視点の変化で闘病は変わる・悩みってなんだろう?
Review
カテゴリー:コラム
作者:高栖 匡躬
愛犬の闘病は気持ちの持ちようで、楽しく過ごすこともできるし、苦しいだけのものにもなります。
犬は飼い主の笑顔が大好きなのだと言います。ご飯や散歩と同じように、大好きなのだそうです。もしも愛犬が病気で、飼い主がふさぎ込んでいたら、その愛犬の大好きなものを1つ失わせてしまうことになりますよね。
病気が重くなると、愛犬は散歩に行けなくなって、ご飯が食べられなくなりますね。もしかするとそのときの愛犬には、飼い主の笑顔はたった一つの楽しみなのかもしれません。
これを逆に考えたら、愛犬がどんなに重い病気でも、飼い主が愛犬と一緒にいることで幸せとか楽しさを感じられるなら、愛犬も幸せなのではないでしょうか。
愛犬を亡くした飼い主さんならわかりますよね。愛犬がそこにいてくれただけで良かったんだって。幸せだったのだと。
それは愛犬がいなくなってから、しみじみと実感するものなのですが、もっと前からそれを感じられたら、飼い主も愛犬も、両方とも幸せなんではないでしょうか?
そんなことを考えながら書いたのが、このコラムです。
愛犬とばかり書きましたが、愛猫も同じですね。きっと。
【癲癇】3月20日 発作に加えて、はじめての下痢&血便だよ ~発作は続くよ(3/10)~【突如の下痢&血便】
ろくすけの闘病記:癲癇(てんかん)9話
3月20日 初めて下痢&血便
――2016年3月20日――
昨日は父ちゃんのお客さまが来て、賑やかな我が家だった。
ろくすけには体への影響を考えて、お客様と会わすことはしなかったので、おかげで興奮することもなかった。
――はず、なのに。
ろくすけは、私自身が料理やらで普段と違う精神状態であることを、読み取ったのだろうか?
あぁ――
明け方4時前くらいに、発作が起きてしまった。
痙攣→徘徊→もうろう→水・食事を口にする→もうろう→トイレ→徐々に回復
と、いつもの経過であったが、その後が違った。
【老犬は優しい】きっかけはタフィさんと、もなかさん ~老犬アルバムの思い出(その1)【開始前夜】
たった一言に、心が奪われることがある
- たった一言に、心が奪われることがある
- 私と老犬アルバム
- 老犬アルバムを振り返ってみる
- 老犬アルバムをはじめたきっかけ
- 大きくて優しい子
- きっかけになったお祝いのカード
- 2枚のカードが老犬アルバムの原型になりました
- もなかさんにもカードを送りました
- すべての始まり、タフィ―さんにもカードを
- 老犬アルバム開始前夜
- 老犬アルバムのご応募方法はこちらです
- 老犬アルバムと老猫アルバム
- 樫村慧|他の作品
私と老犬アルバム
樫村慧です。
いつもWithdog『犬を飼うということ』のご愛読、ありがとうございます。
私が担当する【老犬アルバム】は、5月で開始から10か月になります。一周年になる7月には、兄妹企画の【老猫アルバム】と合わせて、150匹に迫るワンニャンを掲載できそうな勢いです。望外なほどのご支持をいただくことができて、本当に感謝しています。
●
思えば【老犬アルバム】は不思議な企画であり、コンテンツです。
老犬さんの写真に飼い主さんからの短いメッセージを添えただけの、簡単なカードなのですが、長い文章でも書き表せないほどの大きな感動を私たちにくれます。たった一言なのに、その老犬さんが生きてきた時間まで感じさせてくれるのです。
きっとそれは、何年もの間、大切にされて愛されてきた老犬さんの穏やかで柔らかい表情と、飼い主さんがメッセージに込めた深い想いが、絶妙のコントラストを描くからなのでしょうね。
続きを読む
【まとめ】別れは特別なものでなく ~看取りを前向きに考えよう~
満足のできる別れはあるのです。
Review
カテゴリー:コラム
作者:高栖 匡躬
本作は、愛犬(愛猫)の看取りを前向きにとらえていくためのコラム集です。
今や平均寿命15年にもなる犬や猫。
それを看取る回数は、多くても3回ほどではないでしょうか?
だから、看取りの経験豊富な飼い主はいないのです。
それにも関わらず、我々は、看取りの内容に囚われてしまいます。
良く看取れたのか? そうでなかったのか?
別れのあとも、ずっとそれを考えてしまうのです。
【癲癇】2月23日 ついに出てしまった最短記録(涙) ~発作は続くよ(2/10)~【座薬の苦労】
ろくすけの闘病記:癲癇(てんかん)8話
でも人間用と同じで座薬は即効性があり体への負担も少なそうでした。今ならもっと上手に入れる自信あるのになぁ。
2月23日 午後3時頃 最短記録の発作
――2016年2月23日 午前3時ごろ――
今回の発作は最短記録。
といっても、なんとも嬉しくない、最短周期での発作。
前回から、2週間も経っていないのが悲しい。
時間は夜中3時。発作時間約4分。尿失禁・口から泡。
見守るしかできない。
――のではあるが、今回母ちゃんには重要な役割がある。
初めての座薬。
そう――、座薬。
あのお尻の穴に突入させる、白くソフトな弾丸シェイプのあれだ。
【まとめ】ペットの安楽死、考えたことがありますか? ~それは、”生きる”を考えること~
安楽死について考える。安楽死をしないことについて考える。
Review
カテゴリー:コラム
作者:高栖 匡躬
皆さんは、ペットの安楽死のことを考えたことはありますか?
愛犬、愛猫がまだ若くて元気なうちは、きっと想像もつかないでしょうね。もしも既に老犬や老猫だったとしたら、『縁起でもない』と考えて、その先に思いをはせることを嫌う方もいるでしょう。
しかしこの安楽死、いざというときに考えようとしても、なかなか出来ることではありません。家族同様の愛犬、愛猫が弱っているときに、そんなことを考えると自己嫌悪に陥ってしまう方が大勢います。
考えてみませんか? 安楽死――
今だからこそ、考えられることかもしれません。【まとめ】警察犬の学校に行くということ ~犬の躾とトレーニング~ 【警察犬訓練学校体験談】
警察犬の学校に行くということ・チッチ先生が教えてくれたこと
Review
カテゴリー:コラム
作者:高栖 匡躬
皆さんは『警察犬訓練学校(警察犬訓練所)』をご存知でしょうか?
名前からすると、警察犬を専門に養成するように感じられますが、実際はそうではなく、家庭犬も沢山訓練しています。警察犬をトレーニングできるほどの腕前の、訓練士がいる訓練所という風に考えればいいと思います。
我が家の愛犬ピーチーは、18年前にこの『警察犬訓練学校』に行きました。
当然ですが、警察犬にしたかったわけではありません。また、人を噛むような問題犬だったわけでありません。当時は生後3か月の、小さくて可愛い子犬でした。
続きを読む
【失明した老犬】愛犬の目が見えなくなってしまったら 〜老犬との暮らし(2/2)〜【加齢と視力の衰え】
老犬との暮らし(その2):視力の衰え
前回の記事でも触れましたが、我が家のロビンは目が見えません。生まれつきではなく、加齢によって病気が起こり段々と見えなくなりました。
元気だった愛犬の目が見えなくなるのは、飼い主にとってはつらい事です。しかし歳をとると、割とよくあることなのだそうです。
●
愛犬の目が見えなくなると、日々の暮らしで、当たり前だったことができなくなってしまいます。そこで我が家では、少しでもロビンが安心して穏やかに暮らせるように、家族みんなで心がけるようになりました。
今日はそんなロビンとの暮らしのお話をしようと思います。いつか我が家と同じ状況に直面なさる飼い主さんのために、すこしでも参考になるよう願いながら、書き進めていきます。
続きを読む【まとめ】311、震災の日に思う事 ~愛犬を連れての避難、考えてみよう~【災害時のペット】
震災の日、ペットとの避難
カテゴリー:エッセイ、コラム
作者:奥村 來未
高栖匡躬、樫村慧、ロキロビ、miao
2011年3月11日、午後2時46分
東日本大震災発生
マグニチュード9.0
未曽有の大震災の現場にいた作者。
発生直後のこと、避難所での出来事を記した手記です。
震災の日に思うこと。
とても大切な思いが詰まっています。
【まとめ】私たちは犬に育てられている ~老犬への思い、家族への思い~
私たちは犬に育てられている
カテゴリー:エッセイ、コラム
作者:奥村 來未
作者が子供の頃に飼い始めた子犬。
弟のように思っていたのに、その子はいつの間にか老犬に――
老犬Mackとの暮らしは、家族に色々なものを運んできます。
楽しい事だけではありません。病気や体の衰えも――?
犬に育てられ、成長していく家族。
犬は自らの一生を通し、我々に沢山の事を教えてくれます。
いなくなってしまってからも……
【癲癇】2月12日 今年の初てんかん ~発作は続くよ(1/10)~【ハーネスでのサポート】
ろくすけの闘病記:癲癇(てんかん)7話
2月12日 午後2時 今年の初発作
――2016年2月12日 午前2時――
今年の初発作が起きた。前回は12月20日だから、2ヶ月もたなかった……
時間は、5分近くに感じた。
発作になってからの経過は全く同じだが、発作の時間、その後の吠える時間も長かった。
軽くなった哀しみと、重くなった悲しみ ~大型犬と生きるということ(2/2)~
大きな子との別れは、大きな体を失うことだった
少ししか食べなくなったラフ
ラフは7月になってもそれまで同様、腎臓サポート食ドライと缶詰をなんとか少量食べていたが、それまで与えたことのなかったおやつも、色々と買って食べさせた。そんなおやつも、喜んだのは最初だけ。徐々に受け付けなくなっていった。
そして7月7日の七夕を境に、ラフは腎臓サポート食を一切食べなくなった。とにかく食べるものを探して、あれこれと与えていたが、食べる量はほんのわずかだった。
●
ほんの少ししか食べなくなって1週間経った14日頃には、足元がふらついて歩くのもやっとだったが、補助サポートベルトをつけて、私に支えられながら30メートルほどの距離を歩いて道路脇までオシッコをしに行っていた。
続きを読む