犬を飼うということ

いつまでも君と……

【災害時のペット/家族を迎えに】ラフと私の東日本大震災 ~311、あの日、私と愛犬は(その2)~

f:id:masami_takasu:20190306014903j:plain撮影&文:樫村 慧

――2011年3月11日、8年前のあの日ーー

私は愛犬ラフと自宅に居た。
都内の職場での勤務は、金曜は休みだったので朝から家事をこなし、午前中はのんびりと過ごしていたのだった。

いつもは3時から4時の間に行くラフのお散歩。あの日に限って、なぜか1時過ぎからラフがソワソワし始めて、お散歩を催促してきた。
「まだ早いのに」
そう思いながら、私はラフを連れて1時間ほどのお散歩に出かけた。

帰宅して、いつものようにラフの脚を洗い、2階のリビングへ。お茶でも飲もうかなぁと考えていた瞬間、ドスンと揺れが来た。
「あ、大きい」
咄嗟にテレビを押さえようとした時、ラフがバタバタと走ってきて、私に飛びかかった。当時34キロのラフのダイビング。私はふらつきながらも必死で足を踏ん張り、ラフもテレビも倒れずに済んだ。

「ラ〜フ、母さん怪我しちゃうよっ」
やっとの思いで踏ん張った私は、そんなことをラフに言いながら、同時に二男のことが頭をよぎった。特別支援学校に通っていた二男が、学校からの路線バスに乗る時間帯だったからだ。

 

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バス停で地震にあったかもしれない。すぐに学校に電話してみたが、繋がらなかった。次に、同級生のお母さんにメールをしてみた。
『スクールバスは通常通りみたいだけれど、路線バスは走ってるかわからないよ』との返事。それを読んで、「迎えに行かなくては」とバックと車のキーを手に取った。
それを見たラフは、置いていかれまいと私に向かってキュンキュンと鼻なきした。

「ラフも行こう」
その言葉を聞いて、ラフはリビングから階段を飛ぶように駆け下りた。

 リードをつけて、玄関を出ると、ご近所の方が外に出ていた。
「大きかったですね」
私が声をかけると、「ドラッグストアに居たんだけど、商品が落ちてきて大変だったのよー」とご近所さん。

「二男を迎えに学校まで行ってきます」と私が言うと「そうだね、その方がいい。気をつけて」と声をかけてくれた。

茨城北部に住む妹とは、地震の直後から、ショートメールでやり取りをした。そのせいもあり、その時は、まさか震源地が東北で、茨城北部も被災しているとは予想もしなかった。

 

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ステーションワゴンの後ろの扉を開けると、軽快にラフが飛び乗った。あの頃は、ラフはまだ若く足腰が丈夫で、ジャンプもなんなくこなしていた。

動揺しながらの運転は危険なので、とにかく慎重に、ラフにも話しかけながら学校へ向かった。10分ほど走った後、渋滞の交差点に差し掛かって信号待ちしていると、車がグワングワンと揺れて、電線が大きく波打ってるのが見えた。

「余震かな」
心臓の音が大きくなったが、気をつけて運転しなくては、と集中し直した。携帯には、また茨城北部に住む妹からメールが入ってきた。同じ茨城の実家には電話が繋がらないと。

その連絡に「とにかく◯◯を迎えに行ってくる」と短く返信して車を走らせた。

学校近くのバス停に到着すると、担任の先生に連れられた二男が50メートルくらい離れたところを歩いてるのが見えた。「良かった、1人ではなかったんだ」心底安堵し、担任の先生に挨拶した後、二男を乗せて自宅へと戻った。

 車に乗り込んだ二男が、荷台のラフを撫でると、ラフはすまし顔でおとなしくしていた。二男を無事に連れ帰ったことで、私の最初のミッションは完了。次は、長男がどこにいるかの確認と、実家への連絡だった。

そうこうしているうちに、主人から「大丈夫か?」との電話。連絡してくるのが遅いよなぁ、と思いながら二男を連れて帰ってきたと話すと、主人はホッとしたように電話を切った。

 

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実家や友人、職場の同期などに連絡を取りながら時間がどんどん過ぎていった。そして、夕方つけたテレビを観た瞬間、カラダが震えてしまった。

それは宮城県沿岸部の映像で、何台もの車が走るその後ろには津波のようなものが襲いかかろうとしていたのだ。
「こんなことになってたの?宮城が震源地となると、福島や茨城北部の辺りも被害が大きいかもしれない」

すぐ妹にメールをすると、甥っ子を幼稚園に迎えに出たけれど、大渋滞で2時間もかかり、今家に戻るところなのだと返信が来た。妹はその時点で、東北の津波のことも何も知らなかったのだ。テレビの前で愕然としながら、私は実家と長男に連絡を取り続けた。

結局、長男は夜になってやっと連絡がつき、バイトのために都内にいること、電車が止まっていて帰れないとのことだった。同じ頃、妹から茨城県北部の実家にも連絡が取れたとの知らせがきた。

 

この時、地震の影響で茨城県北部の実家と妹の自宅は断水と停電が長く続いた。同じ北部の主人の実家の蔵は崩れて、主人は週末毎にその片付けのため、片道2時間ほどの主人の実家に通った。「腰が痛いんだよ」そう言いながら。

 

その腰痛が、内臓からくる痛みで、主人の命を奪うものであると、あの頃の私達は知る由もなかった。あの未曾有の大地震から、主人との別れまでは、何か1つの線として繋がっていたような気がしている。ラフにとって最愛の飼い主、私と息子たちには唯一無二の存在だった主人のカラダの中では、少しずつ少しずつ集まったものが大きなうねりとなって変化を起こそうとしていたのだったーー

 

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あの地震の後、何日間もガソリンスタンドには行列が出来て、スーパーにも人が押し寄せていた。幸いにも、私達の食事で大変なことはなかったし、ラフのご飯も一袋開けたばかりのものがあったので、さほど心配はしなかった。しかし、愛犬愛猫のご飯など購入するのに時間がかかり不安だった飼い主さんも多いだろう。

実際、あの地震のために愛犬や愛猫を手放さなければならなかった飼い主さんもかなり多かったのだと、後から知った。飼い主の元から離れて暮らさなければならなかった子たちを思うと、胸が痛くなる。

それが自分だったら――
自分の愛犬だったら――

年に一度、3月11日に想いを寄せる。

今何不自由なくこうして暮らしていること、いつもと代わり映えしない日常は、とても大切でかけがえのない時間なのだと、もう一度私達は考えるべきなのだろう。
増してや、人より弱い立場である愛犬や愛猫と暮らしているなら、その命を守るためにも様々な備えが必要なのだと思う。

災害は忘れた頃にやってくるものなのだから――

 

――311、あの日、私と愛犬は(その2)――

文:樫村 慧

――連作、次話――

――連作、前話――

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

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