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【君を送る日】ごめんね、はな ~病気がちになった老犬と生きること~【飼い主たちの選択】

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はなの闘病記|看取りの記録はなとの別れ

撮影&文|はるくま
 
この作品は

作者が愛犬はなを迎えたのは、15年も前のこと。
優しく抱かないと壊れてしまいそうだった小さな幼犬は、やがて老犬になり、いろいろな病気を抱えるようになります。
1つ1つ病気を乗り越えていく はな。しかしその はなにも介護の時がやってきます。
一生の締めくくりのその時期、作者と家族はどのように はなに向き合っていくのでしょうか?

こんな方に:
愛犬が歳をとって、急に病気がちになった|立て続けに病気になっている|まだ看取る覚悟はできていない|絶対に安楽死は選択しないと思っている|最後の瞬間の飼い主の気持ちはそんなものだろう?|看取った経験のある方から話を聞きたい?

 

我が家の愛犬 ”はな” は、私たち夫婦が、2匹目として迎えた柴犬でした。
やってきたのは2004年11月13日。先住犬のケアンテリア ”まっくす” が 3歳のときのことです。多頭飼いの生活は楽しいものでした。

それから10年の時が過ぎ、まっくすは13歳になった12月にこの世を去りました。
それは突然の別れでした。

 

廊下の窓から、出かける夫を見送っているはな
  

まっくすが去り、はなは一人っ子になってしまいした。
しかし、もともとマイペースな子でしたので、まっくすのいない生活を悲しむ風でもなく、はなはそれまでと変わらずに、ごく普通に過ごしていました。

そんなはなの存在は、まっくすを亡くした私たちとって癒しであり、大きな心の支えでした。

それから更に1年が過ぎました。はなももう老犬の入り口です。
11歳のときに、はなは緑内障になってしまい、手術をしました。それからは毎日眼圧測定をする日々です。

老犬らしくというのでしょうか?
はなもとうとう、持病を持つ身になったわけです。

緑内障の診断を受けた時のはな(上)


手術後のはな(下)

やがてはなは、次々と新しい病気を抱えるようになっていきました。

まずは13歳の頃――、はなは腎不全の薬も飲むようになりました。
チッチした後のおしっこシートを、自分でたたむようになったのもその頃です。
きっと私の見よう見まねなのでしょうが、犬は老犬になっても学びがあるのですね。

今もその仕草を思い出します。あれは可愛かったですね。

おしっこシートを片付けるはな

14歳になると、はなは肝臓を悪くしたこともありました。
検査してもらったら、肝臓の数値が悪いことが分かったのです。しかしこの時には、薬と食事で状態が改善してくれて、事なきを得ました。

 

この頃にはなは、耳も遠くなりました。
しかし、インターホンや雷を怖がっていたはなが、音に怯えることがなくなったので、はなにとってはむしろ良いことだったかもしれません。

またはなは、心臓の収縮力の低下を指摘されたこともありました。
飼い主が帰宅すると、喜んで興奮したあとに、ふらっと倒れてしまうことが月に数回あったのです。それからは、なるべく留守番時間を短くすること、興奮させないこと、身体を冷やさないことに気をつけるようにしました。

私たちとはなは、穏やかに、一日一日を大事に過ごすようになりました。

14歳9か月の時には、はなは前庭疾患にかかりました。

それは留守番中の発症でした。
私が家に帰ると、大量の嘔吐物。そしてはなの眼球は左右に激しく揺れ、首が傾いてぐるぐる歩き続けています――

私は何が起きたのか分からず、驚きました。
当のはなだって家族のいない中での出来事で、どんなに辛かったか知れません。

前庭疾患にかかったはな

幸いにもはなの前提疾患は、治療の甲斐あって眼振は収まり、それに伴って食欲も戻っていきました。しかし斜頸だけは治りませんでした。よくバランスを崩して転ぶので、家中にマットを敷いてあげました。

踏み心地がよくて、はなはもちろん私たち飼い主たちにも好評でしたね。
はなは、小走りまで出来るようになりました。

食欲が戻って来たはな

ご飯のおかわりを催促することも

それから間もなくして、はなは右目が見えなくなっていることがわかりました。
それと関係しているのかどうか分かりませんが、眩しいと体全体がビクッと反応することも――

かかりつけ医に相談したのですが、大きな検査は身体に負担がかかるため、原因はわからず仕舞いでした。散歩は日陰を選んだり、帽子をかぶせてみたり。

私たちは、はなに負担の少ない生活をさせるように、いつも気をつけるようになりました。

――こんな風にしてはなの14歳の体は、衰えが進んでいったのでした。

 

目の保護のための帽子

 

そんなある日のことです。
私が仕事から帰宅すると、はなはとてもだるそうでした。数歩歩いてはよろよろと回り込んで座ってしまいます。

「そういえば今朝、はなはあまり食べなかったな」
それまでにも食べないことはありましたが、病院に行っても悪いところはなく、食欲も割とすぐに戻って来ていました。しかしその日は、何となく様子が違っていました。

よろよろと力なく歩くのは、また前庭疾患だろうか?
それとも心臓?

何か食べてくれないかと、少しだけ流動食を与えてみたのですが、すぐに吐いてしまいます。

――この時、悪くしたことのある肝臓に、思いが至らなかったことが悔やまれます。

 

病院に連れて行き、食べていないこと、ふらつくこと、食べても吐いたことを医師に話しました。

医師は最近の経緯から「今日は前庭疾患の治療と同じように、点滴で対症療法をしましょう」と言いました。それでも食欲不振や嘔吐が続けば、内臓を詳しく診ていくとのことです。

私とはなは、治療を受けて病院を後にしました。
得体のしれない不安――
しかしその時の私はまだ、はなの辛さを、何もわかってあげられていませんでした。

帰宅してからも、はなのだるそうな様子は変わりませんでした。食欲も戻りません。
そして夜中になると落ち着きなく歩き回るようになりました。

次第に呼吸が荒くなり、少しも休まず、眠らず、家中を歩き続けるのです。
そしてなんとかやっとお水を飲めたと思ったら、それをすぐに吐いてしまいました。
それから、私の膝を枕にやっと眠り始めました。

「救急病院に連れて行って診てもらおう」
車が苦手なはなにとって、近くはない救急病院までの移動が逆に負担にならないか心配でした。しかし祈る思いで病院へ予約の電話を入れ、急いで向かいました。

 

病気がちになる前のはな

 

救急病院で様々な検査をしていただき分かったのは、肝臓の数値の異常でした。
胆のうと膵臓、甲状腺も悪くなっているとのことでした。

肝臓?――
肝臓を悪くしたことがあったのに。それも10ヶ月程前のこと――

あの時は、食欲がなくなって吐いたから、検査してもらったら肝臓が悪いのが分かったんだった。薬と食事で治ったはずだった。

「なんで昨日、そのことを思い出さなかったんだろう?」
対症療法じゃなくて、肝臓の検査をしてもらうべきだったんだ。
――なんで気づいてあげられなかったんだろう?
――なんでわかってあげられなかったんだろう?

悔やんでも悔やんでも、悔やみきれませんでした。

救急病院でできるのはそこまでで、肝臓の状態はかかりつけ医でエコー検査をしてもらうことになり一度帰宅。かかりつけ医でのエコー検査では、やはり肝臓が炎症を起こしていることが分かりました。

そのときできることとしては、昨日から何も食べていないから、何か口にすることくらいしかないそうです。

ということで、療法食のリキッドをいただいて帰りましたが、はなはそれを拒否しました。薬も吐き出します。

投薬拒否をするはな

夕方、再びかかりつけ医へ行き、点滴を打ってもらい帰宅しましたが、体調が戻る傾向は何ひとつ見られませんでした。

日が暮れると、落ち着いていた呼吸が再び荒くなりはじめ、弱々しい足取りとなってもただひたすら歩くのです。
「休ませなければ」
そう思った私は、はなを抱っこしてソファに寝かせました。

はなはソファが大好きでしたが、前庭疾患になってからは、斜頸のために登れなくなっていました。

ソファに横たわると、はなはやっと落ち着きました。
「やっぱりここが大好きなんだ」そう思いました。

歩いて動き回ることはなくなりましたが、呼吸の苦しさは治まりませんでした。
夜中を過ぎると、はなはときどき痛そうに叫びました。

「ごめんね、はな」

なんでもっと早い段階で血液検査をしてもらわなかったの?
こんなに苦しめてしまって、はなを愛しているなんて言えるの?
私は自分を責めました。

もう少ししたら落ち着いて、リキッドをちょっとでも飲めて、薬も飲めて……
「がんばろう、がんばろう」
私は、はなを励まし続けました。

「乗り越えられる。きっと乗り越えられる」
「はなは死なないんだから」

そう思う一方で『じゃあなぜ、ちゃんと検査をしてもらわなかったの?』という、己への嫌悪にぶち当たります。

これまで、いろいろな病気をしたけど、その都度ケアをして、命をつないでいるつもりでした。でもとんでもなかった。飼い主失格だと思いました。

 

今年のお正月の写真

 

――明け方――

はなはとても苦しそうな痙攣を、続けて二度起こしました。
はなの表情を見て、もう戻れないのがわかりました。

それからも、何度か痙攣は起きました。
「ごめんね、ごめんね」

もう、楽にしてあげたい――
それは夫と何度となく「絶対にそれはしない」と話しあってきたことでした。

私と夫は、二人ではなの安楽死を決めたのでした。

かかりつけ医の診察は10時からです。私たちは、はなをタオルにくるみ、9時半に家を出ました。

「ごめんね、ごめんね」「助けてあげられなくてごめんね」「はな、今までいっぱいありがとうね、大好きだよ」

車の中で、私と夫はずっとはなに話しかけ続けました。

 

旅行の思い出

 

病院の駐車場に着いたのは10時よりも前の時間。ガラスの自動ドアの向こうに看護師さんの姿が見えたので、声をかけて開けていただき、昨夜からの経緯を伝えました。
そして、明け方に飼い主二人で決めたことも――

看護師さんは医師に伝えに奥へ入り、どれくらいの時間が経ったか覚えていませんが戻ってきてドアを開けてくださいました。まだ診察時間前でしたが、私たちははなを抱いて、診察室へ入りました。

医師は私たちの話を聞き、私たちの意思を確認すると、「一旦外でお待ちください」と言いました。私たちははなを預け、外へ出ました。

10分くらい経ったでしょうか――、私たちは、再び診察室へ呼ばれました。
はなは診察台に横たわっていて、静かに呼吸をしていました。もう苦しそうではありませんでした。

看護師さんが「抱いてあげてください」と言ってくれました。夫がはなを抱き、私ははなの身体をさすりました。2,3人いた看護師さんたちが皆さん泣いていました。

「はな、はな」「ありがとうね。また会おうね」「待っててね」「きっと会えるからね」「ごめんね」

私は夫の腕の中で静かに呼吸するはなに、何度も何度も語り掛けました。
そして――、医師が最期の処置を行いました。好きで好きでたまらなかったはなの呼吸が、ゆっくりと止まったのは、そのすぐあとでした。

はなも私のことを好きでいてくれたはずなのに――
こんな形で、そのときは来ました。

 

元気だった頃のはな

 

「体調が悪くなった時には、もう手遅れだったんだよ」
そう心優しい友人は言ってくれます。でも、それはわからないし、そうだとしても、少しでも早く原因が分かっていれば、もっと違うことをしてあげられたのは間違いないことだと思います。

最後に安楽死を選択したこと。そのことに後悔はないです。
ただ、そこに至るまでの自分の選択は……

『できる限りのことをしなかった』
私はどうしようもなく自分が許せないし、深い後悔として今も心に残ります。
『私ははなの何だったのだろう』
その部分だけが、もう埋めようのない空洞なのです。

はな、ごめんね

ひどい飼い主だったけど、はなのことがずっと大好きだよ
ごめんね。ほんとうにごめんね

―自分への戒めとして―

 

 はなさんをモチーフにしたカードです

はな がいてくれて良かった。犬を飼って良かった。

 

――はなの闘病記|ごめんね、はな・了――

作:はるくま
 

 

 はながうちにくるまで - はなさんを迎えた時のお話です

夫婦共に柴犬が好きでした。先住犬もとても可愛いかったのですが、もしも2匹目を飼うことがあれば、柴犬にしたいと思っていました。未来の夢として――
ある日のこと、2人は偶然に、柴犬専門店をみつけました。
中に入ってみると――

 まっくすうちにくるまで - 先住犬のまっくすを迎えた時のお話です

まっくすは、夫が独身時代から飼っていたケアンテリア。
元気MAXでやんちゃな犬。
私達は結婚して、まっくすと私は家族になりました。
私の子供の頃からの夢は、大好きな犬との生活。
リードを持っての散歩の時、私はいつもワクワクしていました。

 ペットの安楽死、考えたことがありますか?

ペットの安楽死について、考えたことがありますか?
多くの方は、考えたくもないというのが、正直な気持ちでしょうか?

誤解されやすいのですが、安楽死は”死なせる”ことではありません。
どうやって生かすかを、正面から見据えることでもあります。
安楽死を意識した途端に、ペットの生は輝くのです。

安楽死は、事前に深く深く考えておかないと、「その時」に、
”する/しない”の選択ができなくなります。
思考が止まるからです。

賛成も反対も、ご意見があることでしょう。
一緒に考えてみませんか。安楽死について。

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