Withdog 『犬を飼うということ』にようこそ。
Withdog『犬を飼うということ』は、犬と人間との心の絆を、飼い主の目線で語る”読み物配信サイト”です。ペットと暮らす喜びだけでなく、深刻で複雑な飼い主さんの状況や、理解が難しい専門知識まで、かみ砕いて再構成し、”読みやすい文章" にしてご提供しています。沢山の情報が詰まっていますが、まずは当サイトの人気企画をご紹介しましょう。
詳しいご紹介や、Withdog『犬を飼うということ』をもっと知るには、『続きを読む』のボタンを。
続きを読むWithdog『犬を飼うということ』は、犬と人間との心の絆を、飼い主の目線で語る”読み物配信サイト”です。ペットと暮らす喜びだけでなく、深刻で複雑な飼い主さんの状況や、理解が難しい専門知識まで、かみ砕いて再構成し、”読みやすい文章" にしてご提供しています。沢山の情報が詰まっていますが、まずは当サイトの人気企画をご紹介しましょう。
詳しいご紹介や、Withdog『犬を飼うということ』をもっと知るには、『続きを読む』のボタンを。
続きを読むかつて暮らしていた街、カリフォルニア州・サンディエゴ。そこで出会ったのが愛犬のレクでした。きっかけは日本人居住者向けのフリーペーパーに掲載された記事。そこにはドッグトレーナー見習いをしている日本人女性が紹介されていました。
「犬について一から学ぼう」
自分でもドッグトレーニングセンターで見習いをするようになった私は、ある日、民間のシェルターを訪れました。私はそこで、人の手を怖がる1匹の犬と出会ったのです。
初めて会った日のこと、レクは覚えてますか?
2003年6月、私は家族の仕事の都合でアメリカ カリフォルニア州 サンディエゴに住んでいました。温暖な気候で住みたい街ランキングでも上位になる街です。ペットにやさしい街としても有名で、ペット同居OKのアパート、ドッグビーチやオフリーシュ(ノーリード)で遊べるドッグパーク、ショッピングモールも充実しています。
●
ある時、日本人居住者向けのフリーペーパーを読んでいた私は、そこに掲載された1つの記事に興味を持ちました。その記事は、現地にあるドッグトレーニング&デイケアのセンターについて書かれたもので、そこでドッグトレーナー見習いをしている日本人女性が執筆したものでした。
犬と言えば思い出すのは、日本で家族と飼っていたマルチーズです。しかしその子は完全なるお座敷犬で、トレーニングはおろか、お散歩さえ出来ない犬でした。日本にいる時の私は、犬にトレーニングが必要だという知識はさえ持っていなかったのです。
●
2匹のイングリッシュゴールデンレトリバーと笑顔で映っている彼女の記事を読み、私はドッグトレーナーという未知の職業に興味を持ちました。
私は昔から何か気になることがあると、もっとそれを深く知りたいと思う性分です。そして割と積極的に動きます。私はすぐに、彼女に連絡をしてみることにしました。そのフリーペーパーには彼女の連絡先(メールアドレス)が書いてあったからです。
返事はすぐに帰ってきました。会ってくれるということでした。
彼女と会ったのは1週間後。6月も後半で、青空が綺麗な日でした。
待ち合わせたのは、ドッグビーチで有名なOcean beachのカフェ。
約束の朝9時よりも少し早く店についた私は、通りに面した窓際の席について彼女を待ちました。
ほどなくして現れたのは、半袖Tシャツにジーンズの短パンをはいた、日焼けをした笑顔が海に似合う、可愛い女性でした。日本では幼稚園の先生をしていたのだそうです。
彼女は私に『園美とファーストネームで呼んでくれ』と言いました。
●
「ドッグトレーナーというお仕事に興味があって、お話を聞いてみたいのです」
私は思った通りのことを園美に伝えました。
フリーペーパーから受けた印象そのままに、園美は自分の仕事に情熱を持っている女性でした。私は彼女から、ドッグトレーニングについての熱い思いを沢山聞かされました。
彼女の師匠はアレックス(仮名)という男性で、サービスドッグのトレーニングを得意としているのだということ。ドッグトレーニングをすることで、シェルターに送られる不幸な犬が減るのだという考え方。そして犬は家族であること等々――
話を聞く内に、私は「犬」という生き物を、知りたいと思うようになりました。
そして私は数日後、彼女が所属するドッグトレーニングセンターに見学に行きました。そこは明るくて清潔感があって、犬を遊ばせるバックヤードもとっても広く、犬にはとても良い環境のように思えました。
やがて私の心には、1つの決意が育まれていきました。
「犬について一から学ぼう」
ドッグトレーニングセンターで、ドッグトレーナー養成コースを受講する事に決めたのは、園美と会って話をした1か月後のことでした。
●
養成コースは見習いはとはいえ、勤務時間はフルタイムに近いもので、基本は 9:00~15:00だったと思います。当時私は他の仕事をしていませんでしたので、時間に関しての障害はありません。
見習い期間には、デイケアといって犬を広ーい芝生で遊ばせながら犬同士のコミュニケーションを学ばせる「犬の幼稚園」のお世話と、オーナーのトレーニング教室のお手伝いなど行います。どちらも楽しい仕事で、私は養成コースの修了後には、センターのスタッフになろうと思いました。
実はこの気持ちは後に大きく揺らぐことになるのですが、そのお話はまた改めて。
さて、仕事にも慣れてきたころです。私は同僚たちから、犬を飼ってトレーニングすることを薦められました。元より私も、「いい出会いがあればぜひ飼いたい」と思っていましたので、すぐにその気になりました。
そうと決めたら、次は犬探しです。
●
サンディエゴには日本のような犬や猫を売る「ペットショップ」はありません。
似たものとしては、たまに大型ペットショップに保護猫が数匹展示販売されている程度で、その場合も売り上げは、近隣の保護施設への寄付になるシステムでした。
では、どこで犬猫を手に迎えるのかと言うと、ブリーダーやシェルターから犬を迎えるのが一般的です。
●
もちろん、質の良くない「バックヤードブリーダー」という人達がいるのも事実で、向こうでも問題になっていました。そういうブリーダーからの犬は、健康や気質に問題があって後々飼い主が手放すという問題も多かったようです。
そんな不幸をなくしたいというのがセンターのオーナーの考えでしたので、私たちはブリーダーの見分け方や子犬のテスト、子犬の見分け方も教わりました。この知識はとても重要だと思います。
話を元に戻しましょう。
私はシェルターから犬を引き取りたいと言ったのですが、オーナーや他ドッグトレーナーはブリーダーから仔犬を手に入れて、トレーニングした方が良いと言っていました。
仔犬からトレーニングする事で社会化の大切さを学び、ドッグトレーナーのデモ犬として育てる必要があるからです。
しかし私は、やはり保護犬の里親になろうと思いました。
仔犬から飼う重要性は十分にわかっていましたが、サンディエゴにはシェルターがたくさんあり、新しい飼い主を必要としている犬もたくさんいるのです。デイケアに来る人、しつけ教室の生徒や知人にもシェルターから犬を迎える人も多くいました。
●
私はある日、『San Diego Humane Society』(https://www.sdhumane.org/)いうアメリカでも最大級の動物保護団体を訪ねました。
そこは市のシェルターと違って、とても明るく清潔感がありボランティアスタッフもたくさんいて、寄付で運営されている大きな施設です。犬のブースは10~15ほどあり、1つ1つは独立した3畳ほどの個室で、大きなガラス越しに犬の様子を見れるようになっていました。
●
どの部屋もかわいい壁紙、ドッグベッド、人間のカウチ、サイドテーブル、おもちゃなど子供部屋のような明るい雰囲気です。そしてボランティアスタッフがその部屋で犬と遊んだりしています。
あるコーナーを曲がった個室にはオレンジ色のカウチ、おしゃれなコーヒーテーブル、フカフカなドッグベッドとボールやぬいぐるみが置いてありました。
私はそこにいる1匹の犬に、なぜか心が引かれました。
他の部屋の犬はボランティアと遊んだり、かわいいドッグベッドに寝ているのに、その部屋にいる小さい白い犬は、部屋の隅でタイルの上に丸まって寝ているのです。
部屋の扉を見ると、「Lakeland Terrier Lexi, 1year」と、その犬のプロフィールが書かれた紙が貼られていました。
私はその子をもっと間近で見てみたくて、施設のスタッフに面会を願い出ました。
●
そこで待つこと数分間――
その犬は何かを察知したように、部屋の奥の扉に向かって走っていって、吠え始めました。やがてガラスの向こうでその扉が開くと、2名のスタッフが部屋に入ってきて、1人はその子を撫で始め、もう一人のスタッフが内側から、廊下側の扉をあけて私を部屋に入れてくれました。
しばらくスタッフとお話をしましたが、その子は私には一切見向きもせず、スタッフさんにじゃれて吠えています。その子はほんの1週間前に、前の飼い主が持ち込んで来たのだそうです。理由は「他の犬を飼うため」だとか。身勝手な飼い主はどの国にもいるのです。更にその子は人の手を怖がるのだそうで、スタッフ曰くは「虐待されていた可能性がある」とのことでした。
その日、結局私はその子に、一度も触ることはできませんでした。
●
私はスタッフに「1日考えてまた明日きます」と伝えました。しかしその時には既に「この子にする」と決めていました。理由は特にありません。直感です。その子を見た後は、他のわんちゃん達のいるお部屋を見ることもありませんでした。
一日置いたのは、一応夫にも相談しようと思ったからです。
●
次の日また施設に行くと、その子は相変わらずドッグベッドの上ではないところで寝ていました。今度は扉の前に丸まっていて、相変わらず私には見向きもしません。私はスタッフに「この子を引き取りたい」と申し出ました。
スタッフとの面談では、職業、年収、家の広さ、塀の高さ、庭の有無、ドッグトレーニングの知識、犬を飼う事にあたっての知識など聞かれました。IDと免許証のコピー渡し、審査を待ちます。
審査の結果は、翌日掛かって来た電話で知らされました。
無事引き取り許可が出ましたが、健康診断、避妊手術などを行ってからの受け渡しになるとの事で、7日後の8月4日に手続きをすることになりました。
――8月4日 13:00――
ひと通りの手続きを済ませ、ロビーで待機。
私はあの子のために奮発したCOACHの首輪とリードを手にドキドキ。そして、売店奥の廊下からグイグイとスタッフさんを引っ張ってあの子が登場。
スタッフさんがあの子に言いました。
「彼女があなたのマミーよ」
私は興奮してハッハッしているあの子に、新しい首輪をつけてあげました。人の手を怖がる子と聞いていたのですが、このときは嬉しくてそんなこともすっかり忘れていました。
●
名前はあの子に最初から付いていたレクシィ(Lexi)をそのまま使うつもりでした。
しかしスタッフが笑いながら、「前のオーナーのひどい飼い主がつけたのとは、違う名前がいいわよ」と助言してくれたので、急遽変更。レイクランドテリアから取って、レク(Leku)と名付けました。その方が日本語で呼びやすいですからね。
私たちは施設を出ると、車に乗って家へ向かいました。
「ようこそレク、これからよろしくね」
興奮冷めやらぬレクは、車の中ではずっと立って外を見ていました。家について車から降ろし家の中へ――
「ここはどこなの??」
っていう感じ、レクはずーっと部屋の中をウロウロと落ち着きません。
私は極力平常心でレクを見ていましたが、あの時のレクは、まだ不安で一杯だったはずです。今にして思えば、撫でたりして、もっと安心させてあげればよかったなです。
その日レクはご飯もあまり食べず、夜までずーっと落ち着かない様子でした。
●
――レク、覚えてる?
8月4日のあの日が、私たちの誕生日になったんだよ。
私はあの日の事まだ鮮明に覚えている。
あなたのキラキラした黒い目のことを――
――レクの思い出・つづく――
文:レレコ
Follow @lekunonume
●
――レクの思い出・次話――
記事の作成中です。おたのしみに。
●
凶暴な犬、心のお話|全3話
心(ここ)を迎えた時、私はペットロスの中にいました。
酷い精神状態の中、その犬に出会ったのです。
保護センターから「譲渡はできません」とまで言われる犬
じっとその犬を見つめるうち――
「迎えに来るから待っててね」
と言葉が口を衝きました。
●
カンナがうちにくるまで
もう19年も前のこと――
2匹目の子が欲しいと思っていた矢先、新聞の『貰ってください欄』が目に留まりました。
「なになに、雑種の子犬?!」
元々雑種が好きだった私は、すぐに電話をかけました。
そして数日後にはもう、一人で車を飛ばしていました。
毎日寒い日が続きます。雪が降ると言う予報もでていましたが、横浜では初雪はまだです。今年のピィ子は雪遊びが出来るのでしょうか?
ところでピィ子、もしかして天才?
なんと自分で、ヒーターのスイッチを入れられるようになったみたいです。
ペットショップで偶然に見かけた子犬――
既に家には1年前に迎えた先住犬がいました。しかし私はその子犬のことが気になって仕方がありません。その子犬は大勢の子犬が集められた大きなショーウィンドウの中で、他の犬たちからいじめられて、時折『キャイン!』と鳴いていました。
私はその子を迎えるために、反対する家族の説得をはじめました。
――だってその子は、私にとって運命の子のように思えたのです。
こんな方へ:今回は我が家の2匹目のワンコ、わさびのお話をしようと思います。
私は子供の頃からずっと、自分が犬嫌いだとばかり思いこんでいました。そんな私が、縁あってはじめて迎えた犬が麿呂といいます。
(麿呂のお話はこちらに『麿呂がうちにくるまで』)
麿呂のお陰で私は犬嫌いどことか、大の犬好きであることに気づかされました。
そして――、それは麿呂がうちに来てから、1年半ちょっと過ぎた頃のことでした。
私には新しい出会いがありました。
続きを読む
2021年を迎えました。ピィ子にとっては2回目のお正月です。
昨年はコロナウィルスに明け暮れた1年でしたが、今年は一体、どんな年になるでしょうか?
出会いは19年前、新聞の片隅にあった『貰ってください欄』がきっかけでした。
ペットとの出会いには、運命めいた偶然がよくあるものです。
何故だか小さな一文に目が留まった――
そんな些細なことからでも長年寄り添う命と繋がっていくのですから、動物と暮らすということは奥が深いものです。改めて考えてみると、小さなきっかけから強い絆が育っていく不思議を、我々は運命と呼ぶのかもしれません。
あれは――、2002年の1月明けて間もなくの頃だったと思います。
私は当時住んでいた島根県で、購読していた新聞の片隅にあった『貰ってください欄』に目を留めました。
【貰ってください】
――犬|1ヶ月|雑種
――白、薄茶|3匹|雄雌
「なになに、雑種の子犬?!」
すぐに私は食いつきました。
我が家には、当時2歳になって間もない、ブライスという雄のミニチュアダックスフンドがいたのですが、丁度そのブライスの妹分に、女の子が欲しいと思っていたところだったのです。ダックスは娘の希望で飼った犬で、私自身は元々雑種好きでした。
犬や猫を飼うとき、必ず思う事がありますね。
「うちで飼えるかな?」
「きちんと世話が出来るかな?」
「最期まで面倒をみてあげられるかな?」
「別れは寂しいだろうな?」
『うちの子がうちにくるまで』はそんな初々しい時を、飼い主自身が振り返り、自分の言葉で綴ったエッセイです。
もう一度思い出してみませんか? あの頃のこと。
愛犬や愛猫が、もっと可愛くなるはずです。
犬や猫を飼うとき、必ず思う事がありますね。
「うちで飼えるかな?」
「きちんと世話が出来るかな?」
「最期まで面倒をみてあげられるかな?」
「別れは寂しいだろうな?」
『うちの子がうちにくるまで』はそんな初々しい時を、飼い主自身が振り返り、自分の言葉で綴ったエッセイです。
もう一度思い出してみませんか? あの頃のこと。
愛犬や愛猫が、もっと可愛くなるはずです。
母も私も犬を飼うことに反対でした――
そう語る作者でしたが、それは本当の気持ちの裏返しでした。
かつて愛犬の死を経験したために、別れの辛さばかりを考えてしまって、新しい犬を迎えることに前向きになれない母親。そしてその母親の影響から、子供の頃に犬を飼うことを許してもらえず、自分から犬を遠ざけるようになってしまった作者。
しかしそんな作者の家に、犬がやってくることになりました。
こんな方へ:今日は我が家の愛犬、麿呂(まろ)のお話をしたいと思います。
麿呂は私にとって初めての犬です。私が産まれる前は、我が家はずっと犬を飼っていたそうなのですが、その子が亡くなってしまってからは、犬との縁がすっかり途切れてしまいました。というのも、母がその子との別れがあまりにも辛かったらしく、次の子を迎えることにずっと反対していたからです。
●
実は私も、あまり犬は好きではありませんでした。どちらかというと嫌いといった方が良かったかもしれません。触るのも嫌なほどで、顔を舐められるなんて吐き気がしたくらいです。何故そうだったか自分でも定かではありません。
記憶をたどると、私がもっともっと小さかった小学生の頃に、ペットショップで「犬が欲しい」とお願いしたことがあったのですが、想像するにその時に飼ってもらえず、ワガママ子供のプライドに傷が付いて、犬を遠ざけるようになってしまったのではないかと思います。
続きを読む前話に書いたように、一度仕切り直しはあったものの、無事避妊手術を終えたピィ子。
しかし、手術後にも心配なことがありました。
先代犬のピーチーのときは、手術後にはとりたてて気になることはなかったのですが、やはり個体差はあるのですね。今回はあまり話題にならない、避妊手術後の心配事や、変化について書いていこうと思います。
ピィ子は生後1年5か月で、とうとう避妊手術を――
生後6か月の頃に一度考えたのですが、その時には色々と考え(後述します)もあって、一旦見送りました。その後は生後1年でまた考えて、このときも見送り。そして3度目の正直で今回です。
本日(11月22日)時点ではまだ抜糸は済んでいませんが、子犬の時期にやることには、一区切りついたように思います。
© 2017 Peachy All rights reserved.