ピーチーの闘病記:急性膵炎+胆管閉塞編(3/4)
『JARMeC』の集中治療室には入れたものの、依然として予断を許さぬ状況です。対蹠的な治療は行われていましたが、胆管閉塞の根治治療はまだ始まっていません。胆嚢破裂の危険は全く去っていないのです。
病院には大勢の付き添いの飼い主さんたちが、専用の待機室におり、皆一様に黙りこくっています。よどんだ空気は、そこにいる皆が、重篤な状態の愛犬、愛猫に、一縷の望みを託してそこに来ているからです。そのことが余計に、ピーチーの身に降りかかった不幸を実感させました。
さて、ここで8つ目の幸運が訪れます。
担当医となったY崎先生が、過去に犬の胆管閉塞の症例を、幾つも経験されていた方だったのです。過去の症例を聞くと、中には亡くなった子もいれば、手術で何とか持ち直した子もいました。
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Y先生によれば、助かる可能性が高いのは、胆嚢から腸への胆汁のバイパス手術だそうです。リスクは通常の手術のリスクに加え、手術が成功したとしても、腸からの食物の逆流があるので、感染症の恐れがつきまとい、その後もずっと食物制限と運動制限が必要との事。
もしも手術をするとしても、手術の予約はすぐには取れないし、飼い主が覚悟を決める時間も必要だとY先生は仰いました。
【目次】
- ピーチーの闘病記:急性膵炎+胆管閉塞編(3/4)
- 主治医が不在 - 最後に訪れた幸運
- 手術を諦める - 飼い主の決断
- 検査の数値 - 驚きの改善、内科的治療へ
- 膵炎をもっと知るために
- 闘病に関する心構え
- ピーチーの他の闘病記です
主治医が不在 - 最後に訪れた幸運
待てる時間は2、3日が限度。
その間はダメもとで、胆管を拡張する作用のある薬(劇薬との事)を使用してみましょうと言われました。(残念ながら薬名は忘れました。当時のカルテには書いてあるはずですが、素人には解読できません)
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僕はその日から、毎日報告されるデータのうち、総ビリルビンの値をエクセルに入力し始めました。この総ビリルビンが胆管閉塞の状態を示すのです。
ピーチーの膵炎のときの総ビリルビンは1.50。基準値は0.1~0.5です。
入院時の事前検査では8.10。僅か5日後には、それが9.40まで上がります。
一刻の猶予もないのは明らかでした。
8.10 → 9.40(基準値0.1~0.5)
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ピーチーの黄疸はますますひどくなっていきました、歯茎も眼球の白目の部分までもう黄色です。それを見た僕と奥さんは、迷うことなく手術を選択しました。
そしてその時、9つ目の幸運がやってきます。
手術の意思を伝えにいったとき、Y先生は出張中で不在でした。
「なんだよ、こんな大事な時に」と僕は思いました。
代理の先生に手術の意思を伝えたところ、やはり最終の判断は担当医でなければできないとの事。
決断の日に主治医がいないとは、なんという不運――
そう思いました。しかし今振り返れば、それこそが9つ目の幸運だったのです。
手術を諦める - 飼い主の決断
その日、病院を出る前に、その日の朝の検査データが僕に手渡されました。
それを見ると、総ビリルビンの値は8.30。少しだけ下がったなと思いながらエクセルに入力し、そしてグラフ化。
そこで僕はあることに気が付きました。
グラフの数値が、綺麗な下降カーブを描きそうなのです。
本来であれば翌日には、出張から戻った担当医に手術の意思を伝え、翌々日には緊急手術だというタイミングでした。
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翌日僕と奥さんは、担当医の元を訪れました。
「先生、今日は手術の意思を伝えるつもりで来たのですが、やっぱり決断できません」
そう言って、素人の作ったエクセルのグラフを見せました。
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僕の予想通りならば、その日の検査結果では、総ビリルビンが6前後。その翌日は3前後に落ちるはずです。
検査結果が出るのは、朝の採血が終わってからしばらく時間が経ってから。しかしそれを待っていると、手術の予約時間を過ぎてしまいます。
「先生、明日の手術は諦めます」
と僕は言いました。
それは賭けでした。しかし根拠のない賭けではなく、自分で探し出した可能性に賭けたのです。
そして、ここで遂に奇跡が起きます。
検査の数値 - 驚きの改善、内科的治療へ
そのまま僕と奥さんは『JARMEC』の待合室に座り、検査結果が出るのをまちました。そして3時間くらいそこにいて、ようやく僕たちは検査結果を受け取りました。
何と、総ビリルビン値は6.40。
予想していた通りです。
自分で予想しておいて言うのもなんですが、鳥肌が立つ思いでした。
そして、その翌日には総ビリルビン値が3.50に落ちました。
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これが当時予想をしたエクセルのグラフ
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Y先生に面会すると、先生は「良かったですね。今後は内科的治療で決まりですね」と言ってくださいました。
それは、ピーチーと奥さんと僕が、賭けに勝った瞬間でした。
最初の出来事から考えると、針の穴ほどもない確率だと思います。
いやむしろ、穴の無い針に何故か糸が通ったというべきかもしれません。
この日ほど、ピーチーの強運を確信した日はありません。
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ピーチーが『JARMeC』に入院したのが、まだ残暑も厳しい9月10日。毎日欠かさずに面会に行って、退院したときにはもう秋の気配でした。
『JARMeC』は病院の性質上、元気な姿で退院できる子はとても少ないそうです。しかしピーチーは、尻尾を振りながら、駆け足でその病院を後にしたのです。
Y先生にとっては、同じ病気で完治に成功した、最初の症例との事でした。
――闘病の奇跡、強運の正体(3/4)・つづく――
――次話はまとめです――
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膵炎をもっと知るために
急性膵炎の詳しい解説記事は、下記をご覧ください。
専門性はありながら、分かりやすく書かれた記事です。
下記の急性膵炎闘病記も参考になります。
突如発症した急性膵炎。入院した愛犬を待つ家族の気持ちは?
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文:高栖匡躬
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――次話――
闘病を振り返ると、飼い主はただ選択肢を増やしていただけ。
しかし、それが重要なのだと思います。
例えれば、”ハズレ”しか入っていないクジの中に、”アタリ”の札を仕込むようなもの。
闘病というのは、そんなものなのかもしれません。
――前話――
急性膵炎の炎症は、胆嚢と胆管にダメージを与えていました。
胆管閉塞を併発していたのです。
主治医は安楽死を仄めかしました。
しかし、そこからが本当の闘いです。
対応できそうな病院は、どこも予約が一杯。
さて、どうするかーー
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この記事は、下記のまとめ読みでも読むことが出来ます。
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――本闘病記の第1話です――
ある日突然、我が家のピーチーを襲ったのは急性膵炎
危険な状態でしたが、幾つも幸運が重なって無事回復しました。
「良かった」と胸を撫でおろす飼い主。
――しかし、そうではありませんでした。
それは本当の闘病の始まりだったのです。
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闘病に関する心構え
努力は、奇跡の確率を上げるもの
闘病記を読むと、奇跡的に治るという表現に時々出会います。
しかし奇跡は、待っていて起きるものではありません。
奇跡が起きる確率は、努力で上げることができます。
医師まかせにせず、とにかく情報を集めて分析する事です。
その中に、もしかすると答えがあるかもしれません。
考え方を変えれば、飼い主が愛犬や愛猫の闘病で出来ることは、それ以外には無いのかもしれません。
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医学書や論文を読むよりも現実的な情報源
犬が病気になった時、幾ら探しても、役に立つ医療情報が見つかりませんでした。
通り一辺倒だったり、逆に専門的過ぎたり。
どれもこれも、現実的ではないのです。
そんな中、飼い主が書いた闘病記に行き当りました。
動物医療の専門家ではない、普通の飼い主が書いた闘病記です。
そこからは、本当に色々な事を教わりました。
ピーチーの他の闘病記です
肺がん闘病記
いつも元気一杯だったピーチー。
大病をしてから、体調に浮き沈み。
この数日も「ちょっと変」と思い、「”多分”、いつものこと」とも思っていた。
”多分”は段々と弱々しくなり、少しだけ嫌な予感も。
「今日は病院だな」と思ったのがこの日。