犬を飼うということ

いつまでも君と……

【看取り】それは一瞬ではなく、連続した時間 ~視点を変えて見えるもの(4/4)~

f:id:masami_takasu:20180315180125j:plain文:高栖匡躬

筆者の愛犬、ピーチーの去り方は劇的であり、今わの際のピーチーの行動には、我が子のことながらも感動を覚えました。→ピーチーとの別れはこちらにあります。

あれから2年が過ぎましたが、筆者は今でもとてもピーチーにとても感謝しています。

ピーチーの死に立ち会って以来、筆者はこう考えるようになりました。
犬たちはきっと、最期の瞬間まで飼い主を気遣っているのだ――、と。

 

 無数にある別れ

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筆者は、我が家に起きた様々な幸運に感謝しています。
今考えても、あれは奇跡のような時間であったと思っています。

家族とピーチーは最後の瞬間まで共に過ごし、家族も、恐らくピーチーも、思い残すことない別れをしました。

飼い主としてやり切ったと思っているし、悔いはありません。

しかしながら――
我が家に起きた出来事が、最良だったとは思っていません。

きっとわが家の別れは、無数にあるであろう、飼い主と愛犬たちの別れの、たった一つの例に過ぎないはずです。

別れには家族の数だけバリエーションがあり、そこには無数の正解があるのだと思います。それぞれの家族と犬たちが、自分らしい別れをすれば、きっとそれらは全てが素晴らしい別れであるに違いありません。

ふと思うのですが、もしかすると満足の行く別れをしたいと願うことは、”自分らしさは何か”を探すことなのかもしれません。

 

 別れは一瞬ではない

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さて、全ての飼い主と愛犬たちが、最期のひと時を一緒に過ごせるとは限りません。
犬が飼い主の帰宅を懸命に待っていながら、体力が続かず、飼い主の顔を見ることなく旅立つことだってあるはずです。
現代のような多忙な世の中では、もしかするとそちらの方が多いようにも思えます。

しかし、だからと言って、別れが不本意なものであったのかというと、そうではないように思います。

自分の経験からいうと、別れと言うのは瞬間ではなく、ある連続した時間のように思います。別れの覚悟、別れの準備。そんなこともすべて含めて別れだと思うのです。

 

 別れの予感

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飼い主が別れを予感した時から、すでに別れは始まっていると言っても良いでしょう。
ですから、もしも愛犬の最期の瞬間に立ち会えなかった飼い主さんがいらっしゃったとしても、それは決して悔いることでは無いと思います。
飼い主と愛犬は、別れという一連の時間を確実に共有しているのです。

今、愛犬が病の床にあり、死が避けられないものと実感されている飼い主さんがいらっしゃれば、ぜひこれからを楽しんで下さいとお伝えしたいです。

今の瞬間はきっと、将来振り返ると、別れの時間の一部になっているはずです。
今を良く生きることは、即ち良い別れを作っていること。或いは組み立てていることに等しいと思います。

 

 そのときでなければ出来ないこと

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犬との触れ合いは、その時でなければできないことが幾つもあります。
例えば、生まれたばかりの幼犬の時が瞬く間に過ぎて、その後同じ経験が二度と出来ないようにです。

老犬になる。或いは病気になって弱っていく我が子と過ごす時間は、その子が幼犬だったころと同じように、その時でなければ味わえない貴重なものです。

愛犬を看取った経験者として言わせてもらえば、飼い主にとっての最期のひと時は、ずっと消えることのない大切な思い出です。どうか後悔の残らぬように、皆さんが愛犬を見送るそれぞれの方法を、見つけられることができますように祈っています。 

 

――看取り/視点を変えて見えるもの(4/4)おわり――

(ライター)高栖匡躬

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