うちの子がうちにくるまで|No.44

子供時代から私の側には、いつも犬猫がいました。
しかし阪神大震災で被災した私は、一転して動物のいない暮らしに。
やがて時が経ち、また出会いの時がきました――
―同僚の友達宅―
目の前には、7匹の生まれたてのダックスの赤ちゃん。
そこには1匹だけ、金色の毛の女の子がいたました。
ミニチュア・ダックスフントってどんな犬?|今まで犬を飼ったことがない|初めて飼うのが不安|皆さんどうやって飼うのを決めるの?|経験者の話が聞きたい
今日は我が家のココさんについて、お話をしたいと思います。
ココさんは私にとって思い出のわんちゃんです。そしてココさんは、わたしが初めて迎えた子でした。
ココさんのお話に入る前に、まずは私と動物の関わりから聞いてください。
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私は子供の頃から、猫が大好きでした。
最初の出会いは私が小学低学年の頃、親戚の叔母さんが「友達の家でネコちゃんが産まれたよ」って言って、1枚の写真を見せてくれたことが始まりです。写真の子猫のお母さんは、叔母が飼ってたネコちゃんの子供でした。
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そこに写っていた猫はミックスなのに、ヒマラヤンみたいな毛色でした。私はもうその子が、可愛くて可愛くてたまりません。そんな私の心を察したのか、叔母は私が世話をすると約束するなら、助け船を出すと言ってくれました。
私はすぐに親に直談判しました。
当然ながら、親からは反対されました。でも、私はあきらめきれません。
「必ず自分でお世話するから」
そう約束をして、やっと許可をもらいました。
仔猫の名前は、チェリーにしました。
チェリーはその名の通り、とても可愛いネコでした。ヒマラヤンよりも毛は短かったですが、私は子供心で「チェリーはヒマラヤン‼️ 」と決めつけていました。
私達は必ず一緒に寝ていて、チェリーは毎朝ゴロゴロのどを鳴らしながら、私の首もとでパジャマの襟をふみふみして起こしてくれました。
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チェリーには泣かされたこともあったけれど、私はとても幸せでした。
ずっと後になって犬と暮らすことになる私ですが、実はこのときまでは、私には犬を飼うという概念さえ、全くありませんでした。
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そんな私に、犬との出会いの日が突然にやってきます。
ある日私が高校から帰ってきたら、いきなりミニピンが家で寝ていたのです。
「何、この犬?」
それは母が、突然にもらってきた子でした。
(実は、母が何を思って、どこからどういった理由でもらってきたのか、今もって全く分かりません)
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カズは可愛いかったのですが、私には懐いてくれませんでした。
我が家は一軒の家なのに、私がチェリーを飼っていて、母がカズを飼っているようなものです。私は主にチェリーのお世話をして、母が留守してるときだけ、カズのお世話してました。
チェリーとカズの関係も、お互いに無関心です。
寝室も、ご飯の時間も場所も別々でしたし、本当にお互いに興味なしという感じでした。
こんな風にして私と猫と、犬との日々は過ぎていきました。
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やがて私は高校を卒業して、就職で家を出ることになりました。
就職先の会社は神戸でした。私はチェリーのお世話をすることができなくなるのが不安で、ひたすら母に「チェリーをよろしく」とお願いしました。
あの時は、後ろ髪を引かれる思いでした。
さて、就職してからの私ですが、寮に入ることになりました。
そこで動物との触れ合いはおしまい――
のはずでしたが、そうではありませんでした。
会社には看板犬である、ミックス犬のラッキーがいたのです。
一番下っ端だった私は、ラッキーのお散歩担当。
だからラッキーは、新入社員の中で私に一番懐いてくれました。
ラッキーのおかげで、私と動物の触れ合いは途切れることはありませんでした。
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その後私には、大きな変化の時がきます。
それは、寮に入った翌年の1月でした――
突如発生した阪神淡路大震災で、私は被災してしまったのです。
私のいた本社は半壊となり、会社は規模を縮小することに。
退職せざるをえなくなった私は、大阪の叔母を頼って引っ越しました。
同期とも仲が良くて、先輩にも可愛がってもらった会社でしたが、仕方がありません。
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救いはラッキーが無事だったことです。震災時の社内ではいろんなものが倒れて足の踏み場もなく、誰もがラッキーを諦めていました。しかしラッキーは、倒れた棚と壁の間に出来た、わずかな空間に逃れてケガ1つありませんでした。
名前のごとく本当にラッキーな子でした。本当に嬉しかったです
さて、それからの私ですが、いよいよ動物のいない生活が始まりました。
でも当時は、仕事の技術を身に付けることで一生懸命で、そのことだけで頭が一杯です。その後結婚するまでは、動物に触れたいと思う余裕さえも生まれませんでした。
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私と動物の関係が復活したのは、それから何年もしてからです。切っ掛けはTVのCMでした。某社のCMでチワワが大ブームになったのはご記憶にありますか?
私のまわりの人達もご多分に漏れず、このチワワブームに乗せられて、次々にチワワを飼い始めました。それから自然と私も、犬に触れ合う事が多くなっていきました。
その頃、私は結婚していましたが、我が家には子供がいなかったので、「それならわんちゃんを家族に迎えたい‼️」と思う気持ちも自然に高まっていきました。
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私は取り立ててチワワ好きという訳でもなかったのですが、周囲の影響もあって、最初はチワワを探しました。しかしブームなので、お値段もお高くて、ムリだなぁと思いました。
そんな矢先のこと。あれは2002年の年末でした――
会社の同僚の友達のお宅に、ダックスちゃんの赤ちゃん産まれたという話を聞いたのです。
早速見せていただいこうとお宅に伺うと――
いました!
7匹の赤ちゃんです。まだ生後2週間足らず。
ナマコに手足が生えたような不思議な生き物に見えました。
その7匹の赤ちゃんの中で、ひと際目を引く子がいました。
6匹は真っ黒だったのに、1匹だけ金色だったのです。
私はその子を抱かせてもらいました。
いえ、抱くというよりかは、両手でおっかなびっくりしながらだいじに持つという感じでしょうか。
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人とは違うミルクの匂い。
小刻みにふるえている小さな体。
「みゅーみゅー」と私の手のひらで泣くその子をとられまいと、なんとも言えない顔をしていた母犬の表情を、私は今もはっきり覚えています。
当時は、松田聖子がビビビときて結婚した『ビビビ婚』が話題になっていた頃。
私も松田聖子のように、金色のその子にビビビときてしまったのでした。
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「この子を家族に!」
私はその場で決心をしました。
自分に飼えるかどうかという心配は、全然ありません。
いつかはわんちゃんを家族に迎えたいと考え始めてからは、私なりのその日のことを想像し、勉強もしていたからです。
わんちゃんは生まれたばかりなので、すぐには引き取れません。
月齢2ヵ月を待つ間に、私は子犬を迎える準備を整えていきました。
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まずは新しいバスタオルを、生家にすぐに預けに行きました。
うちに来た時に、安心する匂いがあれば安心できると、本に書いてあったからです。
それから私は、子犬を飼うのに必要なものの全て――ハウスにカドラーにリード……、その他諸々――を買いそろえて、迎え入れる準備を整えていきました。
旦那には事後報告です。旦那は私の話を聞くと少し渋ってましたが、なんとか説得して了承を得ました。この年に旦那の実家のマルチーズが11歳でなくなり、義父が精神的にまいって塞ぎこんでいましたので、義父の為にも迎えようというのも、理由になりました。
飼うと決めたら現金なものです。今度は旦那の方が、早く名前を決めて義父が名前を呼べるようにしてあげたいと言い出して、めっちゃ短時間で、名前の候補を30位リストアップしました。
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子犬の名前は、冒頭に書いたようにココです。
私が独断で決めちゃいました。
何故ココかと言うと――
『兄弟の仲で1匹だけ金色→めっちゃバブリー→CHANEL→ココ』
というノリです。
さて、そうこうする内に、待ちに待った2ヵ月がやってきました。
ココさんを迎え入れた時、旦那は「可愛いなぁ」と言いつつも、どう接したらいいかわからない感じでした。実家にはマルチーズがいたというのに、面白いものですね。
そしてココさんは、すぐに家に慣れてくれました。
やっぱり預けておいたバスタオルが、効果抜群だったんだと思います。
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それからのココさんとの暮らしは、とても充実していました。
子供を授かれない私にしたら、ココさんは我が子であり、娘のようなものです。
凛として、クールなのに、本当は家族思いのココさん。
共働きだったので、日中はお留守番が多かったココさん。
だから、破壊女王な節があったココさん。
ご飯を食べしぶり、食べさせるのにたくさん苦労したココさん。
まだ乳歯が抜けきれないときに、旦那と靴下の引っ張りっこをしていたココさん。
その乳歯が抜けきれないで、中途半端に残ったために、翌日日帰りで抜歯するはめになったココさん。
ただただ愛しくて、いつも生活の中心にいてくれたココさん。
1人で留守番させるのがしのびなく、もう1人迎えようと決心させてくれたココさん。
毎日毎日が充実していて、幸せでした。
ココさん、我が子になってくれてありがとう
ココさんと出会えて、私は幸せでした。
ココさんは、幸せと思ってくれたでしょうか?
ネネと出会うきっかけをくれてありがとう。
今はただ、ココさんにありがとうと伝えたい。
ココさんの香ばしい肉球の匂いを今でもおぼえてるよ。
ココさん大好きだよ。
会いたい
もう一度触れたい
―2002年生まれココさん、今はお空組(13歳3ヶ月)―
――ココがうちにくるまで|おしまい――
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――うちの子がうちにくるまで・次話――
第一子を流産し、毎日泣いていた私。
そんな私に、主人が「犬を飼おう」と言ってくれました。
子供の頃から私は、犬が大好きでした。
犬種も決めないで行ったペットショップ。
そこには何故か半額程の値のついた、コロコロとしたビーグルがいました。
――うちの子がうちにくるまで・前話――
我が家はシーズーの多頭飼い。
一人娘が家を出てからは、主人と二人暮らしでした。
ある日、主人と保護カフェに行くと、そこには病気だらけで、誰も見向きもしない犬がいました。
その子を抱いた主人は、いきなりこう話しかけました。
「うちに来る?」
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――うちの子がうちにくるまで、第1話です――
昔からいつかはワンを飼いたいと、ずっと夢見ていたんです。
でも、夢と現実の差はでっかいですよね。結局はずっと、実現できずじまい。
――そんな夢を叶えた飼い主さんのお話。
犬との出会いは運命に似ています。
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うちの子がうちに来るまで
”ペットの飼育不可”
それで犬や猫を飼うことを断念する方は、きっと多いでしょう。
しかし、運命の子と出会ったから、引っ越しをしたという幸運な方もいます。
多頭飼いの2匹目を勧めて来たのは、はじめは犬嫌いだったはずのご主人。
飼うことを反対をしていた家族が、一番の犬好きになるのは良く聞く”あるある”です。犬は人の心を豊かにしますね。