うちの子がうちにくるまで|No.42
まっくすは、夫が独身時代から飼っていた犬でした。
犬種はケアンテリア。私達は結婚をして、まっくすと私は家族になりました。
初めてまっくすと会った時から、まるで前から一緒だったような感覚だったことを覚えています。
リードを持って一緒に歩くのは、子供の頃以来のこと。
私は散歩の時、いつもワクワクしていました。
ケアンテリアってどんな犬?|犬を飼っている人と結婚するんだけど|仲良くやっていけるかな?|経験者の話が聞きたい
今日は我が家の1匹目のワンコ、ケアンテリアの「まっくす」のお話をしたいと思います。
まっくすは、私たち夫婦が結婚した時に夫が飼っていた犬で、正確にいえば私が迎えたわけではありません。だから当然ですが、まっくすの幼いころを私は知りません。まっくすが2歳の頃に、私たちは家族になりました。
まっくすの名前の由来は、まっくすが『元気MAX』だからだそうです。
ものすごく元気でやんちゃだったから、夫がそう名付けました。
まっくすは夫にとって、二匹目の犬でした。子供の頃は実家に雑種のチロという犬を飼っていたのだとか。
何故まっくすを飼うことにしたかというと、当時、夫は一人暮らしで、相棒が欲しかったからだそうです。
夫は自分で犬を飼おうと思った時に、柴犬かケアンのどちらにするか迷ったようですが、結局ブリーダーさんのところでケアンに一目ぼれしてしまい、まっくすを迎えることに決めました。
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まっくすの誕生日は2001年10月8日。そしてその年の12月24日が、まっくすのうちの子記念日だそうです。
念願の相棒を得た夫は、今で言うならばまっくすファーストの生活に変わりました。
会社のお昼休みには、わざわざ帰宅して世話をするほどの徹底ぶりです。
特に子犬時代は何事もまっくす優先の生活で、楽しくて仕方なかったと言っていました。ある日お昼休みに急いで帰宅すると、ケージの中でうんちまみれ(!)だったこともあったのだとか。
夫はそんなことを、ニコニコ楽しそうに話してくれます。
目がくりっと大きく、甘えん坊で快活なまっくすは、とても夫の支えになっていたのだと思います。
結婚前、私が初めてまっくすを写真で見せてもらったとき、私はケアンテリアと言う犬種を知りませんでした。第一印象では、大きめのヨーキーだと思いました。
最初に会ったのは2003年の秋です。どこの公園だったかなあ?――
まっくすはとても可愛くて、人懐こくて、元気いっぱいで、私はぺろぺろ舐められて、くすぐったくて、ケラケラ笑っちゃいました。
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まるで前から一緒だったような――
いや、もっと親密だったかな。
こうしてまっくすは、私を受け入れてくれたのでした。
そして私たちは結婚。
私の子供の頃からの夢。大好きな犬との生活は、こうして始まったのでした。
犬がいる生活は本当に久しぶりでした。ハムスターやリスなどの小動物を育てることはよくあったのですが、犬はそれらとは全然違います。感情表現が豊かで、気持ちのやりとりができて、本当に家族のような存在だと実感しました。私はまっくすが側にいてくれることで、”犬と暮らす”という感覚を、少しずつ取り戻していきました。
家族になってからのまっくすの呼び名はほぼ「まっくん」でした。
(私は時々「まくお」とも呼んだりしていましたが)
なので、ここからは、会話文ではまっくんと書くことにします。
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まっくすとの暮らしで、予想外に大変だったことがあります。それはまっくすが、吠え始めると止まらなくなってしまうことでした。ご飯を作っている途中で吠えはじめたら、私は支度の手を止めて、「まっくん、吠えたらあげないよ」と少しずつ教えていきました。根気強くそれを続けていると、まっくすの方もそれを分かってくれて、徐々に吠えるのをやめていきました。ガッツポーズでしたね。
まっくすは食いしん坊すぎるところがあって、予想もしなかった出来事もいくつか起きました。思い出深いのは、まっくすがキッチンの調理台やテーブルに、背面ジャンプさながらに飛びついて、置いてあった焼きたての玉子焼きや、焼き鳥を串ごと食べてしまったことです。
玉子焼きの時は舌を火傷してしまって、一週間くらい吠えられなかったほどです。
焼き鳥の時は、慌てて受診したのですが、レントゲンでは串のありかは分からず……
数日後に、半分に折れた串が便に混ざって出てきた時は本当に安堵しました。
それからはまっくすがどんなことをしても、絶対に届かないところに食べ物を置くように気をつけました。
散歩の分担は特に決めていなくて、夫婦で行ける方が行く、という感じでした。
リードを持って犬と歩くというのが、子供の頃以来のことなので、私は散歩の時はいつもワクワクしていました。
その後、2匹目のはなも我が家にやってきます。
多頭飼いになってからは、夫がはなを、私がまっくすを連れて、一緒に散歩しました。
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まっくすはとても人懐こくて、愛嬌があってすぐにお腹を出して撫でて欲しがるので、ドッグランに行くと人気者でした。よそ様のバッグを、何か食べ物はないかと漁っちゃうこともありましたが。
まっくすは、人の話をよく聞く子でした。興味津々で聞いている感じです。そういうところがお茶目で可愛く思えるのです。
夜に「寝るよ」と声をかけると、ちゃんとトイレを済ませたりとか。
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犬っておもしろいですね。家の中での居場所が何箇所か決まっていたりして、自分なりのこだわりや習慣があって、マイペースで生活している姿を、本当に愛しく思いまます。
後輩犬のはなと、まっくすの仲は――
良くも悪くもなく、お互いが思い思いに生きている感じでした。しかしここぞというときには、まっくすは頼もしいお兄ちゃんぶりを発揮しました。
ドッグランに連れていったときなど、まっくすは、ちゃんとはなの側にいて、見守っている様子が伺えました。
やはり家族なのですね。
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そんなまっくすですが、11歳の頃から痙攣を起こすようになり、癲癇という診断を受けました。薬を加減しながらコントロールしていき、幸いにも一年ほどで発作は落ち着きました。
しかし13歳になった12月のこと、突然にまた発作が起きて、そのまま虹の橋へ旅立ってしまいました。
今振り返ると、まっくすとの暮らしには喜びがたくさんあって、まっくすが私たちの生活に彩りを与えてくれていたことを実感します。
まっくすには、とても感謝しています。
――まっくんへ――
初めて会ったとき、超熱烈歓迎してくれたことが忘れられないよ。
あれから自然に家族になって、だんだんと阿吽の呼吸ができあがっていったね。
突然現れた私を受け入れてくれてありがとう。
楽しい思い出をたくさんたくさんありがとう。
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がっしりした背中をまた抱きしめたいよ
まっくん!
――まっくすがうちにくるまで|おしまい――
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――うちの子がうちにくるまで・次話――
我が家はシーズーの多頭飼い。
一人娘が家を出てからは、主人と二人暮らしでした。
ある日、主人と保護カフェに行くと、そこには病気だらけで、誰も見向きもしない犬がいました。
その子を抱いた主人は、いきなりこう話しかけました。
「うちに来る?」
――うちの子がうちにくるまで・前話――
猫のペルが10歳で去った時、我が家の悲しみは大変なものでした。
5年が過ぎた頃――
「いつかワンちゃんと暮らせるといいね」
が、夫婦の会話になっていました。
ある日私は夫に、
「ちょっとペットショップに行ってみようよ!」と声を掛けてみました。
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――うちの子がうちにくるまで、第1話です――
昔からいつかはワンを飼いたいと、ずっと夢見ていたんです。
でも、夢と現実の差はでっかいですよね。結局はずっと、実現できずじまい。
――そんな夢を叶えた飼い主さんのお話。
犬との出会いは運命に似ています。
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うちの子がうちに来るまで
家族の反対を押し切って、犬を飼った方は多いはず。
反対する理由は様々でしょうが、”反対”は犬への”強い思い”でもあります。
ハードルを越えた先で、反対していたはずの家族が、
誰よりもその子が好きになったりして……
一見屈強で男の中の男と言うイメージの作者。
しかし作者は、先代犬のバーディーを亡くし、毎日泣いて暮らしていました。
そんな作者に、新しい出会いの時がやってきます。
さて、新しい子は、どのようにやってきたのでしょう?