で使われてしまうのですが、それはまあご愛敬です。半分はやられたと思いましたが、あと半分は、きっとこの番組の脚本家も、谷口氏の『犬を飼う』を読んだに違いないと思い、勝手に連帯感を抱きました。
TV番組の方は、リアルタイムで全話を見ました。
一度も録画することなく、きちんと番組の開始時間にTVをつけました。
関ジャニ∞の錦戸亮主演でなかなか良かったのですが、欲を言うと、もっと飼い主の心情の揺れを描いて欲しいと思いました。谷口氏の『犬を飼う』全体に流れていた、無常観はそこにはほとんどありませんでした。
ピーチーがうちにきた
その後筆者は、ピーチーを飼いました。
ピーチーは歴代4匹目の犬でしたが、今風の飼い方をした1匹目でもありました。ピーチーとの暮らしは素晴らしいものでした。
筆者はピーチーが来てからも、繰り返し『犬を飼う』を読みました。通算で読んだ回数は、1000回には届かないとは思いますが、数百回であることは間違いないでしょう。
読むたびに、かくありたい、かくあるべきと肝に銘じました。
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やがてピーチーは病気になりました。
最初は急性膵炎で、それから胆管閉塞を併発し、主治医からは安楽死を暗に勧められたほどに緊迫した状況でした。その様子は闘病記(胆管閉塞|闘病記)に書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。
辛くも難を逃れたピーチー。すっかり元気になって、以前と変わらぬほど元気になるのですが、2年が過ぎようとしたときに突然の発作。癲癇を発症したのでした。そこからは、次々と病気が襲ってきました。一番大きな病気は劇症肝炎です。その時の闘病記もこちら(劇症肝炎|闘病記)にあります。この時も主治医からは安楽死を薦められましたが、ピーチーは戻ってきました。
思い出のエッセイ『犬を飼うということ』
ピーチーがこんな経緯をたどってから、筆者はピーチーの思い出を残しておこうと思うようになりました。最初は闘病ブログとして書いていた内容を、きちんとエッセイに書き直していったのです。
その時の題名が、満を持しての『犬を飼うということ』でした。
あのTVドラマと同じですが、気にしませんでした。最も思い入れの強い題名で書こうと思いました。書きたいことが山ほどあったので、全50話にもなりました。
そのエッセイのコピー(リード文)としていれたのが、次の言葉です。
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『犬を飼うということ』
うちの子って死んじゃうんだ。そう実感した日が幸せの始まりでした。
犬を飼うのは簡単だけれど、犬と一緒に暮らすのは大変なこと。
決して良い事ばかりではありません。
ある年齢を過ぎると、飼い主は苦労の連続。
しかし、犬を飼う事はそんな苦労を上回る喜びがあります。
本作は犬の一生のなかでも、犬を飼おうと思うところから、仔犬を育てるところまでを描いたものです。
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これは本当に思ったことです。ピーチーが死ぬんだと一度は覚悟し、そこから戻ってきたときに、ピーチーと一緒にいることだけで幸せなんだと実感をしたのです。
愛犬の死を想うことは、愛犬の生を輝かせることなんだと思いました。実はこれは、今もWithdogの大切なテーマになっていて、折に触れて使うフレーズになっています。
もう1つのエッセイ『うちの子が旅立つまでのこと』
それから1年もしないうちでした。
劇症肝炎から奇跡の生還を果たしたと思っていたピーチーは、新しい病気、肺がんを得て、本当に旅立っていきました。3度目の奇跡は起きませんでした。
それからピーチーの思い出を残すために、『犬を飼うということ』とは別に、もうひとつエッセイを書きました。『うちの子が旅立つまでのこと』が題名です。こちらは闘病記も含めたために、更に話数が増えて、100話近くになりました。
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『うちの子が旅立つまでのこと』
愛犬の死が目の前に迫った時、あなたは何を想いますか?
犬と付き合う中で、避けられないのは死別の悲しみ。
そしてその死の手前には、命を賭けた闘病が待っています。
ついこの間、小さな仔犬でうちにきたと思っていたあの子が、あっという間に自分を追い越して、お爺ちゃんや、お婆ちゃんになっていく。
その姿を見て、あなたは何を思うでしょうか?
避けられない死を目前にしたときに、あなたは何をすべきなのか?
犬は全力で一生を駆け抜けていきます。
あなたはその大切な子を、一生懸命に支えることでしょう。
愛犬にも、あなた自身にも悔いが残らないようするために。
2つのエッセイは今、Withdogに
ここでご紹介した2つのエッセイ、『犬を飼うということ』と『うちの子が旅立つまでのこと』は、大勢の方に読んでいただき、沢山感想もいただきました。とてもありがたく思っています。
しかしながら、今は訳あって今は2つとも公開をしていません。再公開はしないのかというお問い合わせも時々いただくのですが、当分はそれはしないと思います。
(最後にその理由を書いておきますね)
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今、2つのエッセイに書いてきたことの多くは、このサイトWithdog『犬を飼うということ』の中にあります。サイトの題名はエッセイを引き継ぎました。
ピーチーと暮らした14年と7カ月のお話だけでなく、沢山の方の犬と飼い主の歴史がこの中に詰まっています。もっとそれを発展させていくつもりでいます。
大きな喜びと、その中に隠れているほろ苦い思い。その両方をきちんと伝えていけることを願いながら。
これからもご愛読を、よろしくお願いします。
2つのエッセイの公開を控えている理由
何故2つのエッセイを公開しないかというと、簡単に言えば、本サイトWithdog『犬を飼うということ』と内容が重複するものが多いからです。
作品という意味では、明らかに違うものだと筆者は思っているのですが、Googleの検索エンジンから見たら、2エッセイと当サイトは、類似のものだと認識をするようなのです。
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文章というのは、なぜそこで改行をするのか? なぜそこに句読点を打つのか? 漢字と平仮名の使い分けは? そんなようなことが、作品のテイストを決めるのですが、コンピューターからみたら文学的な味わいは知らんという訳ですね。
要するに、作品を検索するのではなくて、単に文字列を検索しているということです。
エンジニアリングという観点から見たら、まあ理解はできます。
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それで何が起きるかというと、かつて自分が書いたエッセイがあるがために、Withdog『犬を飼うということ』の記事が検索に現れないという弊害が現れてしまいました。色々なキーワード検索の上位に、しかも1位とか2位に自分のエッセイがいるので、記事が表示されないのです。これでは記事が読まれないばかりか、何も知らない方から、後発のWithdogの方がパクったと誤解されかねません。
ということで、泣く泣く2つのエッセイを非公開にしました。
いつか、Googleが文章の質まで理解してくれるようになったら、もう一度公開するつもりです。全ての原稿は保存してありますので。
(そう遠くではない未来のようですよ)
余談ですが『犬を飼うということ』をネットで検索すると、かつては筆者のエッセイの方が、あのTV番組より上位にいたのですけどね(苦笑)
Withcat『猫の話をしようか』についても
Withdog『犬を飼うということ』から、少し遅れてWithcat『猫のはなしをしようか』も始めました。それについても触れておきます。
猫は子供の頃、はぐれていた子猫を拾って、家族に内緒で納屋でご飯をあげて以来、自分で飼うことはありませんでした。
そうそう、アパート住まいをしていたころに、地域猫が懐いて部屋に入っくるようになって、ご飯をあげたことがありましたが、朝寝苦しくて目が覚めたら、猫が布団の上で香箱座りをして待っていたことがあります。勝手に網戸を開けて入ってきていたんですね。でもその程度のことです。
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なのになぜ猫のサイトまで始めたのか?
30年来の親友である、活動家の三毛ランジェロ氏がきっかけです。「猫のサイトもやろうよ」との三毛ランジェロ氏の一言で、Withcatgは始まりました。子猫を拾ったくらいですから、元々猫は嫌いではありません。むしろ今は結構猫好きですね。いつか自分でも飼おうと思っています。
ということで、Withcatの方もぜひご愛読をお願いします。
もう一度『犬を飼う』
最後の最後に、もう一度谷口ジロー氏の『犬を飼う』をご紹介。
『犬を飼う』という作品は、かつては知る人ぞ知る名作だったのですが、いつの間にか、谷口氏の代表作の1つにまで評価を上げていました。それ以外では『坊ちゃんの時代』が知られています。でも本当は『青の戦士』とか『Liveオデッセイ』のようなハードボイルドが谷口氏の真骨頂と思っています。谷口氏は2017年に亡くなってしまって、もう新しい作品が読めないと思うと、ちょっと寂しいです。
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『犬を飼う』は絶対のおすすめです。買って損をすることは120%ありません。保証します。一応購入サイトをリンクしておきますが、当サイトはアフィリエイトサイトではないので、他所で飼っていただいて全然結構です。
どうか中古ではなく、新品で買ってください。その方が思い入れが強くなりますからね。これは、一人の谷口ジローファンとしての思いです。
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もう一度、犬を飼うということ
その後、筆者は新しい子犬を迎えることになりました。
谷口ジロー氏の『犬を飼う』に因んで、『犬を飼うということ』を書き始めた筆者。
新しい子犬を迎えるにあたっては、『もう一度、犬を飼うということ』となります。
その仔犬を迎えることになったお話は下記です。
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もう一度、犬を飼うということ
愛犬ピーチーが去って、3年が経ちました。
少しだけ寂しいのですが、その寂しさを楽しむ毎日。
次の子は?
考えないでもないのですが、是非にという気持ちでもなくて――
そんな中で、1枚の写真が送られてきました。
少しだけ、心が動きました。
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さて、今度はどんな『犬を飼うということ』になるのでしょうか?
――犬を飼うということ――
文:高栖匡躬
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”死”という言葉は、ある種の衝撃を伴うものです。避けて通りたいことばであったりします。しかし、その死はそんなに悪いものなのか? もしかすると、死は救いでもあるのではないか? そんな風に考えてみると、ペットとの別れが違って見えてくるものです。
ペットは死の床にある時、そこから目を背けるべきか?
別れの言葉を考えてみてはどうでしょう? 実は別れの言葉は、ネガティブなものではないのかもしれませんよ。
筆者の体験談としての別れの言葉です。
愛犬が去るときに備えて、筆者は言葉を用意していました。縁起でもないと思われる方がいるかもしれませんね。しかし、その言葉を探すとき、飼い主と愛犬の絆が見えて来たりするのです。