今は自信を持って言えることばかりです

『警察犬の学校に行くこと』(全4話)では、愛犬を警察犬学校にやる飼い主の立場を中心に書いてきましたが、今回はこれまでに触れられなかった、チッチ先生からの教えについてまとめておこうと思います。
チッチ先生から教えてもらったことは、とてもシンプルでした。しかしそれは、飼い主が愛犬と仲良く付き合っていくための、根本姿勢のようなものだと筆者は思いました。
しかしながら、うちのピーチーに良かったことが、どのワンコにも良いわけではないでしょう。また根本姿勢であるとはいいながら、18年も前の話なので、いまとは状況が異なる点もあると思います。
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なるべく注釈を添えながら書きますが、どうかそれを鵜呑みにしないで、使えるところだけつまみ食いをしていただければありがたいです。
それではまとめていきます。
【目次】
- 今は自信を持って言えることばかりです
- チッチ先生が教えてくれたこと
- 我が家はどうしたか
- 警察犬の学校に行って良かったか?
- 本当に大切なことは、実はとても単純
- 犬を飼うということ
- もう一度、犬を飼うということ
- いつだって新米飼い主
チッチ先生が教えてくれたこと
チッチ先生の教えは、精神論ではなく具体的なものでした。後になって身にしみてわかるのですが、動物を相手にすると全てにおいて、”何を”、”どれくらい”、”どうしたら良いのか”といういことが、とても分かりにくいのです。
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本を読んでも、インターネットで検索しても、ちょうどいい頃合いがわかりません。しかもそれらは、短期的な視野で語られているものが多くて、犬の一生を通してどのように付き合っていくかという、長期の視点が欠けているのです。
読んでいただくとわかるのですが、チッチ先生の教えはそれを示してくれるものでした。
食事は質素に
その1 なるべく安い、ドライフードから試してください
高額なフードには、犬の指向性(嗜好性)を高める余分な添加物が含まれています。それに対して、安いフードにはそれが含まれていません。一番安いフードから試して行けば、添加物によるミスリードを避け、愛犬の体に合う食事を見つけることができます。
フードの話は奥が深い話になるので、これ以上は別の記事に譲るとして、ここでは考え方だけを取り入れていただくのが良いでしょう。
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その2 白米も時々あげてください
白米を上げる際は、水を掛ける程度で十分です。犬の味覚は敏感なので、ごはんに水だけでも十分に甘いのです。油分を補うために、鶏肉のささ身を少し入れてやるとよいでしょう。舌を贅沢にさせないことが大切です。
叱るときには徹底的に
愛犬を叱る際、叩くのならば、男性の手が痛くなるくらいでちょうどです。蹴るのならば体がよろめくくらいの強さが良いでしょう。
女性は力が無いので、皮のリードを使って、ムチのようにしてください。パシ――ンと大きな音がするくらい。
犬は痛いと思わなければ叱られているとは思わず、構ってもらっていると考えます。
ブルテリアは犬の中でも特に痛みに強いので、人間がやりすぎたかなと思うくらいが丁度だと思ってください。
(飼い主は無意識に加減するので、それも加味してのことです)
最近はSNSで犬の虐待が拡散され、マスコミでも話題になるようになりました。犬を蹴るという行為は、即ち虐待であるという風潮もなきにしもあらずです。
しかし、冷静に考えてみると、犬の躾に際して蹴るという行動は理にかなった方法です。
例えば散歩の最中に、犬に何らかの問題行動(拾い食いなど)があったとき、即座に叱る(犬に対して、飼い主がそれを認めないというサインを送ること)ためには、足を使うことが最もレスポンスが早く、また十分な強さのメッセージが送れる手段です。
足は、かのシーザー・ミランも使っていますね。
虐待で行われる”蹴り”と、躾で行う”タップ”は、足をつかうところまでは同じですが、中身は全く違っていると思うのです。
犬は強い生き物だと理解する
犬は野生の状態では、3日でも4日でも同じ場所で、ピクリとも動かずに獲物を待ちます。もちろん飲まず食わずでです。犬はそんな強い生き物なのだと言うことを前提に、付き合えば良いのです。
仕事で帰宅できず、ご飯をやれなかったとか、うっかり水を補給するのを忘れていたとか、狭いケージに閉じ込めたままで外出してしまったなどは、犬にとってはそれほど苦痛ではないようです。
気にしすぎると、飼い主の側がストレスを感じてしまいます。
我が家はどうしたか
さてここまで書いてきたチッチ先生の教えですが、我が家がそれをどのように実践してきたかを書きましょう。18年前は半信半疑で守ってきたことばかりですが、ピーチーの一生を見届けた今、『チッチ先生、本当だったよ』と感謝するばかりです。
我が家の食事はこうでした
結局フードはこうなった
まずはフードですが、ピーチーは肌が弱いので、ちょっと体質に合わないだけで体中に湿疹ができてしまいました。 チッチ先生の教え通り、一番安いフードから試して行きましたが、結局行きついたのは、そこそこ高いサイエンスダイエットの『減量サポート』でした。ピーチーは大食いなので、カロリーを抑えながら少し多めに食べさせるという方法に落ち着いたのです。
具体的に言うと、ダイエット食を1.5倍の量、食べさせていたというこですね。
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因みに膵炎を患ってからは、スペシフィックの『CRD-1』という超低カロリーの療養食に切り替え、てんかんの発作以降は、薬の嫌な思い出と『CRD-1』が結びついてしまったため、やむなくロイヤルカナンの『消化器サポート』を併用しました。
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白米もあげました
白米をあげる時は、基本は水を掛けるだけでしたが、飼い主の気分で、時々かつお節をパラりと振りかけてやりました。ピーチーは普段が粗食だったので、かつお節くらいで、飛び上がって喜びました。これ、冗談じゃなく、本当に大喜びです。
他にも、蝦夷鹿のフレークとかもかけてあげました。それも大喜びでした。
フードにはトッピングはしていません。白米の時だけで、それも時々でした。喜んでたべてくれるのは、普段が粗食だからですからね。
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粗食のススメ
粗食を心がけていいて良かったなあと思ったことがありました。
病気の時(特に最後の闘病の時)にとても助かったのです。
終末期には普段では考えられないほど食欲が落ちますね。当たり前です。
そんな時でも、ピーチーには豊富に選択肢が残っていました。
何も食べさせることだけが良いわけではありませんね。しかし、この世を去る最後の最後まで、食べる楽しみを残してやれたことは、飼い主冥利です。
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粗食は、今自信を持って皆さんにお勧めしたいことです。
食事は今だけを見るのではなく、愛犬の一生を通して、飼い主が設計してあげる必要があると思います。
具体的に言うと、終末期の愛犬が食べて喜ぶ姿を想像して、そこから逆算してフードを選ぶのです。その1歩手前では、老犬になって気難しくなったり、好みが変わったりもしますよね。だから、若いうちはとにかく粗食にして、あとにお楽しみを取っておいてあげると良いと思います。
我が家はこのように叱りました
やっぱり手だけれど、手は痛かった
しかる時は、チッチ先生の言われたとおり、本当に手が痛くなるほど思い切りたたきました。足も使いましたが、それをやったのは、散歩のときの拾い食いのときくらいです。来るぞ来るぞと身構えていないと、とっさに足は出ないものです。
しかし、問題行動が多い犬のときには、足は有効だと思います。瞬時にコマンドを送れますので。因みにピーチーの拾い食いは、足のお陰ですぐに矯正できました。
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手で思い切り叩くことには、副産物がありました。
ピーチーの頭に、叩かれると痛いという事が刷り込まれるので、手を上げるだけで言うことを聞くようになりました。本当に叩いたのは最初の内だけで、その後は叩くふりでも良くなりました。実はそこに至るまでに、もう一段階あります。次にそれを紹介します。
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ぜひおすすめしたいのが、室内スリッパ
室内用のスリッパで、思いっきり頭を叩くのはとても効果的でした。
振りかぶって、全力で叩くのです。
「バシーーーン」と盛大な音は響きますが、本人は全然痛くはないはずです。
大事なのは、飼い主が起こっているという姿勢を示すことなのだと思います。
ピーチーはいつも、『痛ったーい』と言う顔をして、尻尾を畳んで猛烈に反省ていました。吉本新喜劇みたいですね。
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順番的にはこうなります。
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スリッパで思い切り叩いて、飼い主の怒りを伝える。
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叩くポースをするだけで、猛烈に反省するようになる。
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スリッパで思い切り叩くのは、ゲーム感覚でもあります。
痛くないことが分かっているんで、思い切りいけますし、怒りの度合いをポーズで示すこともできます。
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いざと言うとき、強く蹴る覚悟も必要だと思います
結果的には幸い、ピーチーの一生では一度も無かったことですが、もしもピーチーが人間の子供に噛みいたりしたら、筆者は何の躊躇もなく、ピーチーを蹴り飛ばしたことでしょう。
いざと言う時に、瞬時に強い打撃を与える手段は足しかありません。
またそうしなければ、子供だけでなく、犬の命も危うくしてしまいます。
それができるのは、犬はそうしても大丈夫な(その程度では壊れない)生き物なのだとチッチ先生に教わっていたからです。また恐らく、飼い主のそのような覚悟は、犬に伝わると思うのです。
確かに犬は強かった
犬が強い生き物というのは、頭では理解していたつもりだったのですが、チッチ先生に言われて確信が持てました。そしてそれを認識してからは、気持ちは随分と楽になりました。
大切な命を預かっているのだという深刻な考え方でなく、愛犬と楽しく暮らすことに一生懸命になれて、鷹揚(おうよう)な気持ちになれたのです。
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そんなことを本当に実感するのは、ピーチーが病気になってからなのですが、もっともっと前の時点でも付き合い方に変化はありました。
いきなり小さな話になりますが、色々な事情で(うっかりも含めて)ピーチーのご飯を抜かしてしまった時、ピーチーはご飯が最大の楽しみなのとても怒ります。
そんなときも、「堅い事いうなよ。お前アフリカにいたら、何日もかけて獲物を狩るんだろ」という感じで、頭をパシッと叩いてそれで終わりです。
ピーチーもそれだけで、すぐに引き下がりました。
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人間の子供の教育と同じだと思うのですが、愛犬との付き合いは、飼い主の方が『これでいいんだ』と自信をもつことが大事なのだと思います。チッチ先生は、そういう事を教えてくれたのだと思っています。
実は、守れなかった教えもありました
最後にもう一つだけ……
筆者にはチッチ先生の教えの中で、守れなかったことがあります。
守れなかったので、上に書いたチッチ先生の教えの中には入っていません。
その教えが何だったかというと、
『褒めて教えることは邪道だ』
という事です。褒めて教えるのは芸を仕込むのと同じで、犬は何も理解していないと言う事なのです。
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チッチ先生によれば、警察犬の教育方法には、大きく分けて2つの流派があるのだそうです。そしてチッチ先生が属する流派では、犬を褒めるのは禁じ手なのだそうです。
しかし――、これは守れなかった。
例えばピーチーは、オシッコやウンチを上手にトイレでできたら、わざわざ呼びに来て『見てくれ』っという感じで、キラキラした目で、『ワン!』と一つ吠えるのです。
見に行ってやると、『どうだ』っていうように、高速で尻尾を振ります。
褒めないわけにはいかないし、ご褒美も上げないわけにはいきません。
ここのところだけは、チッチ先生に「ごめんなさい」と言う他はありません。
問題犬の行動を、厳しくしつけるトレーナーを虐待だという声も多く聞きます。有名なシーザーミランも、動物虐待とよく言われていますね。
しかし世の中の出来事で、正解が一つだけというケースはほぼ無いですよね。
幾つも正解があるなかで、どの道で問題解決をしようとしているかと言うだけです。
どの道を選んだとしても、それを極めた人たちは、それぞれが違う方法で問題を解決していますよね。例えば医師では外科にも名医がいて、内科にも名医がいるように。
犬の話は何故だか先鋭化しがちですよね。褒める/叱るだけでなく、ペットフード/手作り食もそうですし、ペットショップの不要論もそうです。安楽死だってそうかもしれません。
自分自身の考えをもつのは大切。でも、違う意見の方を非難するのは行き過ぎだなように感じます。「どんな方法でも、解決出来たらそれでいいじゃない」なんて思うのです。
警察犬の学校に行って良かったか?
筆者とうちの奥さんは、チッチ先生の教えにしたがって、14年間をピーチーと楽しく過ごしました。ピーチーもきっと楽しかったと思います。ピーチーは晩年、癲癇(てんかん)に罹ってしまったけれど、体は14歳とは思えないくらい丈夫でした。
その後は劇症肝炎に罹りますが、それは基礎体力のお陰で一番厳しい時を乗り越えることができました。ピーチーは最後に、肺がんでこの世を去りますが、その最後の瞬間まで気力が衰えませんでした。
こんな風にピーチーの一生と付き合うことができたのは、チッチ先生の教えのおかげだと、筆者も奥さんもとても感謝しています。
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では、警察犬の学校には行って良かったかどうか?
これは何とも言えません。行かなかったらピーチーがどうなったかは、知りようがないのですから。
敢えて言うならば、「悪くはなかった」です。
『他の方にお勧めするか?』と問われたら、それも何とも言えません。
何しろ、子犬の頃の一番かわいいだろう3か月を見ないで過ごすことになるわけですからね。それは、とてももったいないことです。
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ただ、一つだけ確信をもって言えることがあります。
チッチ先生とは出会えてよかったです。
もしもピーチーの次の子がうちに来たとしたら、警察犬の学校に行かせるとしたら、チッチ先生の元に生かせるでしょう。そして、行かせなかったとしても、チッチ先生の教えそのままに次の子を育てていくと思います。
答えになっていないかもしれませんが。
本当に大切なことは、実はとても単純
色々と書いてきましたが、犬と暮らすうえで、チッチ先生からは根本のところを教えてもらったように思います。
最も大切なことは、『犬と楽しく暮らす』ということなのだど、筆者は学びました。
しかもそれは、『一生を通して犬と楽しく暮らす』ということです。
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幼犬でうちに来た愛犬は、いつか歳をとって老犬になって、恐らくは終末期の介護の時期があって、そのあとに別れがやってきます。
『楽しく暮らす』のは、今だけではありませんね。最後までそうでなくてはならないと思うのです。
犬の平均年齢は15歳くらい。
15年を楽しく暮らすのは大変なことです。特に最後の1年とか2年は――
きっと犬との生活はマラソンみたいなもので、ラストスパートの時期がやがてやってくるということなのだと思います。
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走り切るためには、犬生設計みたいなものが必要なように思います。
それは、ゴールを意識した途端に、次々に逆算されることです。
犬生設計は、きっと犬と飼い主の数だけありますね。
いきなり出来上がるものではなくて、段々と積みあがるものでもある。
我が家では、こんな感じでした。
―いつか歳をとるのだから―
・運動量が多い時期に、しっかり運動させて基礎体力をつけよう。
・病気にならないように、塩分や脂分は控えてあげよう。
・最後は歩けなくなるから、家の中でもトイレができるようにしてあげよう。
・獣医さんにどこを触られても大丈夫なように、今から沢山触っておこう。
・最後まで食べる楽しみを残して上げたいから、粗食で我慢してもらおう。
―それから―
・この子とお別れする時までに、自分はどんな飼い主でありたいかを考えよう。
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チッチ先生の教えから筆者が学んだことは、こんなところです。
もし良かったら、参考にしてください。
そして、押しつけがましいようなら、忘れてしまってください。
愛犬と飼い主のの付き合い方なんて、正解はそれこそ、星の数ほどあるのですから……
――チッチ先生が教えてくれたこと――
文:高栖匡躬
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――前話――
前話は『警察犬の学校に行くこと』の第4話です。
いよいよピーチーは卒業。
「しばらく、優しくしてやってください」とチッチ先生は言いました。
家に帰ってきてもピーチーは、自信を失ったままでした。
しかし、それも1か月ほどで、元のはつらつとしたピーチーに戻りました。
チッチ先生の言葉の意味をそこで知るのですが、この1か月でピーチーと家族の信頼は決定的になったように思います。
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
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――連載の1話目です――
もう18年も前のこと。
うちのピーチーは、警察犬の学校に入りました。
別に、警察犬にさせたかった訳ではありません。
何故そのようなことをしたのか?
その当時は、やむにやまれぬ事情がありました。
子犬の時期に、3ヶ月家を離れることになります。
しかし、良いことが沢山ありました。
そんなお話です。
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犬を飼うということ
サイト名なのですが、記事として書いたことがありませんでした。
沢山の意味を込めた名です。同名のTV番組が有名なのですが、それはそれ。
出会いから別れ、喜びも悲しみも、全部詰まっている言葉ですね。
その昔、谷口ジロー氏の『犬を飼う』のように、犬を愛そうと思っていました。
そしてピーチーがきました。
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もう一度、犬を飼うということ
愛犬ピーチーが去って、3年が経ちました。
少しだけ寂しいのですが、その寂しさを楽しむ毎日。
次の子は?
考えないでもないのですが、是非にという気持ちでもなくて――
そんな中で、1枚の写真が送られてきました。
少しだけ、心が動きました。
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いつだって新米飼い主
先代犬のプルテリア、ピーチーを看取って3年半。
二匹目のブルテリアを迎えることにした作者。
つくづく思うのは、自分が新米飼い主だということ。
食事のこと、医療のこと、先代犬のときとは、犬に対する考え方が違います。
先代犬での経験は、先代犬だけのもの。
奢らず、謙虚に――、そう心に刻みつつ