犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

【別れの印象は変えられる】今は良い思い出の中にいるんだよ

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ようこそペットロス(4/4)
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撮影&文:高栖匡躬

 別れの後に思うこと

ペットロスのお話、今回は最終回です。

前3話で書いたことは、愛犬の終末期と看取りまでにできる心の準備です。
ここからは、別れの後でもできる意識の変化を書こうと思います。

皆さんは、死に対して、どのようなイメージを持たれているでしょうか?
ほとんどの方は、”怖い”ものと思われているのではないかと予想します。
人間は見たことがないものや、経験したことが無いことに対して、”怖い”というイメージを持つものです。
死を怖がることは本能なのか? そんなことも脳科学で研究されていて、諸説あるようです。真理はいつか解明されるのでしょうか?

 

 死を恐れることのメリットは?

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真理がどうであるかは別として、合理的に考えると、死を怖れることは生を追求することであり、種の保存という観点からは意味があるように思います。

しかし、もしも死が避けられないものとなった時にはどうなのでしょう?
それでも尚、死を怖れることに、メリットはあるのでしょうか?

死は誰にでも訪れるもので、自然の摂理です。それが遠くにあるときには怖れれば良いのですが、身近に来たときには、逆に怖れたら損なことだと思います。
残された時間が僅かなのに、その貴重な時間を、恐怖と闘うために費やすのはもったいない話だと思うのです。

それは自分の死だけでなく、ペットの死についても同様です。
避けられないものには逆らうよりも、積極的に折り合いをつけた方が良いと思うのです。

 

 それは優しい羽毛のようなイメージ

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筆者は愛犬ピーチーの死が間近に迫ったと予感した時、死は怖れるものではなく、真綿とか羽毛のような、優しくて暖かいイメージであると考えるようになりました。
死は病気で苦しむ愛犬を救い、安息をもたらしてくれる優しいものように感じたのです。予め申しておきますが、筆者は信心深いわけでなく、どこかの宗教に帰依している訳ではありません。

たまたま実家は真言宗の大谷派が菩提寺ですが、法事のときにそこにお参りする程度で、仏教徒というには恥ずかしい限りです。

そんな筆者ですが、ピーチーの死を目前にしたときに、なぜかそんな宗教家じみたことを考えたわけです。それから筆者は、愛犬の死は、自ら神様に愛犬を差し出す行為であって、死神が奪い去っていくものではないと考えるようになりました。
きっと、死に対するイメージがネガティブでなかったことも、筆者のペットロスを軽くした要因ではなかったかと思います。

 

 誰にも同じことが起きている

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さて、愛犬の死を一歩引いて俯瞰すると、そこで起きる事は愛犬の生命活動が止まったという、誰にとっても同じ現象です。
それを差し出すと考えるのか、奪い取られると考えるか?
暖かいものと思うのか、冷たいものと思うのか?
たったそれだけのことで、分かれの印象は全く違うものに変わります。

言い方を変えれば、『姿の見えない冷たい何かに、愛犬を奪われてしまった』と言うことと、『暖かい何かに、愛犬を差し出した』ということは、全く同じ事実を指しているに過ぎないわけです。

今ペットロスで悩まれている飼い主さんには、愛犬の死は、引き裂かれた結果では無いと思っていただきたいです。そしてもしも死にネガティブなイメージを持たれているとしたら、『暖かい何かに、愛犬を差し出した』と考えて見てはどうでしょうか?
愛犬を冷たい場所に見送ったのか、暖かい場所に見送ったのかは、飼い主が別れのあとで決めることができるのです。

 

 今、悩んでいる方へ

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最後に、今現在、ペットロスに悩まれている方に。

ペットロスに悩まれる方の中には、「愛犬のことが忘れられない」と言われる方が大勢います。

でも、愛犬を忘れる必要はあるのでしょうか?
愛犬を思い出して、それが楽しいイメージならば、ニッコリ笑えば良い。
その子がいなくなって寂しいのならば、ホロリと涙すれば良い。
忘れる必要などどこにもないと思います。

平均寿命15年という時間を一緒に過ごしてきた相棒を、そう簡単に忘れられるわけなどないのです。
思い出して寂しくなるのは、その子が一緒にいた証。
心のひっかき傷が痛いのならば、むしろ楽しめば良いのだと思います。

そしていつか、”今”のペットロスを乗り越えたとき。
きっと”今”を振り返ることがあるはずです。
だから”今”は、その思い出をつくっているときなのだと思います。

どうか良い思い出を作ってください。

愛犬が亡くなって、ペットロスになった時期があった。
それは苦い思い出でなく、今では良い思い出だ。
そんな風に、振り返ることができますように。

犬はいつだって可愛いものですね。
子犬の頃も、元気いっぱいの成犬のときも、寝てばっかりの老犬のときも、病気のときも――

そしてその思いは、いなくなってからも続いているのです。

 

 最後に - 良い別れと、満足のいく別れ

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4回に渡って書いて来たペットロスのお話、どうだったでしょうか?
愛犬との別れの記憶は、楽しい思い出と共に、飼い主の心にずっと住み続けるものだと思います。

絶対的な価値観での”良い別れ”というものが、世の中にあるのかどうかは分かりません。しかし、”満足のいく別れ”と言うものは確実に存在しています。
それは筆者が実際にそれを経験したから分かります。

別れに満足してあげて、いつまでもいつまでも、思い出してあげるとのが良いと思います。できれば思い出すときは、涙でなく笑顔で。

因みに筆者はというと、ピーチーを思い出すときには、大抵は笑顔です。
しかし、時には一緒にいた時の記憶があまりにも楽しいので、今ここにいないことが寂しくて、ホロリとする時も――

そんな時には、『得したな』と思うようにしています。
いなくなっても感情が動くのは、いた時と同じなので、『得したな』なのです。

たまに良いことがあったのだから、そんな日には、
「今日は美味しいものでも食べにいくかな」
などと思います。

そんなくらいが、丁度良いと思っているのです。

 

――別れの後先・飼い主が出来ること(4/4)・つづく――

文:高栖匡躬
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――前記事――

「その日」は迫ってきます。
それは肌で感じることができます。

まずは、悲しまないと決めました。
安心して逝かせてやりたい。だとしたらどうしたらいい?
苦しませたくはない。だから安楽死は受け入れよう。前向きな手段として――
そうやって覚悟を積み上げて――
最後は、笑顔で送ってやりました。
我が家の体験談です。

まとめ読み|ようこそペットロス
この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。

――連載の1話目です――

ペットロスは誰もが経験するものです。
それで悩む方が多いものでもあります。
筆者のペットロスは、比較的軽かったと思います。
むしろ――、それを楽しんだのかも。
なぜそうだったか?
それを考えた記事です。
ちょっとは参考になるかもしれません。

 別れは特別なものでなく

それは一瞬ではなく、連続した時間

看取りは、臨終への立ち会いが重視されがちです。
しかし別れは連続した時間であり、臨終はその一部に過ぎません。

飼い主が予感した瞬間から、看取りはもう始まっています。
自分らしく愛犬を送ることが、一番大切なのではないでしょうか?

最期の瞬間に立ち会えなかったとしても、悔やむことはない。
そんなお話です。

 別れについて考える・エッセイ

ラフと歩いた日々|全3話

愛犬を看取る、家族のお話。
ペットと暮らす者なら誰もが通る道だけれど、少しずつ違う道。
色々な選択肢があって、正解は一つではない。
わが家なりの送り方って何?
『ラフと歩く日々』の続編です。

 

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