犬を飼うということ

Withdog 犬と飼い主の絆について

【肺がん】3月27日、未明 最後の力を振り絞り ~うちの子が旅立つまでのこと(12/18)~【安楽死】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180314002546j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

この段階になると、ピーチーの状態は刻々と悪くなっていきました。
しかしながら、ピーチーはまだ生きようとしており、その姿に励まされる飼い主。
飼い主にできることは、もはやそう多くはありません。何が起ころうと、現実から目をそむけないで、見守ってやろうという決意のみ。

安楽死の選択は、常に頭の中にありました。
きっとその選択をするときが、来るようにも思っていました。

その日が来なければ良いと願う気持ちが半分。
しかしあと半分は、その日が来たら迷うことなく決断しようと決めていました。

ある時までは死を遠ざけようと、或いは忘れようと、必死にもがきました。
しかしある時を境にして、気持ちが自然に切り替わりました。
良い死を迎えさせてやろう。良い別れをしたい。
積極的にそう思うようになりました。
覚悟が決まったとか、そんな劇的なものではありませんでした。
もっとささやかで、もっと自然な気持ちの変化でした。

死は忌むべきものとは、最早思いませんでした。
絹のように柔らかで、優しいもののように思えました。
その死に、いつかピーチーを引き渡すのだと思っていました。
問題は、それがいつなのかというだけ――

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【肺がん】3月26日、夜 ピーチーは不思議な子 ~うちの子が旅立つまでのこと(11/18)~【終末期の食欲】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180313215800j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

ピーチーは子犬のころから、食いしん坊でした。

いつも見事な食べっぷりで、
かつて胆管閉塞を患い、いつ胆嚢が破裂するか分からないという時でさえ、医師が驚くほど食欲がありました。
飼い主はとしてはその食欲が、決して尽きる事はないと思っていました。

しかし、ついにそのピーチーの食欲も尽きようとしていました。
健康な時と違い、介護の段階に入り終末期が訪れると、食欲が別れまでの時間を暗示します。

走れなくなる。歩けなくなる。筋肉が落ちて、体が弱って行く――
そんな姿を見るよりも、食欲がなくなることの方が、何倍もつらかったですねえ。

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【肺がん】3月26日、午後 今日はピーチーの月誕生日 ~うちの子が旅立つまでのこと(10/18)~【酸素マスクとテント】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180313172524j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

ピーチーが劇症肝炎を患い、九死に一生を得てからの日々は、我が家にとってはボーナスタイムでした。

年に2回だけ、誕生日とクリスマスのお祝いだった大好物のウニは、毎月の月誕生日に上げるようになりました。

「今月も生きてくれてありがとう」
心からそう思いました。
生きてくれること。一か月生き延びてくれることが、どんなに奇跡的なことか――
元気な頃には、思いもしませんでした。

1年先は見通しようもありませんでしたが、こうやって1か月1か月を感謝して、お祝いしていったら、いつのまにか1年が過ぎるんじゃないか――、とも思っていました。

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【肺がん】3月25日、夕方 ピーチーの好きな木の棒を取りに ~うちの子が旅立つまでのこと(9/18)~【受容】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180313134057j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

この日、2つ目の記事を書きました。

自分で過去の記事を読んでみても、別れの覚悟が固まって行くのがわかります。
はじめのうちは、否定(または疑い)だったように思います。
やがてそれは、あるがままの全てを受け入れようという受容の時期に――

この頃は、それよりも一歩進んでいて、ピーチーとの別れをどのように意味のあるものにしてやろうかと、むしろ積極的とも言える考えに、変わろうとしていたように思います。

ものすごく長い時間のように感じました。
でも、この日はピーチーの変調に気が付いて、わずか10日しか経っていません。

覚悟と言うのは――、
その時になると、心中にあったものが、自然に固まるものなのでしょうか?
それとも、どこからか下りてくるものなのでしょうか?

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【肺がん】3月25日、早朝 ピーチーは虹の橋を渡らない ~うちの子が旅立つまでのこと(8/18)~【虹の橋に思う】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180313122621j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

この記事は、ピーチーの介護と看取りの記録の中で、もっとも思い出深いものの1つです。2年前の今日、この記事で触れたのは、『虹の橋』についての話でした。

下記の文中にもあるのですが、筆者は『虹の橋』の詩が、どうもしっくりと来ません。嫌いとかではないのです。
むしろ詩として、それだけを見れば名文のようにも思います。

”良い詩”であるという事と、”好きな詩”であるのとは、また別物なのです。

筆者はこの詩が、沢山のペットロスの方を救っていることは知っていました。
しかしこの『虹の橋』の詩が、自分を救ってくれるものではないという思いが、ずっと心の中にありました。

ピーチーとの別れの覚悟は、少しずつ固まって来て、もうその覚悟は揺るがないものになりつつありました。

だからこの日、ブログを通して、友人たちに1つのメッセージを送ったのです。
『虹の橋』について……

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【肺がん】3月24日 酸素テントが届きました ~うちの子が旅立つまでのこと(7/18)~【病状悪化】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180312221003j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

ピーチーの病状悪化も、前日から下る速度が増した印象でした。

トイレに行くのに、ほんの数メートル歩くだけで息が上がります。
歩くたびに、酸素を吸わせて楽にさせてやる――、その繰り返し。

ピーチーは自分の体に何かが起きていると思っていて、「あれ、おかしいぞ」というような、戸惑いの表情を見せました。

そして自分で、自分の体が弱っていないのだと思いたいのでしょうか?
それとも飼い主に、自分の元気な姿を見せようとしているでしょうか?
やたらと歩きたがりました。

試しにと買った携帯酸素のボンベは、残り少なくなりました。
前日には、レンタルの酸素ジェネレーターを申し込みました。
まさかうちのピーチーのために、酸素テントを使うことになるとは、思っても見ませんでした。何しろ、その僅か半年前には太い枝を咥えて走り回っていた子です。

犬に流れる時間は、本当に早回しだなと思います。

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【肺がん】3月23日 状況は悪化しているように思います ~うちの子が旅立つまでのこと(6/18)~【酸素ボンベ】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180312010211j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

ピーチーの状況は悪くなっていきました。
今当時を思うと、ゆっくりと悪くなるのと、階段を下るように悪くなる様が、ミックスしたような感じでした。

体調の小さな浮き沈みに一喜一憂しているところに、ある時ガクンと一段、明らかな
下降があるのです。大きくはありませんが、確実に階段を下る感触がありました。

しかしそれは、大きなショックというわけでもなかったように思います。
割と淡々と受け止めていました。

こんなことを繰り返しながら、飼い主の覚悟は決まって行くのかもしれません。

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【肺がん|闘病記】3月22日 今日は割と安定しています ~うちの子が旅立つまでのこと(5/18)~

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180311231403j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

ピーチーが次々と新しい病気を発症したのは、恐らくは自己免疫不全に原因があるであろうと既に感づいていました。 
しかし自己免疫不全には、根本的な治療法はまだ発見されていません。

1つの病気に目途をつけ、ホッとしかけると、次の病気――
回復が、逃げ水のように遠くに去っていきます。

日常生活や仕事で何度もこのようなことがあると、きっと何もかも投げ出したくなるのではないでしょうか?

しかし、ピーチーの闘病では、そんな投げ出したい気持ちにはなりませんでした。
何故でしょうね?
きっとピーチーの前向きさに、自分が励まされていたのだと思います。

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【肺がん】3月21日 久しぶりのてんかん発作 ~うちの子が旅立つまでのこと(4/18)~【癲癇発作】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180311210136j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

ピーチーの最後の闘病のはじまりは、癲癇(てんかん)の発作からでした。
当初は癲癇とだけ闘っていたのです。
※癲癇の闘病記は、また別に記すつもりです。

ようやくそこに目途がたってきたところで、劇症肝炎の発症。 
癲癇はそっちのけで、目先の命の危機である劇症肝炎の闘いに切り替わりました。
※劇症肝炎の闘病記は、すでに掲載済みです。→こちらが劇症肝炎闘病記

この日の時点で、ピーチーの癲癇との闘病はまだ続いており、薬も飲み続けていました。そんな中で、癲癇の発作を起こしてしまうのが、今回の記事です。

因みに、癲癇の発作を起こす前は、ピーチーはとても可愛くなりました。そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが本当です。「最近可愛いなあ」と思うのが、注意信号でした。恐らく、自分で予兆を感じて、不安なので甘えて来たのでしょうね。

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【肺がん】3月20日 どうした? 調子悪いのか? ~うちの子が旅立つまでのこと(3/18)~【闘病記】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180311190221j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

主治医からは、肺がんの疑いが強いとは言われましたが、確定診断をしたわけではありません。   
よって完全に望みがないわけではないとは思っていました。
レントゲンに写った最も大きい影は、ピンポンだまくらい。
人間のスケールに直せば、大人のこぶし大です。

そのように大きなものが体内にあって、咳もせずに、血痰なども出ないでいられるのだろうかと考えていたのです。 

ただ、楽観もしていません。
もしも肺がんでなかったとしても、ピンポン玉大の影は普通ではありません。

飼い主さんは皆そうだと思いますが、闘病の初期段階では”迷い”や”否定”のような気持ちが交錯します。当然筆者もそうでした。
目の前で起きている事が、現実ではないような、足元がおぼつかないような気持ちです。

しかし、心の内の半分では覚悟も決まって来ていました。
ピーチーは過去に別の病気で、大きくは2度死の淵に立ったことがあります。
過去は2度生還しました。もしや今回もという淡い期待ともに、当時決めていた、別れのための覚悟も同時に蘇ってきました。

人は動物に教えられることがとても多いですね。
筆者もピーチーから、沢山のことを教えてもらいました。

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【肺がん|告知】3月19日 病院で告げられた病名は…… ~うちの子が旅立つまでのこと(2/18)~

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180311165246j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

時々息が粗い――   
そんな程度の変調でした。  
ちょっと気分が悪そう――、ちょっとダルそう――、ちょっと熱があるかも―― 
これまでに何度もあった変調と較べて、取り立てて悪いわけではありません。
もっと具合が悪いことは、何度もありました。

ただ――   
それは今までとは、ちょっと違う変調でした。 
なんとなく、嫌な予感を伴うような――

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【肺がん】3月18日 それは小さな変調から始まりました ~うちの子が旅立つまでのこと(1/18)~【闘病|看取り】

ピーチーの闘病記:肺がん・看取り編  f:id:masami_takasu:20180304173115j:plain

撮影&文|高栖 匡躬
 
当時を振り返り

劇症肝炎から奇跡的な生還を果たしたピーチー。
一旦はそのまま完全復活をするかと思いましたが、ステロイドの大量投与からの減薬で、離脱症状が現れます。

ステロイドによって失われた筋力は、なかなか回復せず、頬はこけたまま。
しかし、辛抱強くリハビリを続けていました。

やがて少しずつ体力は戻ってきました。浮き沈みはあるものの、段々とその山は高くなり、谷は浅くなり、回復を実感するように、散歩の距離も伸び、少しずつですが筋肉もついてきました。

ピーチーは気持ちが若くて、8歳くらいまでは初めて会った方から、「まだ子犬ですか?」と訊ねられるほど、せわしなく動き回っていました。

14歳で病気をするまでは、老犬と思えない程よく遊び、良く食べました。多分、何も知らない人からは、10歳くらいに見えていたのではないでしょうか?
病気をして老け込んでしまいましたが、それがようやく14歳の年齢並みの子に戻ろうとしていました――

最初に現れたのはちょっとした変化でした。
大好きな散歩に出ても、どこかつまらなそうに見えました。
3日前の散歩は、途中で止めて、抱いて家に帰りました。
それからは、マンションの周辺を少し歩く程度。
段々と回復していたものの、時にはそんな時期もありました。
「少し様子をみようか」
そう思い、注意深く様子を伺っていました。
そして――、この日がやってきました。

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