介護と終末期、飼い主として実感したこと(2/2)

最期の時に想う
最期の時(終末期~臨終)は、寂しいけれども良い思い出です。
思い出す度に力をもらうし、今でもまだ心が通っているんだと思わせてくれます。
「今頃ピーチー、どうしているかなあ?」
そう思うたびに、「あっちで、楽しくやっているだろうなあ」と思って、笑顔になります。
だから、別れは悪いものじゃないと思うのです。
こんな方へ:
愛犬が闘病中だ|介護の時期に差し掛かっている|別れが近いと感じている|その時が来るのが恐い|愛犬が去った後、飼い主はどうなるの?|経験者の話が聞きたい
必ず訪れる別れ
自分の愛犬が歳をとり、平均的な寿命の年齢を迎える頃になると、とたんにその死が身近なものになってきます。そんな時に、多くの飼い主が覗くようになるのが、ペットロスや闘病をテーマとしたホームページやブログです。
筆者の場合もそうでした。
必ず訪れる愛犬と別かれに備えて、自然に心が準備をしたがるのです。
まるで神様の手配のような、不思議の時
当然ながらこの種のブログでは、愛犬との別れにまつわるエピソードがつきものです。そしてブログを通して、幾つもの別れを追体験していると、不思議なことに気がつきます。
愛犬との別れには、まるで神様が手配をしたかのような絶妙なタイミングが沢山あるのです。
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幾つか例を挙げてみましょう。これらは筆者がブログで知り合った方々が、実際に記事として書かれたものを抜き出したものです。
ずっと仕事に追われていて、何か月ぶりかの休みで、たまたま家にいたその日に、愛犬が天国に行った。
例2
単身赴任で普段は家にいられないのに、久しぶりに家に戻って、散歩に連れて行ったその夜に旅立ってしまった。
例3
海外にいて、たまたま愛犬が夢に出てきたその時間が、愛犬が息を引き取った時間であった
炎を燃やすように
これら別れのタイミングにまつわる不思議(奇跡)と同じくらいに、死の一歩手前で、愛犬が最後の命の炎を燃やすように元気を取り戻し、家族たちと楽しいひと時を過ごすという体験も良く目にします。
フリーアナウンサーで、癌で亡くなった逸見正孝さんの奥様、晴恵さんの愛犬、ダルメシアンのヤンチャビのエピソードは、TVでも紹介されたこともあって有名です。
難病を患った晴枝さんが病院で亡くなり、無言の帰宅をしたその時、既に背骨に障害があって歩けなくなっていたヤンチャビが、残った力を振り絞るように、晴枝さんの枕元に這いずるようにやってきました。
そしてヤンチャビは、2日遺体に間寄り添った後に、自分も天国に旅立ったのです。
我が家にも奇跡は舞い降りる
愛犬との別れの話は、どれもこれも感動的な話です。
それらを知った当時は、「こんな劇的なことが、我が家にも起きるのだろうか?」と思いました。むしろ「起きるはずがない」とも思ったものです。
いたずらっ子で、腕白で、食いしん坊で、特別に他の子と比べて利口とも思えない、ごく普通の我が愛犬が、そんな感動的な行いをするとなどとは予想もつきませんでした。
しかし、結果を先に申し上げると、我が家にもその奇跡は舞い降りました。
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犬って偉いなあと今になると思います。ドッグイヤーという言葉がありますが、ずっと仔犬だと思っていた我が子が、いつの間には自分を追い越して、全てを悟ったかのように、飼い主を気遣いながら死んでいくのですね。
この連載の願い
さて、次回からの連載では、筆者の愛犬ピーチーの、看取りの12日間を記していこうと思います。この連載は、”我が家なりの別れの仕方”を模索した、家族の記録と言って良いでしょう。
もちろん、我が家で良かったことが、どの家でも良いことだとは思っていません。
しかし本作を読まれた方が、『我が家なりの方法』を考え始めるきっかけくらいには、なるのではないかと思っています。
いつかやってく”その日”は、今の延長にあります。
どうか良い答えが見つかりますように。
――うちの子が旅立つまでのこと・前文(2/2)・おわり――
――以後・本編につづく――
文:高栖匡躬
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――次話――
いつも元気一杯だったピーチー。
大病をしてから、体調に浮き沈み。
この数日も「ちょっと変」と思い、「”多分”、いつものこと」とも思っていた。
”多分”は段々と弱々しくなり、少しだけ嫌な予感も。
「今日は病院だな」と思ったのがこの日。
――前話――
愛犬ピーチーの看取りの記録、前文です。
介護や看取は、我が家なりの方法を探すのが大切
――という内容です。
その時の心の準備について書きました。
まだ介護、看取りの覚悟が必要でないという方も読んでみてください。
実はそれは、今を豊かにするたことに役立つはずです。
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――この連載のはじまりです――
はじまりは、ほんの小さな予兆でした。
体の震え。ときどき息が粗い。食欲不振。
ピーチーは大病を大きくは2度経験してから、体調が悪いときがたまにありました。既往症もありました。
またかな? と思ったのが始まりでした。
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別れの印象
愛犬の『死』をイメージしたことはありますか?
経験して感じたことは、月日が経つほど『死』の印象は柔らかくなるということ。
実は『死』は、優しいものなのかもしれないな?
そんなお話です。
犬の寿命は人間よりずっと短いですね。それを、はかないと感じますか?
犬は何をやるのも一生懸命。
きっとその一生を、全力で駆け抜けていくのだと思います。
だから、別れの言葉も、それにふさわしいものを送りたい。
筆者が愛犬に送った別れの言葉。
それは『またね』でした。
愛犬はきっと、『またね』と言って去っていくと思ったのです。
別れの言葉なのに、なんだか再会が期待できそうな言葉『またね』