ちぃを看取る日
心臓腫瘍で旅立ったフレンチブルドッグの”ちぃ”ちゃんの闘病記、『ちぃの闘病記|虹の橋の向こうへ』はお読みいただけたでしょうか?
本記事『ちぃを看取る日』は、『ちぃの闘病記』のあとがきに位置する作品です。
死を覚悟しての闘病の末期、別れの日の直前から、別れの瞬間までが綴られ、延命治療は行うのか? 蘇生措置は? と、終末期から臨終まで間に飼い主に迫られる選択と、葛藤が描かれています。
いつかの時の準備という意味もあるのですが、それよりも本作は、優れたエッセイ作品です。どうか皆さんに読んでいただきたく思います。
本作が生まれた経緯を後書きに書いております。あわせてどうぞ。
ちぃとの別れに思う
ちぃの死を覚悟しなければならなくなったとき、私には心の準備ができていませんでした。
ガンを検査で見つけてくれた大学病院の先生は、一番先に「なにもしない」という選択肢をすすめてくれました。たくさんの経験から、それがちぃにとって一番良い方法であることをきっと、ご存知だったのだと今は思います。
ちぃが口から栄養を取れなくなってきた時も、無理に流動食をすすめたりもせず、点滴で栄養を取れないのかと質問したときにも、点滴では水分しか補給できません、との答えでした。
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後に「痛くない死に方」という人間用の本に、
『死に際に点滴で水分を補給しすぎると、肺に水がたまり、溺死のような苦しい死に方になる。水分補給を少なめにして、枯れて死ぬほうが本人は楽である』
と書いてあるのを読み、あのとき徐々に痩せて枯れるように死んだちぃは、溺死ではなかったのだとわかりました。
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そのときの私は助かる方法はない、と頭ではわかっていても、「なにもしない」を選ぶ勇気がありませんでした。
「この子が死ぬまでの間、なるべく苦しまずに過ごせる方法は何かないのでしょうか?」と、先生にくいさがり、先生はしぶしぶ、「放射線ならば体にあまり負担のない治療なので、やってみましょうか」と言ってくれました。
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その日から放射線を何度かかけてもらい、最後となった放射線治療のときにはじめて、放射線の補助として、ほんの少し(通常の10分の1の量)の抗がん剤を注射してもらいました。
その治療の翌日、まる一日ちぃは生きて、夜中に旅立ちました。
私が抗がん剤を使うことをお願いしたことが、ちぃの命の期限を決めたのかも知れません。夫にそれを伝えようとしたら止められ、それを言うな、とやさしく諭されました。
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夫は、ちぃの最後のときに泣きながら、「蘇生させるな!」と叫びました。もう呼び戻してはいけないと。
ちぃは、私が仕事に行っている昼間に2度、ひきつけをおこして死にかけました。たまたま家にいた夫がそのたびにちぃを必死で呼び戻し、ちぃは戻ってきて家族が揃う日を待ってくれました。
そして、先生の言ったとおり、あっという間(心臓が破れてから5分程度)に、外側への出血はなにもなく、静かに息をひきとりました。横向きに倒れ、四つの脚をまっすぐに伸ばして…
(れんが横向きに寝ているとき、ときどき気持ちよさそうに四つの脚をぐーっと伸ばすのです。ちぃの最後を思い出します)
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ちぃは、意識を失う少し前に、自分でトイレまで歩き、おしっこをして、そのあと、お気に入りの場所(奥の座敷)へ歩いて行って、隠れてうんちをしてから居間の座布団の上に戻り、準備万端で旅立ったのです。
はじめて愛犬を看取る飼い主への思いやりでしょうか?
とてもきれいな亡骸でした。
…私が年取って死ぬときには、ちぃみたいにカッコよく旅立ちたいものです(笑)
――了――
この作品が書かれた経緯
この作品は、筆者のコラム記事『選択こそが飼い主の闘病』(旧題:飼い主に委ねられる選択)に寄せられたお手紙でした。お書きになったのは、『ちぃの闘病記|虹の橋の向こうへ』の作者、かっぱ太郎さん。
コラムの内容は、愛犬の闘病というのは、飼い主にとって身を切る選択の連続であるという事と、命を預かった以上は、その選択こそが飼い主冥利であるという内容です。その記事を読まれた感想を、お手紙として寄せて下さったのです。
闘病の時の飼い主の葛藤が手に取るように分かる文章で、かつての愛犬の闘病を思いました。お手紙として、筆者が読むだけではもったいないと思い、作者の許可を得て記事化しました。
本文は、改行を除き、一切の加筆訂正は加えていません。皆さんは、この手記に何を感じますか?
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作:かっぱ太郎、F.zin
▶ 作者の一言
▶ かっぱ太郎、F zin:犬の記事のご紹介
Follow @38b_miyabi
解説:高栖匡躬
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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ちぃの闘病記|虹の橋の向こうへ
もうすぐ10歳の誕生日を迎える頃でした
愛犬の”ちぃ”がご飯をたべなくなりました。
重度の貧血、そして脾臓の摘出手術。
退院後、ちぃは元気になっていったのですが、実はそれが本当の闘病の始まりでした。
体のどこかに腫瘍があるかもしれない。
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抗がん剤の関連記事です
抗がん剤を分かりやすく解説した医療記事です。
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家族それぞれの思いは?
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別れは特別なものでなく
我々は、看取りの内容に囚われてしまいがちです。
良く看取れたのか? そうでなかったのか?
別れのあとも、ずっとそれを考えてしまいうのです。
別れは特別なものではなくて、生き物には必ず訪れる自然なものです。
必要以上に重要に考えないことが、大切なように思います。
看取りをもっと積極的に捉えられるように、このコラムを書きました。