うちの子がうちにくるまで|No.56
犬を飼いたいと思った時、家族全員が同じ思いという幸運はどれほどあるだろうか?
当然ながら、大家族になるほどその幸運の確率は下がっていく。3世代も1軒の家で暮らすと、一人くらいは犬が嫌いと言い出すものだ。
本話もそんなお話である。祖父が犬嫌いで、祖母が祖父の意志を次いで犬を受け入れない。
実はこの種の話には、同じようなエピソードが付いてくることが多い。犬を飼うことに反対していた家族が、いつの間にか一番の犬好きに変わってしまうことだ。
さて、反対していた祖母は折れてくれるのか?
こんな方へ:動物は好きなんだけど、犬や猫を飼うのは心配|はじめてなので、もう一歩が踏み出せない|同じような経験をした方はいますか?
犬を飼うことが許されなかった我が家
17年前、我が家は激動の変化の中にいた。
理由は夫が二十数年勤めた会社を辞め、脱サラしてコンビニを始めると宣言したからだ。
コンビニと言えば家族経営と24時間営業が原則。当時私は介護職だったが、当然のように巻き込まれ、中高生だった長女、次女もアルバイトで駆り出された。
家に残ったのは、小学校に上がったばかりの三女と、家事一切を請け負ってくれる義母さまだけ。三女に寂しい思いをさせるのは分かっていたが、家計を守るためには仕方が無く、たくさんのことを我慢させざるを得なかった。
ある時、三女のお友達が黒ラブちゃんを飼い始めたと聞いた。
すぐに三女は、毎日のようにそのお宅に入り浸るようになって、やがて「うちも犬飼いたい!!」攻撃が始まった。
しかし三女の願いはそう簡単には叶わない。なぜならば我が家には『犬を飼ってはいけない』という、不文律のようなものがあったからだ。
それは今は亡き義父さまの意向だった。義父さまは生前は犬を飼うことを絶対に許さず、亡くなってからは義母さまがその意思を継いでいた。私たちは同居させてもらっている立場もあって、夫でさえもその決まりに逆らうことはできなかった。
実はずっと前の話だが、長女も「犬を飼いたい」と言った時期があり、同じ理由で諦めさせていた歴史がある。
●
当然ながら三女の願いにも、私と夫は『ダメ』だと言っていた。しかし三女の願いは切実で、簡単には引き下がらなかった。
『勉強も留守番も頑張るから!』
『もうずっと誕生日プレゼントはいらないから!』
と泣きつかれた記憶もある。
話は少し逸れるが、我が家の三女は長女、次女と9学年も離れている。だから三女にとって我が家は、まるで母親が3人いるような環境なのである。当然ながら三女は甘えん坊に育った。そして姉妹の中で一番素直である。
そんな三女の願いだけに、私の心は揺れた。
思えば自分の子供の頃、実家はいつも途切れることなく犬を飼っていた。
柴犬、雑種犬(当時はこう呼んでいた)、秋田犬、ポメラニアン、マルチーズ……
お座敷犬(笑)以外は外飼いで、ご飯は残り物に味噌汁を掛けた猫マンマ。
現在のように犬を飼うための知識もなく、情報もなかった。かすかに狂犬病の集団接種は行った記憶にあるが、動物病院の存在すら知らないような飼い方だった。
その頃は、どこの家の子も4~5年の命だったと思う。
後悔しきりの私は「今ならもっと良い飼い主になれるかも」常々思っていた。
だから、三女の願いを叶えてやりたいと思った。
●
こうなると、大きな壁が義母さまである。
義母さま義父の意志を継いでいるというだけでなく、自身も犬猫嫌いなのだ。
三女があの手この手で懇願してみたのだが、義母さまは絶対に首を縦には振らなかった。
そんな時、友達から三女の希望してる子犬がいると連絡が来た。友達と言うのは私のママ友で、三女が足しげく通う黒ラブちゃんを飼っているお家のママだ。
三女は飼うならミニチュアダックスがいいと初めから決めていたのだが、まさにその望み通りの子がいるというわけだ。聞けば親戚関係にブリーダーをやっている家があり、そこに生まれた子だということだった。因みに黒ラブちゃんも、その親戚のブリーダーさんから迎えたらしい。
●
そうそう、どうせ飼うのならば、私にも1つだけ希望があった。
それは出来ればオスが良いということだ。我が家は三人娘なので、犬くらいは男の子にしたいと思っていた。
「とりあえず見に行くだけ」
そんなつもりで、私はそのミニチュアダックスに会ってみることにした。ブリーダーさん宅へは、友達が車に乗せて連れて行ってくれた。同行したのは次女と三女だ。
●
先方に付くと、早速子犬と対面させてもらった。
そこにいたのは、子ウサギみたいなサイズの、小さな小さなミニチュアダックスの男の子だった。ブリーダーさんによると4匹生まれてきたそうなのだが、この子だけがなかなか大きくならず市場に出せなかったということだった。
子犬はとにかくブリーダーさんにされるがままで、従順でおとなしい性格なように思えた。
●
抱いてみると、子犬は見た目通りにとにかく小さくて鳴き声も小さい。ちゃんと育つのか心配したほどだ。しかし同じ場所に両親犬もいて、それを見せてもらって少し安心した。
「とりあえず見に行くだけ」と思っていたはずの私の心は、その子を見た瞬間にもうほぼ決まったようなものだった。決定打となったのは、その子が三女そっくりの垂れ目の顔をしていたからだ。次女の考えも私と同じだったと思う。垂れ目ぶりが三女そっくりなワンコに、もう笑うしかないという様子だった。
●
そして言い出しっぺである三女はと言うと――
なかなか子犬に手を出さず、抱いてもおっかなびっくりの様子であったが、垂れ目の瞳がもう♡型だ。
『この子はうちの子。これは運命の出会い!』そんな風に思った。
私たちはすぐに、『お父さんに電話しよう』と意見が一致した。全員が、あの垂れ目にやられてしまったのだった。
私はその場で、三女に仕事中の夫に電話をかけさせると、『お願い~』と泣きつかせて許可を取らせた。夫は犬を飼うことについては中立の立場だったのだが、とにかく三女には弱いのだ(笑)
夫の許可が出れば、私としてはもう百人力を得た気分。私たちはその子を、すぐに連れて帰ることにした。最初はぎこちなく子犬を抱いていただ三女も、慣れてきたらもう離そうとしなかったし、義母さまだってきっと、この子の顔を見れば反対はできないだろうと思った。
●
私は最後にもう一度三女に念を押した。
「ちゃんと自分で面倒見るよね?」
「散歩も毎日行くよね?」
「約束守らないと返しちゃうからね」
――さすがに最後の一言は、ブリーダーのおばさんに苦笑されてしまったが……
後でこの時のことを聞くと、夫は『まさかその日のうちに連れ帰るとは思っていなかったよ』と言っていた。
それからはすぐに、ブリーダーさんから紹介された病院に行ってワクチンを済ませ、今後の説明を聞き――
ただ子犬を見に行くだけのつもりだったのに、気が付いたらいつの間にか、犬連れで帰路に付いているという感じだった。
幸い友達の車は大きかったので、そのまま近くのホームセンターに寄ってくれて、私たちは友達から助言をもらいながら、大きなケージやトイレ、ご飯など、必要なものを一気に揃えることも出来た。
●
そうそう、1つ驚いたことがある。私がブリーダーさんに「このまま連れ帰る」と言った時のことだ。ブリーダーさんが突然立ち上がって、子犬を連れて水道のところに行くと、バシャバシャと洗いだしたのだ。ご本人は慣れているのだろうが、あまりの荒々しさに、こちらはショックを受けてしまった。
因みにその子犬はうちの子になってから、すっかりお風呂嫌いになってしまうのだが、その原因はこの日のバシャバシャにあったのだと、私は思っている。
さて、家に着いた私たちだったが、まだ安心はできなかった。
言うまでもなく、目の前に大きな壁である、犬猫嫌いの義母さまが立ちはだかっているのだ。
私は娘達と共に、その子犬を抱えて、義母さまの前に進み出た。20年もの間、従順で逆らうことのなかった嫁が、孫娘たちを従えて必死で姑に許しを乞うたのだ。
黙って冷ややかに私の言葉を聞いていた義母さまは、やがてこう言った。
『連れてきてしまったならもう仕方ない。でも、私は一切手を貸さない。私の部屋には絶対に入れない!』
――つまり、条件付きで許してくれたということだ。
●
晴れてうちの子になった子犬だが、名前には迷った。
――呼びやすい名前がいいな
――可愛い名前がいいな
――そして、この子らしい名前は?
結局、当時今よりもクリーム色だった毛色から、『ロイヤルミルクティの色だよね』と意見がまとまり、『ミルティ』と名付けることになった。
ミルティはその後、義母さまはじめ犬友さん達から、『ミルキー』とよく間違われることになる。
ミルティは当初、慣れない環境をとても怖がっていた。
ケージに入れても落ち着かず、部屋の中で自由にしても、固まってしまっていてあまり動かず……
ブリーダーさんと獣医さんからは、あまり構わず、寝床でゆっくりさせるように言われていたので、それを信じで言われたとおりにする他はなかった。
しかし、三女がずっとケージを覗いているので、ミルティは落ち着かない様子で、上目遣いでおどおど、キョロキョロしていた。
●
ミルティが家に来てからというもの、家族みんなが丸くなった。
失敗にもいたずらにも悩まされたが、今では楽しい思い出だ。
面白いことに、あれだけ反対した義母さまが、ミルティを一番可愛がったと言っても過言ではない。自分の息子は呼び捨てのくせに、ミルティを呼ぶときは『ミルさん』というのだ。
外でしか排泄できなくなったミルティを、時間を見計らっては庭に出してくれて、晩年にはミルティを連れて、のんびり公園でお散歩もしていたらしい。
ミルティは、一日のルーティンが大体決まっていた。
家族が朝、仕事だ、学校だとそれぞれいなくなると、ミルティは義母さまの部屋に行って一緒に過ごす。義母さまは家事が終わると、部屋で和紙のちぎり絵を作っていることが多かったので、ミルティはそのそばで昼寝をして過ごすわけだ。そして誰かが帰ってくる頃になると、玄関の前にいってじっと待っている。
●
夜になると時々、義母さまは『ミルさん、泊まっていくかい?』と誘ったりもすることもあった。しかしミルティは、絶対に私たちの部屋に帰って来た。義母さまはそれが、少し寂しかったようだ。
その義母さまも、2年前に亡くなった。
その日――、ミルティは何かを感じ取っていたのだろうか。義母さまの足元の布団の上に、ずっと寄り添っていた。それを見た家族は叱ることもできず、また涙を流した。
さて初めて会った時には、あれほど小さくてか弱かったミルティだが、その後は健康に育ってくれた。3年ほど前に腰椎ヘルニアを発症したが、それも1ヶ月ほどで完治し、それからは大きな怪我も病気もなく現在に至る。
――が、寄る年波には勝てずで、目は白内障で白くなり、耳も弱ってしまった。
若い頃は花火が恐くて、音が聞こえてくると3階まで駆け上ってしまうほどだったのだが、今は全く聞こえていないようだ。筋力も落ちて、後ろ足はナックリング気味になっている。
少々頑固にもなったようにも思う。これまでに絶対に人を噛むことはなかったのに、嫌な歯磨きをしたり、耳掃除が長いとちょっとガルゥっとなる。
ソファの定位置に乗るときも降りるときも、ドアを開ける時も『ワン』のひと吠えで、家族は下僕のように手を貸す。
ミルティを迎えた3人の娘は、もう家にはいない。
長女は進学を機に上京して、そのまま一人で暮らしている。次女は結婚してすぐ近所に住んでいる。週に一度帰ってくるのだが、これは私たちの様子を見るためと、ミルティに会うためだそうだ。
そして三女は東京で進学就職し、今も一人で暮らしている。犬は家庭内で序列をつけるのだと言うが、ミルティは三女だけは自分より下に見ているらしく、その様子は昔も今も全く変わらない。
●
今年の5月、すべての仕事からリタイヤした私たちは、毎日をミルティと過ごしている。一緒に出掛けられるところも増えたので、カートを車に積んで、」どこにでも出かけていく。
秋口になったら愛車を改造して、車内泊の紅葉を見る旅を計画中だ!!
パピーの可愛さ、シニア犬の愛しさを教えてくれたミルティ。
これからハイシニア犬を目指して、三人八脚で穏やかな毎日を過ごしていきたいと願っている。
いつまでも一緒にいようね ミルティ
うちの子になってくれてありがとう!!
●
――ミルティがうちにくるまで|おしまい――
●
●
――うちの子がうちにくるまで・次話――
ピコがうちにくるまで
夫婦ともに実家では犬を飼っていました。
しかし結婚後は犬のいない生活。
私達はペット可のマンションを購入し、犬を探し初めました。夫婦で初めての犬。
しかしピンと来る子は簡単には見つかりません。
3か月が過ぎた頃です。
とうとう運命の日が――
――うちの子がうちにくるまで・前話――
チョンキーがうちにくるまで
初代犬のちんねんが旅立つと、残された きなこの元気がなくなりました。
――このまま弱くなってしまうの?
不安な私は「もう1匹迎えたらどうだろう?」と考えるようになりました。
次は保護犬を――
オンライン譲渡会を見つけたのは、そんな時でした。
●
――うちの子がうちにくるまで、第1話です――
昔からいつかはワンを飼いたいと、ずっと夢見ていたんです。
でも、夢と現実の差はでっかいですよね。結局はずっと、実現できずじまい。
――そんな夢を叶えた飼い主さんのお話。
犬との出会いは運命に似ています。
●