うちの子がうちにくるまで|No.58
犬は飼いたいけれど家族が犬嫌いというケースは意外に多いようです。本話もそんなご家族のエピソードです。紆余曲折あって、保健所に連れていかれる直前の子犬を引き取ることになったのですが、お母さんが子供の頃から犬が大嫌い。それもそばに来るだけで嫌だという極度の状態です。
さて、やって来た子犬は幸せになれるのか? 犬嫌いのお母さんはどうなってしまうのか?
こんな方へ:動物は好きなんだけど、犬や猫を飼うのは心配|はじめてなので、もう一歩が踏み出せない|同じような経験をした方はいますか?
母は犬が嫌いでした
もうずっと前の話になります。我が家にはとても思い出深い、ミッキー(Mickey)という犬がいました。ミッキーのお蔭で我が家は、家族全員が犬好きに変わったと言っても良いでしょう。
ミッキーは我が家にとって2代目の犬でした。1代目は少々訳ありです。
その子はある日突然父が拾ってきた子で、もしかしたら迷い犬だったのかもしれません。きれいな成犬でした。当時母は犬嫌いで、牛乳屋さんが配達に連れてくる犬さえも、そばを通るなんて有り得ないというほどでした。
何故そうなったのか理由は聞いたことはありません。子供のころから、犬がそばに来るだけで嫌だったそうです。
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母はその子が来てすぐに、「犬の面倒をみられない」と言い出しました。その頃は私がまだ6歳でしたし、弟もいたので母は子育ての真っ最中。しかももうすぐ3人目が生まれると言う時期です。嫌いな犬のお世話をするのは、精神的にも肉体的にも大変だったのだろうと思います。
そんな最中に事件がありました。犬が私に噛み付いたのです。
経緯はこうです――
その時は犬から少し離れたところに食べ物がありました。私は子供心に犬が届かないだろうと考えて、近くに寄せてあげようとしました。そして手を伸ばしたその時でした。犬は『取られる!』と思って、私の指に噛みついたのです。
幸い何針か縫うくらいで済んだのですが、これも母の気持ちに追い打ちをかけたように思います。
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結局、母の気持ちを尊重し、その子は手放すことになりました。父は手放すのが嫌で仕方がなかったようでしたが、仕方がありません。犬にも可哀そうなことをしました。
子供の頃の記憶なのでうろ覚えですが、貰われていった先は知り合いの家だったと思います。やがて犬にはもっと可哀そうなことが起きました。その数日後に、突然道路に飛び出して、事故に遭ってしまったのです。亡くなったのは貰われた家の前だったそうです。
「うちに帰りたかったのかな?」
父は可哀想なことをしたと、ずっと言っていました。そしてこの一件は、両親の心に、長くくすぶることになりました。
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その後は、ずっと犬とは無縁となった我が家。
そこに変化があったのは、12年後のことでした。
母のパート先の上司の家で、突然仔犬が生まれたというのです。
その家では特に犬に対する愛情もなく、外の犬小屋で犬を飼っていたのですが、ある朝気が付くと出産をしていたそうです。つまり妊娠にも気が付いていなかったということです。当然ながら、父犬が誰かもわかりません。
生まれたのは9匹で、3匹は既に死んでおり、その家では残りの6匹は保健所に連れていくとのことでした。つまり殺処分されるということです。
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それを聞いた母は、いたたまれなくなったようです。
相変わらず犬嫌いのままでしたが、「産まれたばかりだけど保健所に」という上司の発言が我慢できなかったと言います。
実は母は優しい人で動物自体は嫌いではないのです。例えば猫は昔から、父が近所から貰ってきては盗まれるを繰り返してたようです。私が物心ついてからもそうで、家にはいつも猫がいた、しかし、長く一緒にいた記憶がありません。
さて、母から仔犬の話を聞くと、父が声を上げました。
「ちょっと、待った!」
――結局、父の鶴の一声で、1匹を我が家が引き取ることになったのです。
ダメ押しをしたのは、下の弟の「お願い!」の一言でした。近所の家で飼いだして、羨ましくなったのだそうです。
母は反対はしませんでしたが、戸惑いはあったようです。
「嫌だなぁ、でも保健所はなぁ……」
そう呟く母の複雑な心境は、そばで見ていて分かりました。
因みに、私ともう一人の弟も賛成派です。
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母のパート先まで仔犬を迎えに行ったのも下の弟でした。母の上司の方が日本酒の箱に仔犬を入れて連れて来ていて、その箱ごと受け取りました。
「この子がうちの子!」
そう思って、弟は凄く嬉しかったそうです。
箱を抱えて家に帰る途中、ちょっとした事件が起きました。箱の中で丸まっていた仔犬が、オシッコをしてしまったのです。他人から誤解されそうなほど、見事にびしょ濡れになってしまった弟のズボン。随分と恥ずかしかったそうですが、今ではそれも良い思い出です。
そう、あの頃はロサンゼルス・オリンピック時でしたから1984年の夏頃です。
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こうしてうちの子になった仔犬は、ミッキーと名付けました。
名付け親は弟です。私達姉弟3人は名前に『き』がつくので、4番目の子もそうしたいから『ミッキー』と――
母は夏産まれなので『サマー』にしたいと言って最後まで粘りましたが、弟の「姉弟だから同じに!」という一言で折れました。
何ていう、発想!
思いもつきませんでした。父も即、賛成しました。
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うちに来たばかりのミッキーは、小さく身体を丸めて怯えた目をしていました。
私の第一印象は「とにかくノミだらけ」ということ。先方の家が何もしていなかったのですね。その日のパートの帰りに母がノミ取りシャンプーを買ってきましたが、1回ではとても取り切れませんでした。当時は病院へ連れて行く、という考えがなかったので、ひたすらシャンプーをして、見つけては潰すの繰り返しです。今思えば間違ったやり方ですが、それしか駆除の方法を知りませんでした。
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産まれて1ヶ月に満たない子――
やっと一人で動いてる子――
柔らかくて、まだ毛は産毛――
強く抱きしめると壊れそうな感じで――
仔犬はやはり可愛いですね。でも、母はノミだらけの身体を部屋に入れるのを嫌がりました。弟達は構わず自分達の部屋に入れましたけれど――
一方父は、自分の一声でミッキーを迎えると決めたのにも関わらず、あまり触らせてもらえず(笑)。でも父が触った時は、ミッキーはちゃんと顔を父に向けていました。
そっとミッキーを撫でる父の手は凄く優しかったです。ミッキーはもうお腹を出して仰向です。何もしていなくて、ただ撫でただけなのにね――
家族がミッキーを可愛がる一方で、母だけは相変わらず犬嫌いのままでした。当時はミッキーを可愛いとは思わなかったそうです。
「うっとうしいから居間に入れるな!」
などと言っていたのを思い出します。
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こうしてミッキーが段々と家に馴染んでいく中で、驚いたことがありました。
家族の誰が家に帰ってきても無視だったミッキーが、ある日父が帰宅した「ただいま」という声が聞こえ途端に、玄関に走って行って尻尾をフリフリしたのです。
――誰にもしたことがない行為。
それが犬がお迎えの挨拶でやる仕草だと本で知って、弟達は大ショック。
我が家ではミッキーのお世話は、弟達がする決まりになっていて、その約束通り自分たちはやっていたのに、1番の喜びの行為――飼い主への愛情表現――を、何のお世話もせずに、ただ可愛がり抱くだけの父にしかしないのですから。
これは母も悔しかったみたいです。ドッグフードをふやかし、食べやすいようにしたり、汚れ物を手洗いしたり、陰で尽くしているのは母なのです。
しかし、父がミッキーの愛情を独り占めしていたのはここまで。
ミッキーが他の家族にも愛層を振りまき始めたことで、後に父の立場は逆転することになります。
ミッキーが変わっていくのと時を同じくして、母も変わりはじめました。
時間は掛かったけれど少しずつ……
やっぱり、毎日の玄関へのお迎えが、効いたのではないかなあ。
ミッキーは母が帰宅すると、玄関まで走っていって尻尾をフリフリするのです。
疲れて帰って来た時にあれをされると、冷たくしていても「えっ?」てなりますよね。そのうちに、夜は一緒に寝るようになり、食事も一緒に――
そして母はよその家の犬にも優しくなって、話しかけたりもするように――
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母の変わりようが分かるエピソードがあります。
母は下の階の人から、我が家が犬を飼っていることについて、嫌味を言われることがあったようです。しかし母はそれを無視していました。『吠えられた』というクレームの電話がかかって来たこともありました。その時には、母が応戦していてビックリでしたことを覚えています。
法事の時に「犬が一人で留守番しているから、早く帰る!」と発言した時も驚きました。「あれほど嫌いだったのに、随分と変わるものね」と叔母は大笑いでした。
そうそう、母が入院したときのこと、ミッキーは母の帰りを一晩中寝ないで玄関で待っていたこともありました。
「こんなに可愛いなら、もう1匹いても良かった」
というのも母の言葉です。本当に人は変われば変わるものです。
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そして父とミッキーのその後のお話です。
母と寝るようになってから、ミッキーは1番に愛情表現をした父に対して冷たくなりました。なんと父を避けるようになったのです。父が休みの日に昼寝をしていると、つかまらないように部屋の隅を通って、急いで逃げたりもしました。
夜母と寝る時には、父の側にいかなくて済むように、父と反対側で母にくっつきました。一体ミッキーは、どんな心境だったのでしょうか?
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ミッキーには面白い話が沢山あります。
1つご紹介すると、ミッキーはパンが好きだったのですが、どんなパンでも食べるわけではなくて、パン屋さんの手作りパンと、ヤマザキ等の工場で作ったパンの区別が出来ました。パン屋さんのパンはモグモグ食べるのに、スーパーで買ったパンは袋を開けて「はい、どうぞ」と差し出すと、口に入れてもポロッと出してしまうのです。パン屋さんの食パンの耳は食べるのに、普通の食パンの耳は食べないという徹底ぶりです。
ミッキーは散歩中にマクドナルドやミスタードーナツやの匂いがすると、その場で座り込みました。そこで思い切り匂いを嗅いで堪能するのです。それはミッキーにとって、散歩の中での決まり事みたいなものでした。
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そんなミッキーも、やがて歳をとっていきました。最初におかしいと思ったのは、まずは散歩の量の変化でした。
実はミッキーは仔犬の頃、散歩を覚えて間もない頃に、中型の黒い犬に飛び掛かられ、
身体にオシッコをかけられる、ということがありました。それから他人嫌い、犬嫌いになり、散歩はそんなに好きではなかったのです。しかしある時から、気の向くままに散歩をさせていると、延々と歩き続けるようになりました。ヨタヨタ歩きではなく、しっかりとした足取りで。
ミッキーはこちらが無理矢理、家の方向に向けてあげなければ、いつまでもどこまでも歩き続けました。人間の認知症と同じで、家に帰るということが出来なくなったようでした。
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それからミッキーは、ある日突然に痙攣を起こしました。キャンキャン鳴き、目がぐるぐる回るのです。1度目は母が目撃し、1ヶ月ほどして私も目の当たりにしました。何事かと思い病院に連れて行くと、人間で言う頭の病気、脳血栓ということでした。
当時は発作をただ遅らせれだけで、病気の進行を止める事は出来ませんでした。発作が起きると、ぶるぶる震え、ヒンヒン、キャンキャン鳴きます。飲み薬で和らぐこともありましたが、それもだんだん効かなくなり、治まるまではただ身体を抱きしめたり、擦ることしかできませんでした。
更に1ヶ月が過ぎると、ミッキー寝ていることが多くなりました。寝ていると言っても目をつぶって寝るのではなく、身体を起こしているのが辛くて横になっていると言う状態。その頃はまだ犬専用オムツなんて近所にはなく、ミッキーが寝てるところのお尻の下にペット用トイレシートを敷くくらいしかできませんでした。
昼間は母が一緒にいて、夕方からは私がいて、ミッキーが1人にならないようにしました。彼女の視界に入るところに誰かいないと、起きて探しに行こうとするからです。
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やがて、痙攣発作は頻度を増して激しくなり、遂にはそれが1日に何回も。
病院では死が近いことを宣言されました。
弟は「苦しませないで、安楽死も考えたらどうか?」と言いました。
何度も話し合う私達の様子を、側で横になってみているミッキー。
私には賛成が出来ませんでした。どんなに発作が苦しくても、それが過ぎると私や母に身体を預けてくるのです。そんなミッキーの命を絶つなんて――
「お姉さんのしていることは罪なこと、苦しませてるだけ」
弟からはそう言われました。母はただ黙っていました。
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もう時間の問題、と宣告された日から2日目――
ミッキーは旅立ちました。最後に夜も寝ずに付き添った母と私に、『昼寝』という時間をくれて。
3時間くらい3人で寝たでしょうか――
ミッキーはその間は一切発作は起こさず。母がトイレに立った時に最後の発作を起こしました。いつもの発作とは違うことが直ぐに判り、母を呼びました。
「ミッキー、頑張って」
いつものように擦る私に対して、母は泣きながら発作に苦しむミッキーを抱き上げて、こう言いました。
「もういいよ、もう頑張らなくていいよ、ありがとうね、もういいよ」
ミッキーはその母の腕の中で旅立ちました。
母はミッキーの身体が冷たくなるまで、ずっと抱きしめていました。
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――2000年6月27日、午後4時21分――
嘘みたいな話なのですが、この時窓から外を見たらきれいな虹がかかっていました。
「神様がミッキーを迎えにきた」
そう母はいいました。
この年の七夕は、母が小さな笹を貰ってきて飾りつけをしました。
ベランダに飾ったその笹を見ると、短冊には母からミッキーへのメッセージが3つ書かれていました。それはミッキーへの『感謝』と『謝罪』そして『再会』の約束。
それから更に時が経ち、母も病に伏しました。
母は私たちにこう言いました。
「出来れば一緒のお墓に…」と――
そして意識が無くなる前まで「退院したらまた犬と暮らす」と言っていました。
あんなに犬が嫌いだったのに、不思議ですね。
今はミッキーと二人で空の上かな?
何でしょうね? 20年も前に亡くなった子なのに、昨日のことのように思い出します。
実は、ミッキーの次の子も母の縁でうちに来たんですよ。
ホントに不思議な話です。
そのお話は、またいずれ――
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――追記――
今、ミッキーの写真を見ていることろです。うちにきた頃のミッキーです。
「こんなに小さかったのね」
オリンピックの年に産まれ、西暦2000年に亡くなって――
不思議ですね、なんか。
涙が出てきました――
――ミッキーがうちにくるまで|おしまい――
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――うちの子がうちにくるまで・次話――
麿呂がうちにくるまで
実を言うと私も母も、犬を飼う事には反対でした。
しかし父が、自分の退職祝いに「柴犬を飼いたい」と言い出したのです。
ペットショップに着いた私たち家族。
その子犬は、抱っこした瞬間から私の口を舐めてきました。
犬が嫌いなはずの私は、その時――
――うちの子がうちにくるまで・前話――
ピコがうちにくるまで
夫婦ともに実家では犬を飼っていました。
しかし結婚後は犬のいない生活。
私達はペット可のマンションを購入し、犬を探し初めました。夫婦で初めての犬。
しかしピンと来る子は簡単には見つかりません。
3か月が過ぎた頃です。
とうとう運命の日が――
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――うちの子がうちにくるまで、第1話です――
あんこがうちにくるまで
昔からいつかはワンを飼いたいと、ずっと夢見ていたんです。
でも、夢と現実の差はでっかいですよね。結局はずっと、実現できずじまい。
――そんな夢を叶えた飼い主さんのお話。
犬との出会いは運命に似ています。
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