介護と終末期、飼い主として実感したこと(1/2)

その時は普通に迎えたい
犬も猫も、最後は自分の死を通して、色々な事を教えてくれるような気がします。
別れが近いことは肌で感じ取れるものです。
だからこそ ”その時” を普通に過ごしたいと思います。
日常の中に別れがあるのだと思うのです。
”その時”、愛犬と言葉は交わせないのに、心が通うのを実感しますね。
寂しい事だけれど、とても良い時間だったと思います。
こんな方へ:
愛犬が闘病中だ|介護の時期に差し掛かっている|別れが近いと感じている|その時が来るのが恐い|愛犬が去った後、飼い主はどうなるの?|経験者の話が聞きたい
愛犬を看取った経験はありますか?
皆さんは愛犬を看取った事は、ありますか?
筆者は2016年に、愛犬のピーチーを看取りました。
看取る前は、看取りとはどんなものか、想像もできませんでした。
しかし今は良く分かります。
あれは、別れとは少し違うもののような気がします。
何とも表現のしようがないのですが、看取りからまた、新しい何かが始まりそうな予感とでもいうのでしょうか?
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これは皆さんが共通の思いでしょうか?
それとも筆者だけの思いでしょうか?
これから、筆者が愛犬のピーチーを看取った時の、経験を書こうと思います。今日と明日は、その前文です。
苦渋の覚悟と別れの形
飼い主と愛犬の別れの形は、各家庭ごとに様々であるはずです。絆が強ければ強いほど、その別れは辛いものになることでしょう。
突然の事故や、急病による急逝でない限り、ほとんどの場合がその前に闘病の期間があり、段々と弱っていく愛犬の姿を飼い主が目の当たりにします。
そして、傷心の飼い主に追い打ちをかけるように、もう間近に迫った別れの予感が襲ってきます。
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多くの人たちは、最初のうちはそれを打ち消すことでしょう。
しかし段々と愛犬の死が避けられないものであることを、素肌の感覚として感じ取るようになると、飼い主はやがて来る ”その時” のために、覚悟を決めはじめます。
この苦渋の覚悟は、経験した方でなければ、なかなか実感ができないかもしれません。
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筆者の経験に照らして言うならば、看取りの時を受け入れる覚悟は、決して悪いものではありませんでした。
覚悟さえ決めてしまえば、むしろ良い看取りをすることが大きな目的になり、むしろ気持ちの支えにさえなりました。
我が家なりの別れ
ピーチーが生きたのは、14年と7か月と3日。
その時間をずっと一緒に過ごしてくれた愛犬に、一番相応しい最期の時とは何かを真剣に考えるようになると、見送る時の心構えが次々に決まっていきました。
まずは、残された時間を看病とは考えず、普通に接して、楽しく過ごそうと思いました。そして愛犬の前では常に笑顔でいようという決め、見送る瞬間にも決して泣くまいと誓いました。
それは言いかえれば、我が家なりの見送りの方法を探すことでもありました。
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念のために申すと、筆者がここで書こうとしているのは、沢山の犬たちの見送りの瞬間の、たった一つの例にすぎません。
見送りには、唯一無二の最高の方法というものは存在しないはずです。しかしながら、我が家なりの送り方というものは、必ずあるように思います。
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この連載は、”我が家なりの別れの仕方”を模索した、ひとつの家族の記録です。筆者にとって良かったことが、どの家庭でも良いこととは思っていません。
しかし本作を読まれた方が、『我が家なりの方法』を考え始めるきっかけくらいには、なるのではないかと思っています。
いつかやってくるその日は、今の延長にあります。
どうか良い答えが見つかりますように。
――うちの子が旅立つまでのこと・前文(1/2)・つづく――
文:高栖匡躬
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――次話――
犬を看取る時、不思議な事が良く起きます。
別れの直前、急に元気を取り戻して家族を驚かせたり、
家族が休みの日を待つように旅だったり。
うちの子はオトボケですから、そんなことはないと思っていました。
ところが……
不思議ですね。
――前話――
はじまりは、ほんの小さな予兆でした。
体の震え。ときどき息が粗い。食欲不振。
ピーチーは大病を大きくは2度経験してから、体調が悪いときがたまにありました。既往症もありました。
またかな? と思ったのが始まりでした。
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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看取りの視点 - 心を軽くするために
第3話|生き様と、死に様について
愛犬が旅立った時、その別れ方を飼い主は想います。
良い別れだった? それとも良くない別れだった?
それは、良い一生だったのか、そうでなかったのか?
という意味も含みます。
一生に、良し悪しなんて無いのにね。
別れ方というものは、後で幾らでも変えられるんだと思うのです。
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第4話|それは一瞬ではなく、連続した時間
看取りは、臨終への立ち会いが重視されがちです。
しかし別れは連続した時間であり、臨終はその一部に過ぎません。
飼い主が予感した瞬間から、看取りはもう始まっています。
自分らしく愛犬を送ることが、一番大切なのではないでしょうか?
最期の瞬間に立ち会えなかったとしても、悔やむことはない。
そんなお話です。