犬を飼うということ

いつまでも君と……

『血の涙』をもう一度考えてみた ~看取ってみて、初めてわかること。伝えたいこと~

f:id:masami_takasu:20180316123520j:plain撮影&文:樫村慧

また春がやってきた。
愛犬ラフを見送ってから、2回目の春だ。

ラフは4月20日生まれ。生きていれば、今日で13歳になる。
いなくなって寂しいかと聞かれれば、それは寂しい。思い出さない日はない。
しかし、それも案外悪くないと思う自分もここにいる。

ペットロスという言葉がある。
愛犬を亡くした飼い主が陥る、深い穴だ。
私には幸いそれが無かった。いやあったのだろうけれど、その穴は随分と浅かったのではないかと思う――

そのラフに関して、私には忘れられない言葉がある。
『血の涙』という言葉だ。

ラフの闘病の間、私はずっと『血の涙』を流していた。
それが一体何なのか?

実は自分でも分からない。形容のしようも無い不思議な感覚を伴う何かである。
『血の涙』はあるときまでは、嘆きの涙だった。慟哭と言った方が相応しいかもしれない。
しかし、あるときから『血の涙』は、私にとても優しくなった。

そして今――
あの時に流した『血の涙』は、私を柔らかく包んでいる。
まるで私とラフの絆が姿を変えたかのように。

ラフのいない2度目の春――
もう一度考えてみようと、思い立った。
『血の涙』について――

 

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ラフがまだいた頃、『うちの子がうちに来るまで』という文章を書いてみないか、と大好きなブログのブロガーさんからお話をいただいた。
愛犬を迎えるまでの葛藤や喜びを書くことで、より一層愛犬を愛しく思えるというアイデア。犬と暮らす者にとってはかなり魅力的な企画だった。

文章なんて書いたこともない私が、文章を書く上での決まりなど知らないまま、ただラフを迎えるまでと迎えてからの出来事を綴ってみようと試みた。

迎える前後と言ってもそう簡単な話ではない。
先住犬を3歳で死なせてしまったこと、主人が断りもなく勝手にラフを連れて帰ってきたこと。そして、その主人が闘病の末旅立ったこと全てを思うままに書き綴った。

その文章の中で私は、『血の涙』という言葉を用いた。
ラフが8歳で腎不全と判明し余命2年と宣告を受けた時の衝撃と、そこから闘病に前向きになれるまでの間に流した涙を、『血の涙』と表現したのだ。

平穏な日々の中、愛犬が突然病気となる。
飼い主はその現実を受け止めきれずに動揺する。愛するこの子がいなくなるかもしれない、という恐怖に慄き、狼狽えて、足掻いて、それでもどうにかこうにかその現実を受け入れていく。

私がその全てを受け入れて前を向けるまで流していた涙は、透明ではなかったような気がした。

その時の涙には、飼い主の心が愛犬の死に直面し、初めてそれを意識し、傷つき、その傷から流れ出た血液も、一緒になっていたのだろうと思う。

私はその時の涙を、『血の涙』と称するのが相応しいと思った。

 

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――あれから――

ラフを見送って、1年半が過ぎた。『血の涙』についてあらためて考えてみると、もしかしたら少し違っていたのかもしれないなぁ、と私はぼんやりと考えている。

――あの頃――

ラフが病気であることを、どうにか受け入れて、闘病しながら過ぎていった毎日。
今振り返り思うのは、それは何も特別なものではなく、普通の日常としてそこにあったということだ。

病気の進行具合によって、飼い主側の気持ちに浮き沈みはあったが、あの日々は紛れもなく普通の日常であり、投薬や通院や治療をする時間は、驚くほど淡々と過ぎていった。

病状が少しずつ悪化すると、ラフがだんだんと食べなくなり、大型犬の大きなカラダがふらついたりした。私はその都度、苦悩していたとは思うが、その事実を一つ一つ受け止めて、そしてそんな日々もまた淡々と過ぎてもいった。

――やがて――

そんな私の胸の真ん中あたりで、ぼんやりと愛犬を見送る覚悟のようなものが浮かんできて、それからそれは、急速に固まっていった。

「逝かないで欲しい」当然そう強く思ってはいる。
いつかくる――、間もなく来るだろう別れに、抗うことが出来ないのならば――
「どうか悔いなく逝って欲しい」
そんな気持ちが、「逝かないで」と願う思いの周囲を、やんわりと包み始めた。

それは諦めに似た心境ではあるけれど、一定の強さがなれけば見つけられない指針のようなものに思えた。

そこからは、「どうすれば悔いなく逝かせてあげることが出来るのか」という心境に辿り着いた。
そして悔いなく逝かせてあげるために、毎日愛犬のそばで笑顔を作っていこうと思いはじめた。

愛犬は、飼い主の喜ぶ顔が見たくて生きている。その笑顔を見るために、ただひたすら前を向いて生きている。

だから、愛犬のために笑顔を作ろう――
それで、自分の心は傷ついても構わない――

今、私は思う――
チクチクと心が痛くても笑顔を作り続けると決意し、意識して流す涙。
それを『血の涙』というのではないだろうか。

 

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――見送ってから――

ラフがいなくなった寂しさは、常に自分の傍らにあり、その大きさはずっと変わることはない。

しかし、あの時『血の涙』を流したこと――
それ自体が、悔いなく逝かせてあげられたという確かな自信となって、寂しさをコーティングしてくれている。

だから、そう――
そんな寂しい想いさえ、ラフと一緒に生きた証なのだから、楽しんでしまおう。

どれだけ一緒に過ごした時間が、幸せだったのか――
それを思い返すことが、私の原動力となっている。
前へと進む私の背中を押している。

人が犬と暮らす理由はなんだろう。
私がラフと生きた意味とはなんだろう。
その答えは、『血の涙』が乾いてきた今、少しずつ私の胸の中に刻まれているのかもしれない。

――愛犬と暮らすあなたへ――

いつか『血の涙』を流す時が来ることを、恐れないでください。

きっとそれは、あなたを優しく包み込んで、
愛犬との絆を永遠にしてくれるはずです――

 

文:樫村 慧

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