ようこそペットロス(3/4)
覚悟についてを考えてみる
ペットロスのお話、今回は3回目です。
筆者は愛犬ピーチーを看取った時、8つの小さな覚悟を、1つ1つ段階を上るように決めて行きました。意識してそうしたわけではありません。
しかし今振り返ると、それはとても良かったように思います。
1つ1つの思いはそれなりに重大なものですが、受け止められないほどのものではありませんでした。しかし、もしも何も準備をしていなくて、別れの瞬間に全てが一度に迫ってきたら、どうだっただろうと思うのです。
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前回記事では4つの覚悟までを書きました。
本記事では残りの4つについて書こうと思います。
初めの4つは、割と普遍的なものかなと思うのですが、残り4つは主観的なものです。
前回も書きましたが、本記事はペットロスを回避する指南書ではありません。
どうかご自分の気持ちにマッチするものだけを、つまみ食いしてください。
終末期を迎えてから考えること
もしかするとこれから書く4項目は、もしも可能であれば予め考えておいた方が良い事なのかもしれません。何故かと言うと、愛犬が終末期を迎えると、じっくりと物事を考えるための心の余裕がなくなってしまうのです。
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筆者はこれらのことを、闘病の初期の頃から常にぼんやりと考えていました。
どうすると、決めたわけではありませんでしたが、いつも考えて頭の中で転がしていました。
いざピーチーが終末期に入った時に、急速に(立て続けに)覚悟を決める事が出来たのは、事前に考えていたからに他なりません。
もしもこの記事を読まれて、ご自分もと思われる方は、今どうするか決める必要はありませんが、頭の片隅に置いておかれる事をお薦めします。
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ここからは、各項目ごとに項を分けて書いて行きます。
それぞれが大事な事だと思うからです。
悲しくなんかないよ
⑤絶対に悲しまないと決めました。
これは④と密接なものなのですが、筆者は今が楽しい時なのだと思うことにしました。
これから先(そう遠くない未来)、ピーチーがいなくなったときに振りかえると、ピーチーがどんな姿であっても、そこにいてくれるだけで幸せなのだと思うだろう。
――そう考えました。
だから、「今は幸せなんだ」と思うことにしたのです。
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「お前のことでは、絶対に悲しんだりはしない」
「なぜならば、お前といるときはいつも楽しくて幸せだからだ」
頭の中では、常にそう繰り返していました。
もしかすると筆者は、そうすることで自己暗示をかけていたのかもしれませんね。
しかし今になって、自信を持って言えることがあります。
一生懸命に「今は幸せなんだ」と思っていた当時を振り返ると、今も幸せな気持ちになるのです。
目の前で弱っていくピーチー。寝たきりになって、不安そうな目でこちらを見たピーチー。旅立つとき、大きく最期の息をしたときのピーチー。どれを思い出しても、そこには幸せな思いがいつも一緒なのです。
安心して行きなさい
⑥良い送り方をしてやろうと決心しました。
筆者はピーチーがこの世を去る際、「あー楽しかった、またね」と言って欲しいとずっと思っていました。自分がどうかではなく、ピーチーが最後にそう思えるような最後にしてあげたいと思いました。
具体的に言うと、終末期になってピーチーが最も心細く感じている時期に、自分が動じてはならないと思ったのです。いつもと同じようにピーチーに接し続けることが、不安なピーチーにとっては、一番重要なのだと思いました。
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このように考えることには、副産物がありました。
まず毎日の介護が、マイナスの行為ではなく、前向きな手段に変わりました。
前向きな目標とは、言うまでもなく ”良い送り” を実現することです。
良く送ってあげるためには、悩んだり悲しんでいる場合ではありません。
淡々とした日常は、実は大きな意味を持っています。
努力をしないと、淡々とした日常は送れないのです。
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目的を持った努力は、介護する者の気持ちを救ってくれるものです。
考え方を変えるだけで、介護は暗い谷底に向けて階段を下ることではなく、じつは天上への階段を上ることにもなるのです。
それは救いでもありました
⑦安楽死を認めて、心の準備をする
安楽死は愛犬の終末期に、飼い主が自分の意志で定められる最後の手段なのかもしれません。
筆者はピーチーの闘病の初期から、ピーチーが苦しむときには、安楽死をさせることを決めていました。決めると言うことの中には、もしもそう判断した時には、決して迷うまいという強い思いも含んでいました。迷いの中でピーチーを死なせてはならないと思っていたのです。
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⑥と同じように、筆者はこの決心をしたことで、思いも掛けぬ副産物を得ました。
最後の手段を持つことは、裏返すとギリギリまで踏ん張れるということでもあるのです。
実は安楽死は、筆者がピーチーを看取る時の、心の拠り所でもあったわけです。
安楽死をする/しない の判断と、安楽死を認める/認めない という判断とは違う次元の話です。安楽死を認めた上でも、する/しない は、飼い主の心に委ねられるのですからね。
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少し話はそれますが、”安楽死をしない” という決断をする場合、それは目の前でどんなに愛犬が苦しんでも、必ず息を引き取るまで見届けてあげるという、積極的な決心でなければならないと思います。
確たる信念があって安楽死を認めない方は別ですが、そうでない(なんとなく嫌だというような)場合は、選択肢としての安楽死を、一度じっくりと考えて見られることをお薦めします。
さあ、最後のご褒美をあげよう
⑧笑って見送ることに決めた
これはここまで書いた別れの準備の、集大成でもあると思います。
筆者は14年と7か月を一緒に過ごしたピーチーが天国に行くときには、恐らくピーチーが大好きだったであろう飼い主の笑顔を、お土産に持たせたいと思いました。
そこで、最後の別れには泣かないで笑顔でいることを自分に課したのです。
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最後の瞬間に笑顔でいることは、とても難しいこと。
もしも思い付いたとしても、急にできることではありません。
日々そのことを考えて、そのために決心を固めて、心を鍛えていかなければならないのです。笑って送ることを目指すことは、実はこれまで書いたことを1つずつ実現した上で初めて成り立つことでもあります。
(⑦だけは、例外かもしれませんが)
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泣いて見送る? それとも笑って見送る?
どちらが自分と愛犬に似合っているのか、一度考えてみると良いと思います。
ここまでは準備のお話
ここまで3回に渡って書いたことは、愛犬の闘病から終末期にかけての心の準備のお話です。
ペットロスにならないためにこれをするわけではありません。しかしこれをやっておくと心が安らかになりますし、その副産物として、ペットロスが軽くなる効果が期待できるでしょう。
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では、もう既にお別れをされていて、ペットロスのただ中にいる飼い主さんはどうでしょうか? 心の準備なしで愛犬との別れを迎えられた飼い主さんへの、救いの手段は何かあるのでしょうか?
それはあると思うのです。分かれの後でも変えられる意識が――
次回、連載の最終回は、そのことに触れようと思います。
――別れの後先・飼い主が出来ること(3/4)・つづく――
文:高栖匡躬
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――次話――
死に抱くイメージは人それぞれ。
筆者は優しい羽毛のように感じます。
奪われるのではなく、差し出す行為なんだと思うのです。
救いでもありますね。
愛犬を思い出すと、今も心にチクリと痛みが走ります。
そんなとき、『得したな』と思うのです。
――前話――
送りに向けて、小さな覚悟を1つ1つ積み上げていきました。
愛犬の衰えを受け入れ――、別れが近い事を受け入れ――
諦めではなく、肯定を
悲観ではなく、前向きに
とても一度に受け止めらきれない大きさ。
”その日”に向けて、心が準備をはじめました。
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
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――連載の1話目です――
ペットロスは誰もが経験するものです。
それで悩む方が多いものでもあります。
筆者のペットロスは、比較的軽かったと思います。
むしろ――、それを楽しんだのかも。
なぜそうだったか?
それを考えた記事です。
ちょっとは参考になるかもしれません。
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別れは特別なものでなく
生き様と、死に様について
愛犬が旅立った時、その別れ方を飼い主は想います。
良い別れだった? それとも良くない別れだった?
それは、良い一生だったのか、そうでなかったのか?
という意味も含みます。
一生に、良し悪しなんて無いのにね。
別れ方というものは、後で幾らでも変えられるんだと思うのです。
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別れについて考える・エッセイ
ラフと歩いた日々|全3話
愛犬を看取る、家族のお話。
ペットと暮らす者なら誰もが通る道だけれど、少しずつ違う道。
色々な選択肢があって、正解は一つではない。
わが家なりの送り方って何?
『ラフと歩く日々』の続編です。