犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

大きな子との暮らしは、楽しいものだった ~大型犬と生きるということ(1/2)~

大きなカラダの闘病、看護、そして介護大型犬とともに生きる

扉の撮影&文|樫村 慧 記事内写真|老犬アルバムより大型犬の皆さん
 

今は季節の変わり目。そのせいもあってか、病状が急変する老犬さんがとても多い。
ツイッターやブログで、そんな老犬さんを目にする度に、3年前のラフの闘病を思い出す。

大型犬の闘病や看護、介護は想像以上に大変だった。大きなカラダを支えたり、抱いて移動したり、寝返りをさせたり。そのひとつひとつが体力勝負。私の場合は、腰痛持ちだったので、腰痛ベルトが欠かせなかった。それはラフの闘病をしていく上で、自分の身を守る鎧のようなものだった。

当事者になってみて実感したことだが、大型犬の飼い主が我が身を守ることは、想像以上に重大なことだと思う。万が一にも自分が倒れてしまうと、愛犬の命を守ってやれなくなるからだ。無理をしながらも、無理をしすぎないようにしなければならない。

今日は自分の体験から、そんな大型犬介護の話をしようと思う。

 

ラフの腎不全がわかったのは、2013年9月、8歳の時。脇腹に出来たイボのようなものを切除する為の血液検査で、腎不全と診断され、余命2年と宣告を受けた。腎臓サポート食に、投薬、2週間毎の皮下点滴。病気の影響がどこかに出ているということもなく、見た目ではラフが腎不全だとは全くわからない状態だった。

ラフの通っていた動物病院は、院長先生と奥様先生の2人体制。
通院のタイミングで、どちらの先生になるかはいろいろだったが、口下手の院長先生の時にはこちらからの質問に答えてもらう程度だったのに比べ、奥様先生の時には、大型犬の看護介護について随分と話をした。

先生方は、他界した主人のことももちろんご存知だったし、主人亡き後、私が1人でラフの面倒を見ていくという事もわかってくれていた。

 

あの時の奥様先生とのやり取りで、私はそれなりの覚悟も出来たし、病気が進行した大きな子を飼い主の私1人で見ていくことについての心構えのようなものを、自然と会話の中で伝えてもらったように思う。

そのやり取りの流れの中では、安楽死というワードもさらりと使われていた。病気が進行すると、神経症状から歩くのも困難になる。そうなった時の選択肢の1つとして安楽死を挙げていたのだった。

安楽死というワードがさらりと使われていたことは、正直ショックだった。その時の私は、どんなことがあっても最後までラフの面倒は見るつもりだったし、安楽死という言葉そのものに嫌悪感があったのかもしれない。

 

腎不全と診断を受けた後も、ラフは朝晩のお散歩にも行っていたし、投薬と2週間おきの皮下点滴、そして腎臓サポート食のみを食べるということ以外は、健康な頃と変わりなかった。

ラフの病気がわかって余命2年との宣告を受けて、打ちひしがれた私は、しばらくの間泣いてばかりだった。インターネットで腎不全を調べては泣いて、泣きながらまた病気の検索をしてしまう。

そんな時、同じ立場の飼い主さんのブログにたどり着いた。病気は違っていたが、愛犬が病気になってその経過を綴り、思いの丈をぶつけながらも冷静になろうとしている闘病ブログ。

『ああ、同じだな。病気は違っていても同じ想いなんだ』

そう感じることで、自分だけが苦しくて悲しいわけではないのだ、と前を向ける気がした。例え病気になっても、愛犬との暮らしは今までと同じであり、そこに通院などが加わっても、それが愛犬との日常になるだけのこと――愛犬への愛しさ――に変化があるわけでもなく、むしろそれまでよりも愛犬との距離は近くなった。

 

 通院での皮下点滴を始めて1年と少し経った頃、ラフは毎日自宅での皮下点滴が必要なくらい病気が進行した。

その頃には、徐々に後脚が弱ってきたこともあり、補助サポートベルトを購入して、お散歩に出かける時にもベルトを持っていった。というのも、お散歩に出かける時は、足取りも軽く意気揚々としていたラフも、お散歩からの帰り道では立ち止まったり、歩みがゆっくりになったからだ。

その頃は、朝晩1時間ずつのお散歩が少し短めにもなっていたが、途中で歩けないなんてことになると、とても私1人で抱えて帰るのは無理なので、そんな時のための補助サポートベルトだった。

同じ頃には、車の乗り降りに使うスロープも購入した。ステーションワゴンの荷台にスロープを掛けて、ラフを荷台に乗せた。最初は怖がってスロープに乗らなかったラフは、補助サポートベルトで支えてあければ、スロープを数歩歩いて車の乗り降りが出来るようになっていった。

 

実は、奥様先生と私はそれよりずっと前から補助サポートベルトが必要になるだろうという話をしていた。お散歩好きなラフが、出かける時には元気でも、どんどん歩いていって折り返して帰る頃には脚も重くなり、行きのようには歩けなくなることがあるかもしれないと――

ラフが自分の脚の具合を考えて歩く配分ペースを決められるはずもないのだから、そうなるのは当然のことだろう。補助サポートベルトを購入したと奥様先生に伝えた時「そうですか、持っていた方がいいでしょうね」と言いながら、その声が少し寂しそうに感じた。

あれは、私の気のせいだったのだろうか?
今となってはもうわからない。

 

自宅で日に1度の皮下点滴が、点滴量を増やさなければならなくなっため、朝晩の2回になってしまったのは、自宅点滴をスタートしてから3,4ヶ月と早い段階でだった。

その頃の私の生活は、朝5時に起きて、30分から40分のラフのお散歩。
帰宅して朝食の支度をして、息子達を起こす。
洗濯をして、その後、ラフの点滴。
仕事に出かける準備を済ませて、出かける前に、ラフにオシッコをさせた。

自宅では一切排泄をしないラフを、自宅からほんの少し歩いた道路脇などでさせていた。私が仕事から帰ってくるまで、5時間から6時間ほどの間、ラフはオシッコを我慢しなくてはならない。

ラフの病気が悪化していく過程で、ラフが家の中で排泄をしないできてしまったのは、ラフとの暮らしの中で一番の失敗だったと思っている。その頃、購入した大型犬用のトイレも結局は無駄になってしまった。

 

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1日に2回朝晩の皮下点滴をしながら、4月ラフは11歳の誕生日を迎えた。

その誕生日の少し前から吐き気がひどくなっていたのだが、誕生日前に行った血液検査の結果も、院長先生が驚くほど悪かった。それでも吐き気止めの薬を服用すれば、腎臓サポート食もそれまでと同じ量を完食することが出来ていたので、このままなんとか食べて欲しいと願いながらの毎日。

後脚の状態は悪くなっていたので、お散歩の距離はかなり短くなっていたが、なるべく補助サポートベルトをつけて出かけていた。

そんな頃、ラフの大好きな川沿いの散歩道に連れて行ってあげたくて、カートを購入した。赤い大きなカートに乗せたラフは、慣れるまでは降りようとしたり落ち着かなかったが、慣れてくるとちょっと自慢げな顔をしてすましていた。

 

――つづく――

文:樫村 慧
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――次話――

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

  闘病中の飼い主さんにかける言葉

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ラフの闘病の頃

 

 

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