犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

【満足できる別れ】ペットロスは誰にもやってくる ~別れの後先/飼い主だから出来ること(1/4)~

ようこそペットロスf:id:masami_takasu:20190111144505j:plain撮影&文:高栖匡躬 

今日の話題はペットロスです。

犬を飼うと、いつかやってくるのが愛犬との別れ(死別)。
そして別れとセットになってやってくるのがペットロスです。
ペットロスは誰もが例外なく経験するものですが、それが軽くすむ場合もあれば、社会生活に支障をきたすほど深刻な場合もあります。
ペットロスは個人差が大きいのです。

筆者もペットロスを経験しましたが、比較的軽い方だったように思います。
なぜそれが軽かったのかというと、愛犬との別れが満足できるものであったから。
――だと今は思っています。

筆者がなぜそう思うのか、そして筆者が満足のいく別れをするために、何をしてきたのか。これから少しずつ噛み砕いて書いて行こうと思います。
これは、これからその時期を迎える飼い主さんのために、ケーススタディとして残すものでもあります。

 

 ペットロスの重い/軽い(重度/軽度)

f:id:masami_takasu:20190112190401j:plain

さて、なぜペットロスに重い、軽いがあるのでしょうか?
沢山の方の体験談を読んだり、自分のペットロスがなぜ軽くて済んだのかを考えるうちに、一定のパターンがあるように感じました。

ペットロスが軽い飼い主さんの場合は、別れに満足する、或いは納得をしているように思います。逆に重い飼い主さんの場合は、別れに満足できない、或いは納得できない方が多いように思います。

この満足と納得の仕方には幅があり、それがペットロスの度合いとして現れるように思うのです。もちろんペットロスは精神的なものなので、それが全てとは限らないのですが、やはり満足と納得の度合いは、その要因の大きな割合を占めるのではないでしょうか?

もしもそうなのであれば、ペットロスと言うのは、ある程度コントロールが効くもののように思います。なぜかと言うと、満足できる別れ、納得のいく別れをすることは努力や工夫で可能だからです。

例えそれが100%の満足、100%の納得でなかったとしても、そこで講じた努力や工夫の分だけ、ペットロスは緩和されるはずです。

 

 ペットロスが軽い方の特徴

f:id:masami_takasu:20190112191249j:plain

筆者は愛犬ピーチーとの別れには、満足をしました。とても満足をしたので、とても軽かったのだと思います。

もちろん、満足な別れをするための努力もしました。

それはペットロスを軽くすることが目的の努力ではなく、良い送り方をしてやろうと思って努力をしたことで、自然に得られた結果でした。

筆者も含めて、ペットロスが軽い方にはある特徴があるように思います。
それは別れを予感した時点から、その予感を受け止めて、現実のものとして少しずつ受け入れ始めているということです。分かりやすく言えば、心が別れの準備をし始めているわけです。

では、その準備はどのようになされていくのか?

 

 飼い主の心境の変化

f:id:masami_takasu:20190112191332j:plain

ここで、愛犬がまだ子犬の頃に戻って、そこから飼い主の心の変化を見でみましょう。主には筆者の心の変化なのですが、皆さん恐らく似たようなものではないでしょうか?

飼う前のこと

「犬がいたら、毎日が楽しいだろうな」
「毎日散歩をしたら、健康にいいだろうな」
「家族の会話も増えるかもしれないな」
目の前にある、前向きな未来を見て、我々は犬を飼うことを考え始めます。
飼えるかな? 最後まで面倒が見られるかな? 別れは辛いかな?
考えはするものの、それはずっと遠い未来の中にあって、ぼやけて見えません。
「ずっと先のことだしな」
「今から考えても、仕方のないことだしな」
そして我々は犬を家族として迎えるのです。

0歳の頃

「子犬は可愛いな」
そう思う一方で、しつけがなかなか上手くいきません。
「何で言う事を聞いてくれないのかな」
新米飼い主だと、トイレのしつけ1つでさえ分からないことだらけです。
しかし、その悩みは”生”に寄り添うもの。
こらからずっと楽しく過ごしていくための試練です。

1歳の頃から、成犬の時期

疲れを知らず駆け回る愛犬に、振り回される毎日です。
「もうちょっと寝かせてくれよ」
散歩をせがんでくる愛犬に、手を焼きます。飼い主が起きるまで、諦めもせずに顔の上に覆い被さったり、冷たい鼻を押し付けて来たり。
「仕方ないなあ」
そう思いながら、重い腰を上げます。雨の日などは、元気にはしゃぐ愛犬に「何で犬を飼っちゃったのかな?」などと恨み言の一つも言ったりして。

毎日の散歩で体力を付けた愛犬は、ますます遠くに行きたがります。
はじめは家の近所を一回りするだけの散歩が、30分、1時間と距離が伸びて、自転車でないと付き合いきれないようになって。別れという言葉がある事さえ、すっかり忘れ去ってしまう時期です。

7歳くらいの頃(一般に言う老犬の時期)

7歳から老犬というけれど、目の前の愛犬はそんな風にはとても見えません。
我が家のピーチーは落ち着きが無かったので、まだ子犬と間違われた時期です。
「老犬って、実感が湧かないなあ」
「これで老犬なんて言ってたら、この子は何歳まで生きるかわからないぞ」

世の中に、7歳から老犬という通念があるために、逆に老犬という意識がぼやけてしまう時期です。犬の平均寿命が延びた今となっては、10歳から老犬というくらいが丁度良いように思います。

 

 感じ始める愛犬の衰えと、分かれの予感

f:id:masami_takasu:20190112191625j:plain

さて、一般的な老犬の時期(7歳)で老化を実感しないとしたら、飼い主は何歳くらいからそれを感じ始めるのでしょうか?

我が家の場合は、10歳を過ぎたあたりだったように思います。
それは緩やかにやってくるので、明確にいつからと区切るのが難しいのですが。

10歳を越えた頃 

ずっと元気溌剌な愛犬と過ごしていて、あるときちょっとして変化に気が付きます。
我が家の場合は、軽々と飛び乗っていた気に入りのソファに、いつの間にかよじ登るようになってしまいました。

そんな時に、はじめて老犬という言葉が、なんとなく意識できるようになります。

遠くに霞んでいた別れそれが、少し見えてくるのですが、「いやいや、まだまだだよ」と芽吹きかけた不安を打ち消すのがこの時期です。

愛犬との心の絆が、もうしっかりと出来上がっている時期ですね。

老犬を実感するのはそれから何年かしてから

ここから先は、それぞれの犬で歩みが違ってきますね。
大型犬、中型犬、小型犬でも違いますし、個体差もあります。

うちの愛犬ピーチーは、13歳の誕生日の頃は、さすがにもう子犬とは間違われる事はなくなりましたが、それでも歳を聞かれて13歳と答えると、驚かれていました。
老犬は知識として頭に常にありました。しかしそれを実感したことは一度もありませんでした。

急に”老犬然”としたのは、13歳を過ぎて大病をしてからです。
階段を1段か2段大きく下ったような、あまりの落差に愕然としたものです。

正直いって、初めはそれをすぐに認める気にはなれませんでした。
「今日は調子が悪いだけ」
「明日にはまた、元の元気な姿にもどるだろう」
まずは、そんな風に思いました。

皆さんはどうでしょう?

 

 飼い主と言うのは勝手なもの

f:id:masami_takasu:20190112192647j:plain

愛犬との別れがやがて来ることは、飼う前から分かっている事なのに、飼い主と言うのは勝手なものです。最初はあまりのも遠い未来なので考えないようにして、それがちらほら見えるようになると、その事実もうちょっとだけ先送りして、見ないようにするわけです。

やがて我々は愛犬を見て、「今日も調子が悪い」と毎日思うようになり、それが一過性のものでないことに気付きます。そして「老犬になったんだなあ」としみじみ思うのです。

そしてそこから――
ほとんどの場合、愛犬は何らかの持病を抱えるようになり、恐らく最後の闘病が始まります。枯れるように老衰で亡くなる幸運は、奇跡のような確率です。

我が家のピーチーの場合、それは癲癇に端を発した自己免疫不全との闘いでした。
次の記事で、具体的な別れについて書いていきます。

 

――いつかのときの準備のために(1/4)・つづく――

文:高栖匡躬
 

――次話――

――関連記事です――

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

――おすすめの記事です――