犬を飼うということ

いつまでも君と……

最後の瞬間まで喜びはあるもの ~終末期を楽しむと言う選択(3/3)~

f:id:masami_takasu:20180722174403j:plain撮影&文:高栖匡躬 

看取りと言うのは、臨終の瞬間という意味もあるのですが、そこに至る手前の、ある一定の時間でもあります。

その時間は、さぞかし悲しいものだと思われかもしれません。
しかし、そこにはちゃんと喜びも笑いもあるのです。

だだ、それを感じ取れるのか、或いは表現できるのかは個人差があるように思います。

一体、どんな看取りが良いのでしょうね?

 

 そこにあるのは、不安ばかりではなく

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愛犬の看護、介護の終末段階は、多くの飼い主を不安の底に落とすもののようです。
飼い主は目の前の我が子が、いつこの世を去って行ってしまうのかと、不安にさいなまれるからです。

しかしながら我が家はなぜか、愛犬が臨終を迎えるその直前も、大きな不安には襲われませんでした。なぜかと考えてみると、一番最後のその瞬間まで、愛犬との触れ合いを楽しんでいたからのように思います。

看取りの時期は切なさを伴います。我が家もそうでした。

しかし、そこにあったのは切なさだけではありません。ちゃんと喜びもありました。
もう少し正確に言えば、そこには"喜びの種"のようなものが沢山あり、我が家は幸運にも、それに気付き、楽しむことができたということです。

 

 喜びの種

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喜びの種というのは、そのもの自体はまだ喜びではありません。
その種の存在に気がついて、それを積極的に楽しむかどうかで、喜びになるのか、そうでないのかが決まるように思います。

切なさや悲しみに目を奪われて、貴重な喜びの種を見落としてしまったら、もったいないと思います。

最後の瞬間まで、愛犬はそこにいるのだから、楽しまなければ損だと思います。
それは、飼い主のためだけでなく、愛犬のためにもです。
また――
そうでなければ、介護をする飼い主の心が、悲鳴を上げてしまいます。

どんなことが喜びの種なのかというと、本当に些細な事です。
我がの愛犬ピーチーの場合は、体調が深刻になっていく従って、ちょっと触ってやったり、ちょっと笑ってやるだけで喜んでくれるようになりました。
それを切ないと思えばそれまでなのですが、それを面白いと思えば喜びに変わります。

喜びの種の例は、多くの飼い主さんが書き残した、愛犬の闘病記を読むと沢山でてきます。そもそも闘病記と言う、客観的に見たらネガティブな記録を書き記そうとする飼い主さんは、愛犬の生きた証を感じ取ろうとしている積極的な思考があるように思えます。

だからこそ、小さなことに驚き、楽しむのだと思います。

もしも闘病で悩まれることがあれば、ぜひ飼い主さんの書いた闘病記を読まれる事をお勧めします。同じ病気でなくとも、闘病や介護に対する心構えや、積極的に楽しもうという姿勢には、きっと励まされるのではないかと思います。

 

 受け入れることで

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病気による体の衰えは、悔やんでみてもそれで改善するわけではありません。
受け入れることで、見えてくる景色が変わりますし、”喜びの種”はより見つけやすくなるでしょう。

例えば我が家のピーチーですが、衰えとともにトイレが上手くできなくなりました。
しかし、それも受け入れてしまえばゲームです。
前回の記事にも書きましたが、上手くできた時に思い切り褒めてやると、ピーチーもやる気になって来て、トイレが上手くできると、「どうだ!」という顔をするようになりました。

そして、おやつを上げます。
まるで仔犬に戻って、もう一度トイレのトレーニングをしている気分になってきます。

もっと弱っていくと、食べられるものも限られてきます。
本当に好きなものだけに、食べものが絞られていくのです。

元気な頃は食いしん坊で、何でも喜んで食べていて、こっちが大好物だとばかり思っていたものにそっぽを向くようになります。
例えばピーチーの場合は、キュウリのヘタとか、メロンやスイカの皮に近い部分です。
「あれ、お前これ、本当は好きじゃなかったの?」とか、
というような具合です。

食べられないものが増えると、食べられるものを探すようになります。
そうするとまた、新しい発見があります。
「なんだお前、これ好きだったの? 早く上げれば良かったね」
そんな風に、これまでに気がつかなかった、愛犬の新しい側面が見えてきます。

日に日に弱っていく愛犬は、まるで新しい仔犬を家に迎えた時ように、次々に違う顔をみせてくれます。

それを嘆き悲しむのも一つの考え方。
喜びの種として捉えて、それを楽しむのも考え方なのだと思います。

 

 最期まで普通に

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我が家の経験でいうと、些細な事を面白がって喜んでいたら、いつの間にか時間が過ぎていきました。

ピーチーが旅立つ僅か30分ほど前は、「やっぱり肉球は枝豆の匂いがするな」などと言って、家族と一緒に肉球の匂いを嗅いで、笑って頷きあっていたほどです。

笑っていたら時が過ぎたので、終末期の介護をしたという実感がありません。
とりたてて大変だとも思いませんでした。

最後の最後まで普通に生きて、ある時急に旅立ったという印象です。
今考えると、あのように過ごせたのは幸運だったのかもしれませんね。

これから介護にのぞまれる方は、どうかそれを楽しむこにも注意を注いでください。
その方が心の負担はかるくなりますし、愛犬が大好きな飼い主の笑顔を、沢山見させてあげることにもつながっていきます。

 

――終末期を楽しむと言う選択(3/3)・了――

文:高栖匡躬
 

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