犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

軽くなった哀しみと、重くなった悲しみ ~大型犬と生きるということ(2/2)~

大きな子との別れは、大きな体を失うことだった大型犬と生きる

扉の撮影&文|樫村 慧 記事内写真|老犬アルバムより大型犬の皆さん
 

ラフは7月になってもそれまで同様、腎臓サポート食ドライと缶詰をなんとか少量食べていたが、それまで与えたことのなかったおやつも、色々と買って食べさせた。そんなおやつも、喜んだのは最初だけ。徐々に受け付けなくなっていった。

そして7月7日の七夕を境に、ラフは腎臓サポート食を一切食べなくなった。とにかく食べるものを探して、あれこれと与えていたが、食べる量はほんのわずかだった。

ほんの少ししか食べなくなって1週間経った14日頃には、足元がふらついて歩くのもやっとだったが、補助サポートベルトをつけて、私に支えられながら30メートルほどの距離を歩いて道路脇までオシッコをしに行っていた。

 

16日3連休の初日、ラフはとうとうオシッコが出なくなった。そして、その日の朝から歩くこともできなくなってしまった。慌てて病院に連れていって、利尿作用のある注射を打ってもらったが、院長先生からは「これでオシッコが出ないと厳しいね」

恐れていた尿毒症になってしまったのだった。

病院から帰宅後、歩けなくなったラフに補助サポートベルトをつけて、抱えながらいつもの道路脇に連れ出してもほとんどオシッコは出ない。寝たきりになったラフに、シリンジでお水を飲ませて、圧迫排尿をしてみてもダメ。

もうラフとの時間は長くないことは明らかだった。私と息子たちは、ラフが寝ている部屋になるべくいようと決め、食事もラフの隣で食べることに。ラフのそばには私か息子たち2人のうち誰かが必ずいるようにした。

 

その日の夜から、ラフは長男の部屋のベッドの隣に寝かすことにした。

まずは最初の数時間、私がベッドで休み、その間は長男がラフの隣でお水を飲ませてたり、寝返りをさせた。そのあとは、交代した私がラフの世話をして長男が仮眠を取った。

うつらうつらしているラフは、たまに「キューキュー」と鼻なきして視界に私か長男がいることを確認していた。シリンジでお水をあげると、またうつらうつら。

4時間ごとに寝返りをさせて、圧迫排尿も試してはいたがオシッコは出なかった。

もう何も食べようとしなかったラフが、17日のお昼にカツ丼のカツを一切れあげてみると、「パクッ」と食いついてあまりの美味しさに目をまん丸くした。

「今までこんな美味しいものを食べたことがなかったもんね」ともう一切れ口に近づけたが、それ以上は食べてはくれなかった。

その日の夜から、ラフの目はそれまでよりも虚ろになり、意識レベルが下がっているように思えた。

 

18日の明け方、突然の下痢。ラフの下に敷いたオシッコシートを変えても、ラフのお尻や尻尾が汚れてしまっている。

お風呂まで運ぶのは難しいので、ラフの下に防水シートを置いて、洗面器にお湯を入れてその場で洗うことにした。すると、意識レベルが下がっているように思っていたラフがお尻を触られるのが嫌で唸り出した。どこにそんな力が残っていたのだろうと思うほどの唸り声。唸りながら、長男の手を噛もうとまでした。

家の中で排泄することのなかったラフにとって、寝たままで下痢をしてしまい、お尻を触られるのがよほど嫌だったのだろう。その低い唸り声は、最後の彼のプライドのような気がした。

お尻や尻尾が綺麗になると、ラフはうとうとし始めた。少しうとうとするとうっすらと目を開けて、誰かがそばにいることを確認し、またうとうと。そんな風に時間が過ぎていった。

夕方4時半くらい、ラフのそばにいた二男が、大きな声で洗面所にいた私を呼ぶのが聞こえた。急いで駆けつけると、ラフのカラダがぐわんぐわんと大きく揺れている。

「痙攣か」そう思ってラフのカラダを上から抑えても、そのぐわんぐわんとした揺れが止まらない。隣にきた長男もその様子に驚いて立ち尽くしている。

「ごめんね、ラフ、辛いね、ごめん」
私は泣きながら、ラフのカラダを抑えた。

何が起きたのかわからないラフは、痙攣が止まった後、少し呆然としていたが、しばらくして「ううっ〜ううっ」とまるで文句を言うように唸っていた。

尿毒症の痙攣が、ここまですごいとは考えていなかった。まだラフが元気だった頃、看護師の友人から「尿毒症の痙攣はかなり本人も辛いからね。」と聞かされたことがあった。しかし、あれほどカラダが上下に揺れるとは想像してなかった。

 

文句を言うように唸っていたラフの意識は、その後ガクンと低くなった。

痙攣が起きたことで、私の中では、もうラフを楽にしてあげたいという気持ちが湧いてきた。そのことを息子たちに話すと、長男から、ひとまず病院に電話をして聞いてみてはどうかと提案された。

動物病院に電話をして、院長先生にこれまでの経緯を話した。
少し間を置いて「もうかなり厳しい状態ですね」という返事が戻ってきた。そして、安楽死の処置をするには奥様先生もいないと無理ということと、奥様先生の帰宅は7時くらいになるということだった。

ラフの意識レベルはかなり下がっていて朦朧としていた。

時間がくるのを待ってもう一度電話をしてから、7時半私と息子たちでラフを連れて病院へと向かった。

 

この後――

ラフは主人が待つところへと旅立っていった。その時のこと書くのは今も苦しい。
もしよければ、こちらの記事をご覧になってほしい。

元々34キロあったラフの体重は、亡くなった時には28キロまで落ちていた。しかし、ラフを私1人で抱き上げるのは難しかったし、補助サポートベルトをさせて30メートル歩かせるのだけで精一杯だった。

寝返りを打たせるのも、自分には腰痛ベルトをつけてではないと不安だったし、最期に動物病院に連れていった時も、マットに寝かせたラフを長男と私でやっと持てた状態だった。

 

ラフは幸いにも、亡くなる数日前までは、何とか歩いていたので、息子がいなくても私1人でなんとかなった。これが、寝たきりになった状態で、何日も、何ヶ月も、何年も1人で見なければならなかったら、どれほど大変だったろうか――

老犬看護、介護、または闘病の看護、介護をしている飼い主さんを、少しでも応援したいという私の想いの根底には、ラフの介護が短かったからという理由があるのかもしれない。

あのまま、ずっと寝たきりのラフの面倒を見ながら、仕事を続けて家のことをやっていたらどうなっていただろう? ラフに優しく出来ていただろうか?
そう考えるたび、看護介護している飼い主さんに頭が下がる気持ちになるのだ。

 

ラフが亡くなって、斎場に向かうため、車にラフを乗せようとした時、長男と私では最初全く持ち上がらなかった。まだ生きていたラフを、マットごと持ち上げた時は大丈夫だったのに――

それがすごく悲しくて、やっとのことで車に乗せてから涙が溢れた。

亡くなってしまうというのはこういう事なのだ。大きな子と暮らすという現実が、そこにはあった。

大型犬との生活はとても楽しくて充実したものだった。

その豊かな時間をくれたあの子のために、最後までたっぷりと愛情を注ぐために、私たちはいろんなことを考えて、想定していかなくてはならない。

最期のその時まで、どこまでも愛しい大型犬と生きるために――

 

――了――

文:樫村 慧
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――前話――

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

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