犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

【乳腺腫】エリちゃん、ほんまにありがとう【闘病と看取り】

エリーの闘病記:乳腺腫
乳腺種_闘病記

撮影&文|あかにゃー!!!
 
この作品は

ある日学校から帰宅したら、家にゴールデンレトリバーの子犬がいました。親戚のおっちゃんがアポなしでやってきて、「はい、あげる」と置いていった子犬です。
金色の綿毛のような子犬はエリーと名付けられ、同じ犬種の中でもひと際大きく育って、子犬も産みました。エリーは最強のオカンになりました。

いつも陽気で元気なエリーですが、8歳を過ぎたあたりから急に病気がちになります。
目の腫瘍、そして乳腺腫。やがて腫瘍は全身に――
家族はエリーとどのように向き合っていくのでしょうか?

こんな方に:
愛犬が乳腺種になった|乳腺種の経過はどうなる?|愛犬が闘病中、または介護中|闘病について知りたい|飼い主さんはどう対応しているのか?

 

我が家では以前、2匹のゴールデンレトリバーを飼っていました。
”エリー”と”つきの”と言います。

エリーはとても小さい頃にうちにきて、私が哺乳瓶でミルクをあげて育てました。つきのはそのエリーの子供です。どちらも今も忘れられない犬たちです。

今日はそのエリーとの、お別れの話をしようと思います。

エリーを迎えた時のお話は、こちらにあります。

エリーはいつも元気いっぱいの犬でしたが、8歳を迎えるころから、急に病気がちになりました。大型犬の8歳といえば、人間では61歳にあたります。そろそろ持病を抱えがちになる年齢です。

最初に気付いた異変は、エリーの太ももというか、膝のあたりにボコッと出てきた腫瘤(出来物)でした。当時、職場の同僚のゴルさんが骨肉腫を患っていた事もあって、心配になった私は、摘出して検査に出してもらいました。
幸いそれは、悪性ではありませんでした。

 

次に異変が起きたのはその翌年の2004年辺りです。当時はミニチュアダックスの葵が家族になって、1年ほどしたときでした。”辺り” とか ”ほど” とか記憶が曖昧なのは、この頃のエリーはまだ元気なのが当り前で、病気の記録を残しておく必要性など、考えもしなかったからです。

私が気が付いたのは、エリーの目の異常でした。
その切っ掛けになるエピソードがあります。

ある日のお散歩のとき、軽トラの荷台にワンコをくくってる方を見かけました。
軽トラはゆるゆると走っていて、荷台の上かのワンコは、エリーとつきのに向かって吠えていました。

こんな時、エリーは俄然対抗心を燃やすクセがあって、軽トラに反応して吠えかかり始めました。その勢いがすごかったもので、油断していた私は力負けをして、エリーに引っ張られてしまったのです。

走ってる軽トラに喧嘩ふっかけてたエリーは、軽トラに全力でぶつかってしまいました。軽トラのスピードはほぼ止まっているくらいのものです。まるで距離感を失ってしまったかのようでした。

(実を言うとこのエピソードは、当時異常さに気付いたものではなく、後になって振り返って、そういえばおかしかったなと思ったことです)

やがて私は、エリーの眼球の大きさが左右違っていることに気が付きました。正確に言うと、右の眼球の方が大きいのです。主治医に相談してみたところ、「目薬と飲み薬でしばらく様子を見ましょう」ということになりました。

実はこの目の異常と同時に、私はエリーの乳腺にそって4つ、ポチッと腫瘤が出来ていることにも気が付きました。
そしてこっちの方も、経過観察をすることになりました。確定診断をするには細胞を取らねばならないからです。まずは麻酔のリスクを考えました。

 

2005年になったあたりから、眼球は素人の私達が見ても異常だと感じるくらいに、急に腫れてきました。医師に診せたところ、主治医からは「摘出しないといけない」と言われました。

「癌かもしれません」って感じでさらりと言われましたが、ステージの話とかそれ以上に深刻な話はしませんでした。ただ「取った方が本人(エリー)さんも楽やと思うよ」とだけ言ってくれました。
賛否両論かもしれませんんが、主治医は飼い主がショックを受けそうなことは、オブラートに包んだ言い方をしてくれる方なのです。

私たちは眼球摘出手術をお願いすることに決めて、同時進行で乳腺のポチッも摘出してもらいました。

取り出した眼球も、乳腺の腫瘤も、その後に細胞診をしているはずなのですが、主治医は詳しいことは教えてはくれませんでした。やはりオブラートに包んだ「あんまりよろしくない結果やった」というようなことだけを言われたように記憶しています。

なぜ詳しく聞かなかったのかと疑問に思われるかもしれませんね。
でも当時は、そんな風に気遣いをしてくれる主治医を信頼しきっていましたので、それで良いと思っていました。当然、セカンド・オピニオンなども考えつきません。

後に主治医を信じる事が出来なくなるのですが――

今となったら、このときに正確に病名と病状を聞いておけばよかったと思います。
後で分かることですが、実際にエリーは癌やったので……
この時は、癌やったらどうしようと思い、不安感から親に八つ当たりまでしてしまいました。

 

エリーのいない間のつきのはと言うと――

「あれれれ?エリちゃんおらんの?おやつちょーだい」
って、いつもの能天気ぶりでした。
手術は日帰りやったので、帰ってきてからもその調子です。きっとエリーが重い病気ということも、飼い主の心配事も、つきのには関係のないことなのでしょう。

とりあえずは悪い所は摘出したということでしたので、私は一安心してました。抗がん剤治療も勧められませんでした。

その後、病理検査の結果を聞くのですが、目の方は悪性の癌で、乳腺腫も病理検査は癌でした。しかし病名を知ったこの時に至っても、私は癌と言う事実を深刻には考えていませんでした。

「癌ではある」とぼんやりと知らされているだけで、その病気がエリーにどのような結果をもたらすのかという実感がなかったのです。

 ●

その後の経過は、目に見えての癌の進行はありませんでした。
しかしそれはポッチが出来て、それが大きなコブになってという、誰にでも想像がつくような癌の悪化という意味の進行で、実はエリーの体の中では、確実にそれは進んでいたのでした。

月日が経つにつれ、エリーはお腹まわりはふっくらしてきてるのに、頭のこめかみあたりの骨は浮き出てくる感じでした。病院でレントゲンを撮ってもらったら、肺に水もたまってきてました。はっきりと調べたわけではありませんが、お腹のふっくらも内臓に癌が転移してたのだと思います。

 ●

それからのお散歩はエリーを走らせないようにして、排泄だけさせるようになりました。きっとエリーにとっては、つまらない散歩やったと思います。

当時私は、エリーが走り出すと怒ってしまったこともありした。
心配やったんです。

今思えば、エリーに怒り顔を見せてしまって申し訳なかったです。

 ●

この頃の治療は、私から日々の様子を報告して、飲み薬を処方してもらう感じです。
何処かが痛いから鳴くとかは無かったです。ただ、お腹が大分重たそうでした。

主治医からは「負担になる様なら無理せんでも良いよ」的な事を言われました。
そして後日、もう一度レントゲンを撮ってみたら、転移が心臓、肝臓、肺にあるとの事でした。
「乳腺腫が悪さしてるね」って感じで、言われた気がします。

これが最後に動物病院へ行った時の写真です。
この時に全身への転移と、肺に水が溜まっていると言われました。
もう家でゆっくりさせてあげる事にしました。
 

それからのエリーは――

色々な箇所に癌が転移していたためなのでしょう。エリーは食道が細くなってしまっていました。食事をした後にゲップをさせてあげないと、食べた物を全部吐いてしまうのです。
座らせて、横からハグするみたいにしてから、肘に顎乗せて食道がなるべく一直線になるようにしてから背中をトントンすると、『ゲッフゥゥ』ってゲップが出ていました。

でもエリーの介護といえば、それくらいです。
大型犬ならではの苦労といいうのも、ほとんど無かったです。

というのもエリーは、最後の最期まで自分の足で歩いていて、お誕生日には何を食べさせてあげようかとか考えてた矢先に、突然に旅立ってしまったのです。

 ●

エリーの最期を看取ったのは祖母です。
私も母も仕事に出ていて、立ち会うことができませんでした。

祖母から母の職場へ「エリーちゃんが倒れた!」と電話がかかってきました。
母は早退して、私の職場へも連絡をくれました。
しかし残念ながら、母が家に着いた頃にはもうエリーは旅立っていました。
10歳の誕生日を1日前にした2006年の03月28日のことでした。

火葬が終わってから、母がその日のことを話してくれました。
「仕事行く時はいっつも寝てるのにあの日だけは座ってジーっとお母さんの顔見ててん。仕事行かんといて欲しかったんかな?」と――

 

旅立ちの日です。
エリーのお尻の辺りが濡れてます。
娘犬のつきのが、動かないエリーを自分の方へ引き寄せるために、ダンボールを引っ張って破ってしまいました。
かわいそうやけど、少し離してみんなとお別れをしました。
 

私も母もエリーの最期に立ち会う事が出来ず、後悔しました。
しかも、その日はエリーの苦手な雷が鳴ってました。側につきのがいても、つきのはエリーの実の娘なので、エリーが頼れるのは私や母でした。
きっと心細かったと思います。

エリーの事があってから、私は旅行も夜遊びも減ってしまいました。

 

旅立つ直前の写真です。
あんなに立派やったエリーがどんどん痩せていきました。
でも、腫瘍があるのでお腹あたりはふっくらしていました。
散歩も走ろうとするのを止めさせるために怒ってしまい、今でも後悔しています。
 

今思えば、主治医にはもっとはっきりと言って欲しかったと思います。言ってもらえたならエリーにもっとやってあげることがあったように思うのです。
例えば、もう少し早くに癌を切除してもらえうとか……

あれから罹りつけは、待ち時間が少しでも減るように家から近い動物病院に変えました。今度の先生は、はっきり意見を言ってくれる方なので信頼しています。

 ●

エリーがお空へ行ってからのこと。
つきのはある日突然倒れて、寝たきりになってしまいました。そしてそのつきのも、もうこの世にはいません。

エリーとつきのが、今の私の教科書です。しつけ、病気など、犬への知識の基礎は可愛いこの子達から学んだことばかりです。 

今も後悔は残ったままです。
しかしその後悔があるからこそ、今があるようにもも思います。
エリー時の教訓は、きっと今のうちの子達に活かせている。
――そう信じているのです。
 
――エリーへ――
エリちゃん。ほんまにありがとう。
エリちゃんが家族になってくれたから、大型ワンコがとっても好きになりました。
絶対に生まれ変わってまた帰ってきてね
 
エリー
1996.03.29〜2006.03.28

 ●

 ●

――エリーの闘病記|乳腺腫 おしまい――

作:あかにゃー
 

 同じ作者の記事です

エリーとつきのがうちにくるまで

学校から帰ると、金色の綿毛みたいな子犬がいました。
親戚のおっちゃんが「はい、あげる」と置いていったのがエリー。
作者にとって、全ての「初めて」がエリーでした。

 愛犬との別れを考える

別れは特別なものではない――

我々は、看取りの内容に囚われてしまいがちです。
良く看取れたのか? そうでなかったのか?
別れのあとも、ずっとそれを考えてしまいうのです。

別れは特別なものではなくて、生き物には必ず訪れる自然なものです。
必要以上に重要に考えないことが、大切なように思います。

看取りをもっと積極的に捉えられるように、このコラムを書きました。

終末期を楽しむという選択

飼い主にとって、愛犬との別れが近い時期は、肌でそれを感じるものです。
では、その時をどう過ごすか? それを考えた記事です。
今は苦しいかもしれないけれど、愛犬が去った未来に振り返ると、今は幸せの真っ只中にいるのです。
だから、どうか楽しんで欲しいと思うのです。
今を――

© 2017 Peachy All rights reserved.