三峯神社、そこはオオカミの守る場所
念願叶って
新しい年を迎えた。一年のうちでもっとも寒いこの時期、きっとあの場所は、厳しい冬を迎えているだろう。
そこは、私が愛犬ラフを連れて行きたかったところ――
ラフが腎不全とわかって闘病生活になってしまったので、行けず仕舞いになってしまったが、ずっとずっと行きたいと願い続けていた場所だ。
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念願叶ってそこに出かけたのは、8月初め、台風の影響で小雨の降る肌寒い日だった。
そこは同じ埼玉県内とは思えないほど、我が家からはとても遠い場所。
電車から特急に乗り換えて2時間、やっとのことで最寄り駅についた。そこから路線バスで山道をゆらり揺られて、1時間ちょっと。息子2人と出かけた旅だったが、知的障害のある二男はすでにぐったりと疲れた顔をしていた。
そこは祖母が出かけていた場所
昔からずっと聞かされていた山の上にあるその場所に、今から何十年も前、私の祖母も出かけていた。茨城の北の方から、よくもまあこんなところまで来ていたものだなぁ、とあらためて感心した。
よほど、気に入っていたのか――
何か特別だと思っていたのか――
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路線バスを降りると、急な階段が待っていた。そこを登って歩いて、やっと三峯神社の特徴的な鳥居に到着。それは、日本には7つしかないらしい「三ツ鳥居」という珍しいもので、両脇には少しイカツイ顔をした狛犬が鎮座している。実はこれはオオカミで「御眷属」様という神様のお使いなのだそう。なるほど、これがオオカミに守られた神社の入り口なのか、と妙に納得した。
ラフが一緒だったら
そこからの参道はゆるい坂道になっている。その道は、小雨で濡れているせいで滑りやすく、二男が転びやしないかとヒヤヒヤしながら奥へと向かった。辺りは、ひんやりとした空気の森に囲まれており、8月だというのに小雨のせいもあって余計に肌寒さを感じた。
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もしも愛犬ラフが一緒だったら――
ペットロスというわけではないと思うが、ついついそんなことを想う。
この低い気温のおかげで元気いっぱい、濡れた参道をはしゃいでワシワシと歩いていただろう。さらにもっと奥へもっと奥へと、森の中に行きたがったかもしれない。そんなことをぼんやりと考えた。
この遠い場所に今回来れたのは、ラフがいなくなったからだ。病気のラフを連れて、自宅からこれほど離れたところに来るのは難しい。
一緒に来たかったラフがいなくなったから、ここに来ることが出来たーー
なんか皮肉なものだーー
ラフの思い出
靄がかかったような参道の奥の小高い場所には、日本武尊の銅像があったが、靄なのか霧なのか真っ白で、周りの景色は一切見えず、そこは別の世界への入り口なのではないか、とさえ思う雰囲気で、身震いするほどだった。
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参道に戻り、赤い朱色が印象的な随身門をくぐって本殿に向かって歩く。石畳になっているところは、より一層滑りやすく「転ばないように気をつけて」と何度も二男に声をかけた。そんな声をかけながら、ラフがいたらこんな涼しく広いところが嬉しくて、力一杯リードを引っ張り、私が転ばされていた可能性もあるな、などと想像しながらクスッと笑ってしまった。
御神木
二男が転びやしないか、そればかりに気を取られながら、やっと拝殿に到着。その色彩の美しさは、そこが山の上であることを忘れさせるほどだ。簡単には行けない場所に、ひっそりと佇む迫力が、その色彩と相まってなんとも不思議な気持ちになった。神聖な気持ちでお参りを済ませ、御神木に手を触れると、山の空気が体の中を駆け巡る感じがした。
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「御神木に触ってみたら」
二男に声をかけると、すっかり疲れきった顔で不機嫌に「俺は触らない」と言い張る。長男が御神木に触れるのを見ながら、立ちすくみ、「喉が渇いた」と不満そうに呟いていた。
これ以上歩き回るのは無理、と判断し、長男が帰りのバスの時間をチェックし始める。私は、今のうちにここの景色を胸に焼き付けようと、周りを見渡して、深く深く思い切り息を吸った。
オオカミの守る場所
天候のせいもあるのだろうが、そこは凄みさえ感じるほどの深く重い特別な時間が流れているような気がした。このまま、ずっと山の奥まで歩いて行ったら、二度と地上には戻れないのではないか、と思えるような空間。なるほど、私の祖母がここに魅せられた理由のようなものが、その空間を漂ううちに私の中にすうっと入ってきた。
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ここは、今まで出会ったことのない場所――
間違いなく、オオカミの守るところなのだ――
ラフが闘病していた頃、ここの神社のオオカミの飴をお土産にもらった。占いの仕事をしている彼女がパワーを貰いにきたこの場所で買った飴を「ワンちゃんに食べさせてあげて」と言われた。
その飴を食べてから、ラフの食欲は1年以上落ちなかった。偶然と言われればそうなのかもしれない。でも、私は、ここのオオカミの飴がラフを守ってくれたような気がしていた。
亡くなる10日前までしっかりとご飯も食べて、亡くなる数日前まで自分の脚でしっかりと歩けていたのは、守ってもらっていたから、だと。
心の中のつぶやき
天候が悪かったせいか、犬連れの人には会えなかったが、それでも、ここ数年人気が出た三峯神社には、思ったよりも家族連れが多かった。
簡単に行けない場所だからこそ、誰もがそこに惹かれるのかもしれない。
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『ラフが元気なうちに、連れて来たかったなぁ』
帰り道の参道で、私は息子達に聞こえないように独りごちた。
ずっと、ずっと、ラフを連れて来たいと思っていたこの場所で、ラフの話をしたら泣いてしまいそうだった。
だから私は心の中にいる過去の自分に、こっそりと話し掛けた。
見上げる空は、来た時と変わらず灰色で重苦しい。
息子達より少し遅れて歩きながら、私はもう一度、そっと小声で呟いた。
「さぁ、帰ろうか、ラフ」
――了――
文:樫村 慧
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――前話――
三峯神社は関東一のパワースポット。
狼が守護神の犬神信仰。狐憑きを、払ってくれるそうだ。
云われを聞くと、愛犬を連れて行きたくなる。
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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樫村慧|他の作品
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ホームセンターで売れ残っていた、雄のゴールデン・レトリーバー。
このお話は、ラフと名付けられたその子と、それを飼う事になった一家の、絆を描いた実話です。
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散歩道で知り合った、土佐犬のリンちゃん。
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